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幸福の科学では、毎年基幹経典がありまして、今年は『信仰の法』です。
年初1月7日には、『信仰の法講義』がありますが、どうやら信仰と愛は切り離せないものらしい。
今年は『信仰』をテーマに幸福の科学は学習し活動してまいりますけれども、今年は頑張って、私が最も苦手とするテーマに挑んでみます。
幸福の科学は「愛は与えるもの」「愛を与えれば、幸福になれる」という価値観があります。
純粋に「与える愛」というのを語るほど、私は愛を悟ってはおりませんが、若いころ経験した体験を思い出しつつ、筆を進めてみたいと思います。
私は20代前半の頃、強い孤独感に苛まれたことがあります。
何故こんなに孤独なのか、当時の私は未熟なりにも、深く考えてみました。
孤独には、大きく分けて2つの背景がありました。
1つは、周りに誰もいない状態で起こるものでした。
物理的に一人の状態であり、当時の私でも理解できるものでした。
もう1つは、周りに人がいるのに、孤独感を感じている自分がいたことでした。
集団の中の孤独。これが当時の私には理解できませんでした。
「どうやら孤独感というのは、周りに人がいるかいないかという、物理的な問題ではなく、精神的な問題に違いない。」
当時の私はそう考え、その原因について、また深く考えてみました。
そして、集団の中の孤独を感じていた時の私の想いは、無意識ではありますが、「周りの人に理解して欲しい。」と思っていることに気づきました。
そして私は、「それなら、逆をやってみよう。」 と思ったのです。
そう、人様を理解する側の人間になろうと思ったわけですね。
と言うのも、「他人様に理解して欲しいと自分では願っているが、そもそも自分は、他人様を理解しようと思っただろうか。」また「わかってもらえないことで苦しんではいるが、そもそも、他人を完全に理解できる人など、存在しないのではなかろうか。」と思ったからです。
そこで、「ならば他人を理解する側に廻り、人を理解できる人間になれることに挑戦してみよう。」と考えたのです。
今思えば、これはある意味で、実験的にそうしてみようと思っただけでした。
そしたらば、私の人生は大きく変わりました。
とても忙しくなったのです。(笑)
人に理解の眼を向けると、勉強しなくてはならないことが山のようにできます。
また友達付き合いも、急激に増えました。
そう、孤独を感じている暇がなくなったのです。(爆笑)
そして気がつけば、私の心から、孤独感は完全に消え去っていました。
そして、小さいけれど、私にとっては偉大な学びを得ました。
孤独の原因、それは、「理解されたいとか、自分をわかって欲しいという思い」にあって、それから逃れるためには、「自らが、理解者になれるよう努力することだ。」ということです。
与える愛とは、「人さまの理解者になろうと努力する」ということも含まれると思うのです。
与える愛によって、私は心の開放を得、自由で幸福になりました。
心から、神仏に感謝申し上げます。
でもこんな日記を書いたら、我が家の偉大なる嫁様から「あなたは、私のことを何にもわかってないのに!」って、どなられるかも知れませんが。(爆笑)
本日は1月7日(日)に開催される『信仰の法講義』のお知らせに引き続き、経典『仕事と愛』から、目からうろこの時間論をお届けいたします。
(ばく)
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1952
☆大川隆法総裁先生 「信仰の法」講義開催☆
日時:1月7日(日)13時~14時半 本会場東京正心館および、全国支部衛星中継
高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11
TEL:088-882-7775
高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7
TEL:0889-26-1077
高知朝倉支部〒780-8062 高知県高知市朝倉乙988-11
TEL:088-850-7774
高知四万十支部〒787-0012 高知県四万十市右山五月町2-22
TEL: 0880-34-7737
大川隆法 御説法『愛と人間』
光の惑星 - 恍多 kouta
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=754
時間を活かすにあたっては、それを浪費しないというところに出発点があるのです。
時間を砂金のごとき重要なものだと思って、自分の指のあいだからいたずらにこぼれ落ちるのを防ぐことが大事です。あるいは、その砂金の粒の一つひとつを、ほんとうにすばらしい金色に光らせていくことが大事なのです。
さて、一日をふり返ったとき、いちばん無駄に使われているのは何の時間だと思いますか。
睡眠という人もいるでしょう。食事という人もいるでしょう。入浴という人もいるでしょう。
しかしながら、私があえてみなさんに申し上げるならば、食事や睡眠などの生活必要時間というものは、無駄なように見えて、意外にそうではないものなのです。それは生理的な欲求であって、それを無視しては、必ず手厳しい報復が待ちかまえているからです。
そうではなくて、みなさんが無駄に使っているのは、むしろ、みなさんの仕事の時間、あるいは勉強の時間だと思います。これが、数十年にわたって考えつづけてきた私の結論です。
人が時間をいちばん無駄に使うのは、無益なことにおいてではなく、自分が有益だと信じていることにおいてです。
価値あること、値打ちあることをしていると自分では思っていることのなかに、いちばんの無駄があると思います。
これは非常に逆説的に聞こえることでしょう。
しかし、人生の大部分を過ぎて、人生のたそがれどきを迎えている人たちには、私の言葉がどれほど真実に満ちているか、お分かりのことと思います。
みなさんが自分の人生を後悔するのは何のためでしょうか。
多くの睡眠時間を伴ったからでしょうか。長々とした食事時間を伴ったからでしょうか。余暇にテニスをしたり、ゴルフをしたり、水泳をしたりしたからでしょうか。
そうではないでしょう。
みなさんの後悔の主たるものは、みなさんの人生の大部分を貫いている仕事にあるのではないでしょうか。
あるいは、みなさんが数十年にわたって学んできた勉強そのもののなかにあるのではないでしょうか。
仕事のなかに、あるいは勉強のなかに実りが少なかったということ、そこにいちばん多くの後悔があるのではないでしょうか。
『仕事と愛』(幸福の科学出版)P170~172
この記事「光りの進軍…」にもUPさせて頂きました~
読んでビックリ!やはり、タダ者じゃないですね~(はたちかそこらでの〝S学会折伏事件”も凄かったけど、20代半ばにして、理詰め(自力)で「観の転回」出来ちゃうなんて天才的~!)
いつか是非ブログをまとめるかして「自叙伝」出してください!
今年も、咲く也さん同様、期待してマス!よろしくお願い申し上げます
まだまだmegamiyama師匠のきれっ切れの前説には遠く及びませんが、良い先輩がいるので、ありがたいことだと思っております。
これからもよろしくお願いいたします。