加計学園大学獣医学部が、大学審議員で認可されたようです。
同じ四国の愛媛県今治の地にできるので、四国の一員としては、「四国に若者が増えるのはいいことだ。」とは思います。
また、どうも国会が、「加計学園理事長と安倍総理とが友人関係にあった」ということで、「政治権力がらみの許認可獲得があったなかった」で、学問を政局化する動きもあります。
そして加計学園の認可を決定した大学審議員も、どうやら100%納得ではなかったらしい。
というのも、大学審議委員が加計大獣医学部を以前不認可にした際、「大学の規模に対して、学生が多い」とか「教授陣の年齢が高い」とかあっったのが、改善案を出してきたのだけれど、「まだ、学生の実習体制に不十分さがある」ということらしい。
しかし、「大学体制に非合法なものがなく、また裁判を起こされたときに反論できない」という理由が大きいらしい。
まぁええですわ。
で、幸福の科学大学(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ HSU)はどうなんでしょうねぇ。
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8977
3年前に千葉県長生村に建ったHSUは、結局不認可になりましたけれども、そのときは既に建築物は出来上がっていたし、教授陣も揃っていたし、テキストも4年分出来上がっていました。
これは補助金など1円もなくできています。
日本には学問の自由があるはずですので、そもそも私立大学は、基準クリアであれば、「認可制」ではなく、「届け出制」なのです。
それを、「幸福の科学は霊言をやるから」という理由で不認可です。
霊言とか神おろしとか、祈願とか祈祷とか、やらない宗教ってあるんでしょうか?
創価大学、天理大学、上智大学、桜美林大学など、全国には宗教系大学は数多くありますけれども、その教えのもとになったもので、そういう宗教的な神秘の部分がないものって、全世界で皆無だと思いますよ。
ということは大学審議委員は、世界の常識を知らないことになりますが。
そもそも、幸福の科学では、HSUの授業テキストを公開しています。
そんなの、ソフトに相当な自信がなければできないことです。
建物が建って、人を雇って、オリジナルなテキストも自費で構えて、なおかつ不認可ならば、国は、「信教の自由」と「学問の自由」と「私有財産の自由」を奪ったことになります。
幸福の科学大学不認可は、3つの憲法違反なのです。
幸福の科学は、国を相手に裁判したら勝っていたと思いますが、私塾HSUの道を選択しました。
裁判をすれば数十年何もできませんし、「私塾でも生徒は集まる」という確信は、大川隆法グループ総裁にあったのだろうと思います。
事実、生徒は集まり、赤字になっていないということです。
私は私塾HSU開校なければ、全国信者連で裁判を起こそうと思っていましたが、まぁええですわ。
私ら信者が、もっともっと、幸福の科学の教えや、グループの活動を世間に、普及できていないということですから。
またこの教えの重要性、創始者である大川隆法総裁の重要性を、世間に納得させるだけの活動ができていないということですから。
ここ(幸福の科学グループ)は、これからもっと、世界的に、また歴史的に、その重要性は、どんどんどんどん大きくなっていくと思います。
なぜなら、世界が困っている諸問題の模範解答は、ほぼすべて、ここは「教え」で語り終えているからです。
私たちは、もっともっと信仰心を強くし、悟りを高め、説得力を磨かなければなりません。
「信仰に目覚める」ということは、「神仏の子の自覚を得た」ということです。
神仏の子人間として生かされたのならば、せめて、それなりの使命は果たしたいと思います。
ということで、幸福の科学の基本経典の一つ『永遠の法』(幸福の科学出版)より、人生の真実、転生輪廻や霊と肉体、この世とあの世に関する部分の抜粋をお届けいたします。
(ばく)
幸福の科学グループCM「We Love 徳島 笑顔篇」30秒
秦の始皇帝の霊言【CM動画】
天国に還る方法とは?
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=155
肉体から霊への移行は、せみが皮を脱いで羽化登仙するようなものです。
何年ものあいだ地下で眠っていたせみの幼虫が、やがて木に登って幹の途中で止まり、殻を脱いで羽を出し、大空を飛びまわる──こうしたものによく似ています。
また、葉の上をはっていた醜い青虫が、いつのまにか蛹(さなぎ)になり、やがて紋白蝶や揚羽蝶になるのを見ることもあります。
青虫が蛹になり、やがて蝶になっていく姿は、実は、人間の転生輪廻の姿を教えんがために、仏が創ったものなのです。
そのように姿を変えながら人間は進化しているのです。
なぜ青虫が蝶になるのか不思議でしょうが、仏がそのように創ったのは事実であって、誰も否定できません。
何十本もの短い足を持ち、体をくねらせながら葉の上を歩きまわり、醜い顔をして葉を食んでいたものが、いつかしら羽を生やして大空を飛びまわる姿は、人間の霊的進化を暗示しているのです。
そのような姿を、なぜ仏は創ったのでしょうか。
結局、そこには仏の慈悲が働いているのです。
蝶が蝶として、最初から大空を飛びまわってもいいのですが、それ以前の段階で、地の上をはうという不自由な生活をすることで、大空を飛ぶことがどれほど素晴らしいか、その生きがいというものを、仏は人間に教えているのです。(中略)
同じように、肉体という不自由なものに宿って生活している人間も、やがてそれを脱ぎ捨てることによって、本来の霊的な姿が出てきます。そのときに、人間は自分の素晴らしさを数倍も数十倍も感じていくのです。
地上においては、思ったことがなかなか実現しないために、人間は焦りや疲労、無力感を感じます。
しかし、あの世は思ったことがすぐ実現する世界です。人間はその素晴らしさに気づき、「こんなことは地上ではなかった。これは何十倍も素晴らしいことだ」と感じるのです。
こうした素晴らしい霊的進化への道こそ、仏が用意した、あの世とこの世のしくみなのです。
なぜなら、こうした脱皮、次なる段階への昇華がなければ、ほんとうの意味での幸せを感じ取ることができないからです。
霊的であるとは、仏の本質と同じ本質を持っているということです。
仏の本質と同じ本質を持っていることを、各人が実体験として味わうことができるのです。
これは素晴らしいことです。
こうした素晴らしい世界のなかに、みなさんは生きているのです。
『永遠の法』(幸福の科学出版)P59~61
それは、もう一度江戸時代をやり直したいとしか思えませんね。