幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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「リンゴに負けるな!」『永遠の仏陀』より。

2019-07-24 01:05:25 | 教典紹介

「釈量子 大川隆法総裁」の画像検索結果

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幸福実現党の釈量子党首と、七海ひろこ広報本部長が、早速街宣演説を開始していました。

頑張れ、幸福実現党!

ミネルヴァのフクロウは、夕暮れに飛び立つ。

時代の要請にこたえるそのときまで、私たちは、力を蓄え、魂を鍛え、見識を磨き続けましょう。

信仰とは、愛と誓いと精進です。

本日は、経典『永遠の仏陀』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。

           (ばく)

 

街頭ご挨拶<釈量子 幸福実現党党首×七海ひろこ党広報本部長>

永遠の仏陀 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=147

いま、目の前に、 見渡すかぎりの、りんご畑が広がっているとしよう。

そのりんご畑には、 何十年もたった、大きな木もあれば、 まだ数年しかたっていない、若い木もある。 若い木は、どちらかといえば、小さいであろう。 古木は、大きいであろう。 そして、それぞれの木の大きさに合わせて、 いくつ実をつけることが可能かということが 決まっているであろう。 けれども、大事なことは、 いくつ、りんごの実をつけるかではない。 「数多く実をつければよいのか」という問いは、 さほど重要ではないということなのだ。

たとえ、その木が小さな木であるとしても、 一生懸命、みずからのりんごの実を たわわに実らせることが大事なのだ。 そして、単に実らせるだけではいけない。 その味を最高度のものにし、豊潤なものにしてゆくことだ。 香りは美しく、味わいはさわやかで、 多くの人に愛されるものになってゆくことだ。 このような、現時点での努力をし続けることで、 やがて数十年を経た時に、 見事な大木となって、 その数も素晴らしく、その質も素晴らしい実を、 たわわに実らせることができるようになってくるのだ。 そのような結果は、 まだ若木のうちにも一生懸命に努力したということが 報われたということなのだ。

おまえたちは、他の木になりかわろうとしてはいけない。

他の木が、 いかに、水分を吸い上げるのによき土地に生えていようとも、 いかに、畑のなかに養分の濃い薄いがあろうとも、 いま、自分が根を張っている所は、 これは、動くことはできないのだ。 その場において、最大の仕事をするということに、 全力を費やすことだ。 いたずらに、他の木を見て、 その心を刺激されてはならない。 自分として最大の実りを、 その環境において得るということこそ、 おまえたちが真に幸福に至るために、必要な方法であるのだ。

いま、りんごの実のたとえを示した。 そう、その言葉を、もう一度、 深く、心のなかで味わってもらいたいのだ。

人生は、このりんごの木が、 他の人々に食べられるために、 味のよいりんごをつくっていることに似ているかもしれない。 りんごをつくった農家の人は、 その対価としての金銭を受け取るかもしれない。 けれども、その実そのものをならせた、肝心のりんごの木は、 何一つ、金銭を受け取るわけではない。 何一つ、褒美をもらうわけではない。

 「よく、こんなに実らせたね」という、 感謝の言葉を受けることもない。 しかし、彼らは、彼らの人生を歩み続けているのだ。 りんごの木として、生命のあるかぎり、 毎年、毎年、見事なりんごの実をたわわに実らせてこそ、 悦びがあるということを知っているのだ。

そうであるならば、おまえたちにも言っておきたい。 「一生懸命に生きているのに、他の人がほめてくれない」と言うな。

りんごの木であっても、賞賛など求めていないであろう。 ましてや、おまえたちは、人間として、 りんごの木以上の存在ではないか。 そうであるならば、 他の人の賞賛を求めるな。 他の人から褒美をもらうことを求めるな。

たとえ認められなくとも、その使命を果たしてゆくのだ。 りんごが、その時期を過たずに、その実をつけるように、 毎年、毎年、人間としての、その使命を果たすために、 一年、一年に、その実りを収穫してゆかねばならないのだ。

『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)P86~94


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