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未来を拓くカギは「神仏を信じる」という中にあると思います。(更新)

2019-12-04 00:10:59 | ばくちゃんの独り言

 

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私が神を信じるようになったのは、そう、高校を卒業し、大阪で見習い看護助手として働きながら、定時制の看護学校に通い始めたころでしょうか。

若き私は医療職を目指しておりましたが、そのころまでの興味関心ごとと言えば、自動車であったり、地理や地形といった地理や地学が好きでして、十代の私は、「医療職というのは生活のため」という意識であったと思います。

ですが、いつものように看護学校で、人間の身体に関する授業を受けたとき、その精密さや不思議さに感銘を受けたのを、つい昨日の出来事のように覚えております。

特に、まだ人間のことなど何も知らない私にとって衝撃的だったのは、「人体を構成する成分と、地球を構成する成分が、その比率までほぼ同じであったこと」です。

私は地学好きですので、地質や断層や、地球そのものの成分などを、その頃は記憶しておりましたので、「土くれのような地球と、そこに生きる生命である人間が同じ構成」というのは衝撃でした。

その時私は、「地球って、実は生き物なんじゃなかろうか?」と思ったんですね。

 

その頃は知らなかったんですが、「ガイア説」というのがありまして、「地球を生命体として認識する」という考えがあるようです。

ガイアとは、ギリシャ神話の「大地の母なる女神」です。

で、「地球って、生き物なんじゃないの?」と思った私は、「地球も人間も生き物ならば、地球や人間などの生命を創ったのが神様なんじゃないか?」「婆さんが言ってた神様っていうのは、そういう存在なんじゃないのか?」と思ったんです。

幼少のみぎりより「ばくよ、神様にかなうと思うな!」というのがババさまの教えでしたが(笑)、まぁ、地球や生命を創ったのでしたら、それはそれはドエライお力でございましょうから、そりゃぁ、逆立ちしてもかないっこありませんわね。(爆笑)

 

授業中教科書を開いて、授業を聞いている振りをしながら、そんなことを考えていたのですが、そのとき、ちょっとした不思議な体験をしました。

ある、「イメージ」が浮かんだんです。

それはまるで、夢でも見ているような、とてもリアルなイメージでした。

 

まず、小さな小さな原子核のまわりを、それよりなお小さい電子が、くるくるくるくると、回っているイメージが浮かんだんですね。

そしてその原子は他の原子と結びつき、様々な物質を作っていきました。

そして地球が見え、その地球は、太陽の周りをくるくると回っておりました。

そして太陽系は、天の川銀河を中心に、ゆっくりゆっくりと回っておりました。

私は思いました。

「原子のまわりを回る電子も、銀河系を回る太陽系も、大きさは違えど、法則は同じなんだ。」「この、ミクロとマクロの宇宙を貫く、”法則”こそ神」ではないかと。

だとすれば、いがみ合っているように見える科学と宗教って、実は目的は同じなのではないかとも思いました。

その不思議体験以来、進化論などでよく言われる「偶然」ということが信じられなくなりました。

要は、神様を信じる人は「偶然」を信じることができないし、神様を信じられない方というのは、結局のところ、「偶然」を信じているだけなのではないかと思うんです。

結局は、「偶然」を信じるのか信じないのかだけの違いであって、神仏を信じる人というのは、「まさか偶然で、宇宙ができたり地球ができたり、生き物が生まれたりはせんじゃろうてぇ!」という方だと思う。

だとすれば、私ら神仏を信じる立場の者からすれば、「神仏を信じない人というのは、偶然というありもしない神を、狂信盲信しているカルト信者」のように見えなくもない。

私は18歳のとき、上に書いたような気付きを得て後は、「神は絶対にいらっしゃる」「そして私たちは、神の創られた世界の中で、神の創られた生命として生きている」と思うようになりました。

ということで、いつものように何が言いたかったのか、あはは、すっかり忘れてしまいましたけれども(爆笑)、経典『瞑想の極意』(大川隆法著 幸福の科学出版)の抜粋をお届けいたします。

          (ばく)

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「大川隆法 2019年エルカンターレ祭」の画像検索結果

https://happy-science.jp/ryuho-okawa/lecture/event/

この私たちが住んでいる大宇宙というのはひとつの調和の状態にあります。調和の状態にあって、そこに宇宙の理法が流れています。

私たちはいろいろなことを考え、思い、行動いたします。
そしてそれらの思いや行動は、私たちの自由にまかされているように思いますが、しかしながら私たちの自由意思にもとづく思いと行動は、かならずこの宇宙の大調和の中で、作用と反作用を起こしているのであります。これはまちがいのない事実です。

自分が自覚するとしないに関わらず、かならず私たちの思いと行ないは宇宙の調和を乱すものであるか、その宇宙の調和を進歩発展させるものであるか、そのどちらかに関わることとなっているのであります。

そしてこの宇宙の調和というのは、ひじょうに正確にできているものであって、均衡が破れた場合には、この均衡を取りもどそうとする方向に動くのであります。それが個人のレベルでどのように出てくるかと言うと、みずからの出した思いが、神のつくったこの宇宙の秩序を乱す方向に出た場合、それなりの反作用はかならず出てくるのです。

それはどういうことかというと、たとえば人を害する思いを発した人、こういう思いを発する人には残念ながら心の乱れ、いらだち、苦しさ、悲しさ、こういう反作用がかならずおとずれることになっているのであります。

宇宙の均衡というものは、じつにしっかりとしているものであって、落ちただけの力でかならずはねかえしてくるのであります。それを破らんとする者に対しては、かならずそれだけの反作用が自動調整装置のように働くこととなっているのであります。

それゆえに、みずからの不幸感覚が強い方は、何ゆえにということを考えていただければよいのですが、おそらくそれだけの不調和な波動をみずから出しているのです。不調和な波動を出しているからこそ、それだけの結果が心の中に生まれてきているのであります。

しかし、宇宙の法則はひじょうに公平にできています。単に罰を与えるという方向だけに法則が現われるのではありません。逆に宇宙の進化、発展、調和に貢献するような思いと行動で生きた人には、またそれだけの反作用が出てきます。

この反作用はどういうものかと言うと、幸福感覚という名の反作用というものであります。

思いと行ないにおいて調和されている人にとっては、安らぎという名の幸福がおとずれてまいります。
瞑想の極意(大川隆法著 幸福の科学出版)P44~46

 

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