「読まなかったことにしてくれ!!」

タイダイ染め,絞り染めで浮かび上がるマンダラ模様に今日も必死(-v-)

魯迅の短編のような出来事だった気がします。

2025-03-08 11:51:22 | Weblog






私が2年程の海外放浪を終えて帰国した頃の話です。

海外を無事に放浪し終えた私は自信に満ち溢れていました。

これは今でもそう思っているのですが、色んな国の安宿で、市場で、タクシーで、バスで、交差した人々と交わした言葉や場面、辛かった事、危険な事や淡いロマンスも、どれもがかけがえのない経験で、どんな大学を出たよりも、私は海外放浪大学卒だと誇りたくなるような気分でした。 

私はなんて優秀な人材なんだろう。

本気でそう思っていました。

こんな優秀な自分なので、就職なんてすぐできちゃうな、楽勝だなと疑ってもいませんでした。

が、

しかし、

それは思いっきり間違いで、全然就職受かりませんでした笑

こんなバカな、、、と思いながら職安に通う日々でした。

優秀なはずの自分は世間から見ると、高卒の放浪癖のあるただのヤバい奴だったのです。言われるまで本気で気付きませんでした笑

さて、何となく反社的な繋がりでバイト先なんかはあったので、焦りはしてませんでしたけど、とはいえ少し困り始めていました。

そして長く職安も通っていると、同じように通っているダメな人達と顔馴染みになってしまいます。

そのダメな人達の中に、それ以前からの顔見知りが1人居ました。

私が海外放浪する前に働いてた会社は配達の仕事だったのですが、その配達先にいたK君です。

細身で眼鏡で大人しそうなK君はその配達先の会社で、私が配達に行くと必ず上司に怒られていました。

なんか可哀想だなぁ、と思いながら私は視界の端っこで見ていました。特に何も助けるような事はしなかったんですけどね。

噂では毎日のように深夜まで残業させられてるとも聞きました。

私に何が出来るわけでもなく、普通に挨拶はする程度の関係でした。

その後、私は退職し海外放浪へ出ましたので、それきりだったんです。

そんなK君と職安で再会したんですが、大人しいK君とは本当に少しずつ、ちょっとした会話をするだけでした。

あれ?あそこ辞めたの?
どこか良いとこあった?とか、面接した?とかくらいです。

お互い20代も半ばになるモラトリアムの真っ只中でしたが、
私はその頃は金髪ツンツンにズタズタジーンズで、今考えると就職する気あんのか?ってカッコでしたし、なんていうか話が合うわけがない2人だったのです。

しかし、あの配達先で見かけていた彼より職安で再会した彼からは、飄々とした軽い明るさのようなものを感じでいました。

そんな職安が通いも何ヶ月か経ったある日。

その日も私は、あまりの自分の世の中からの外れっぷりに、少し焦りも出始め、憂鬱な気分で職安に居ました。

もはや古本屋か職安しか行くとこがなかったのです。

そして、職安の喫煙コーナーことダメ人間集会所に鎮座して、周りのダメな人達が自分の事を気持ち良く棚に上げて、社会や政治の文句を言ってるのを聞くともなしに聞いていました。

なかなかのどん詰まりだなぁと感じながら。うーーん、ぶっちゃけこれからどうしよう?
また海外行きたいから、働きたいけど、働くと海外行けなくなるし、なんか世の中全員嫌いだし、これは困ったぞと。

そこにK君がやってきました。

軽い挨拶の後、どこか浮世離れした印象のK君は私にこんな提案をしてきました。

「これから朝日海岸行って、翡翠拾いに行きませんか?」

Oh.....

職安から朝日海岸までは車で片道2時間弱はかかりますし、そもそも翡翠拾いに興味がないというか、お互いさ、、、マジでさ、、、

今それどころじゃなくない????

しかしK君はどうも前日もそれをしに朝日海岸まで行ったらしく、視線は私ではなく間違いなく海を見ていたと思います。

私はとにかくお断りしました。多分、信じられないよって感じで。

K君は少し残念そうにしながら、でもワクワクを隠せない後ろ姿で職安から出ていきました。

その後ろ姿を目で追いながら、私はまた不景気な顔で職安の正社員募集の用紙を眺めていました。
※この頃は紙だったのです。

その内に、じわじわと少しずつ、そのK君の言葉と行動が頭をグルグルと回り始めました。

あれ?おかしいな。私は冒険がまだしたかったんじゃないのか?彼の誘いはその冒険だったんじゃないのか?今は確かにその時じゃなかったかもしれない。今は仕事を探す時だ。そう。間違いなく正しいのは私の方だ。。。

だけど。だけど。。

「最高」なのはK君なんじゃないか?

正しいのは私だったとしても、
カッコいいのはK君の方だ。

それは現在でも、人生を重ねると少しずつ溜まっていく、心のうちに沢山ある柔らかく小さく、忘れられそうで忘れられない微小な棘のような後悔の1つとなっています。

その日から半年後くらいですかね。

紆余曲折を経て、私は最初の店を始める事になります。

冒険を続けるために、最高でありたいために、就職するのはやめたんです。

あの日、海岸へ翡翠は探しに行かなかったけれど、それから海外へ沢山の宝物を探しに行くようになったのです。


さて、店を始めてから数ヶ月も経った頃。

商売の難しさや世間のヤバさをかなり痛目に教えられながら、新年を迎えました。

なんとK君から年賀状が届きました。

「明けましておめでとう。最近、職安で見かけませんが、就職は出来ましたか?
私はまだですが。。」

Oh.....


相変わらず最高だな。

その時点で私は半年以上は職安に行ってなかったのですから笑

私は中3の頃から年賀状ってのを書くのをやめてるので、ついつい返さなかったから、彼とはそれっきりになってしまい申し訳ない事をしました。
今みたいにメールがあれば違ってたかもしれません。
今ならはっきり分かりますが、私は人として彼が好きだったんですね。

まだまだ生きるのに必死過ぎた歳の頃です。

たったこれだけの事なんですが、30年も前の、あのモラトリアムの期間。他の事はあまり思い出せないけど、この事は今でも時々思い出します。

私は今でもつまんない正しさを選んでしまう癖は抜け切らず、時々ライブハウスで間違えた音を自由に鳴らす程度です。

彼もどっかで元気でいてくれたら嬉しいし、でっけえ翡翠見つけて大金持ちになってたらもっと最高だなって夢想しています。

https://tabisora-foolsgold.jp/?pid=185233519


























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