屋根犬日記

マイレコメンなアレコレの備忘録&ご紹介をします。

ランキングニュースから思う幸福感

2020-06-27 06:32:30 | 日記



お隣の国の朝鮮日報日本語版で、平和な国ランキングのニュースが掲載されていました。


日本は、


・アイスランド


・ニュージーランド


・ポルトガル


・オーストリア


・デンマーク・カナダ


・シンガポール


・チェコ


に次いで9位なのだそうです。


平和イメージ533×408.png




世界各国での幸せの度合いは日本は、54位。


世界各国の中で安全な都市は、東京が1位で、大阪が3位。


住みやすい国では日本は、10位なのだそうです。


何が基準でこうなったのかは不明なのですが、フト目に止まりました。


昭和から平成、令和になってこの国の住みやすさや住みにくさも、この国を住処にしている皆様には、賛否両論ある事でしょう。


昭和の中頃までは高度経済成長で自然を犠牲にして、公害問題なども色々物議を醸しだしていましたが、今ではその様なニュースもめっきり減って、過疎化の里山等々の放ったらかしの自然で、山中の獣と人里の境界があいまいになってのニュースの方が、目に留まるようになりました。


公害800×798.png




都市近郊では、既に観られなくなった鳥や昆虫などの生物は、公害の時代(昭和時代)の方が、まだまだ見受けられていた様な気がします。


令和の世になって、都市近郊のインフラがこれから益々進んで、もし自然との共生が出来る様になったら、小川の中のメダカの学校や、夕焼け小焼けの赤とんぼや、紫陽花にカタツムリとかアマガエルが都市近郊ででも伺える様にもなって来て、住みやすい国のランキングが少しでもアップするかもしれません。


遠い昔、鉄の文化が日本にもたらされて製鉄の技術が発達、お隣の大陸では鉄を製造するための燃料が枯渇して、逆に日本から輸入したという歴史のお勉強をした事を覚えています。


鍛冶800掛けr722.png




日本ではいくら伐採しても製鉄できる木炭が採れる国だった。


他方、隣国の森林は、一度伐採したら再び復活させるには、もう不可能に近いくらいの自然破壊になってしまって、いくら鉄鉱石が産出されても、製鉄できる燃料が確保できず当時から既に、日本から鉄を輸入するようになってしまった。


殷(商)、秦の頃は中原の地にも森や林があって、象も住んでいたそうです。


黄砂も、今ほど酷くはなかった。


その土地に長い歴史の間で人口密度が集中してきて、喰えるものは何でも喰えないと生き延びる事も、難しかったのかもしれません。


多少の陶器を作れる環境はあったモノの、鉄器を産業革命が興るほど生産できなかったのが、かの大陸の自然が持っていた潜在能力だったのかもしれません。


三内丸山遺跡1440×1920.jpg




この国の場合、弥生時代に稲作文化を取り入れて、つまり農耕文化を取り入れて縄文時代には豊かな地方だった所が、米を中心にした文化に傾倒し過ぎた(?)あまり、豊かさを失った地方もありました。


青森地方では稲作には適さない地方だったので、縄文時代の漁撈や森林からの恵みを半ば放棄する様に、稲作にこだり過ぎて一時の住民は餓死者すら、発生させてしまった時代がありました。


司馬遼太郎の街道を行くで紹介されていて、ショッキングだった事を覚えています。


この国では農耕文化をほぼ全面的に取り入れてしまったのですが、何もかもが上手く行っていたわけでもなかった様です。


一方神々の不在(?)、あるいは自然の潜在的エネルギーに比較的に乏しいのかもしれない(?)隣の大陸では、古来よりジェノサイドが起こったり、カニバリズムなどのおどろおどろしい哀しい歴史も残っています。


活火山と地震のこの地では、四季もあって稲作に依存しなくても1万年以上にわたって、平和裏に住民は生活をしていた。


そんなイメージを、ツイツイ偏差的に想像してしまったりしてしまいす。


この島国では神々が不在の時期はほとんど無く、自然の再生力は凄まじいくらいに活性力が今でもあります。


資源の少ない国などと言われたりしていますが、果たしてそうなのでしょうか・・・?


幸福な国1667×1667.png




季節は廻り、花鳥風月、豊かな自然の恵みは、放っておいても八百万(やおよろず)の神々が、この島国の住人たちにもたらしてくれて、古来より神々には私たちは、畏敬の念をもって接して、活かされて来た感謝と喜びを表現して来ました。


狂信的ともいえる原理主義すら強要しない、この国の神々は今でも自然の恵みを与え続けてくれています。


この国では私たちが、快適な自然を蘇らせる適切なインフラさへ進めて行けば後は神々が、恵みを与えてくれる生活しやすい、この島国は国なのかもしれません。


他の地に比べて、この島国は優しい神々が、少なくとも他の地よりは、暮らしやすい環境を私たちに提供してくれている様に思ったりします。


感謝の念を忘れずにシッカリと環境インフラを整備すれば、後は勝手に自然の恵みを与えてくれる場所はこの地球上、決して多くはないのかもしれません。


過酷な自然で生活を強要される住民の皆様にも、優しい人々もいれば、厳しい人々もいる。


神々の不在な地での住民には、六道の中の修羅道より厳しいランキングが、当てはめられているのでしょうか?


このランキングニュースには、哀しい事実も含まれているのかもしれません。


無意識と意識

2020-06-24 23:12:56 | 日記

 


無意識とは普段、私たちから無視された意識。


気にも留めずに起こしている何気ない行動は、無意識のなせるワザ。


無意識をヒトは潜在意識とも言って、思考は現実化するとか引き寄せの思考と言って、無意識を意識する様になりました。


もうかなり昔から、マーフィー博士の成功法則で、潜在意識のお話は結構話題になっています。


ヒトは無意識のうちに得手・不得手や好き・嫌いを気付かぬうちに決めてしまって、日々の生活や行動に限定をかけてしまうそうです。


トラウマも、無意識のネガティブなパワーの一つ。


なので、無理矢理にでも意識して、勝手に限定してしまった、困った欠点を克服する事を、意識からの指示で無意識に逆に働いてもらって、成功を収めるという発想の延長線上に、思考の現実化や、引き寄せの法則のお話が生まれてそこから私たちに、成功の回答を送ってくれている様です。


事程左様に、無意識は負の方向にも、正の方向にも作用して得手・不得手、好き・嫌いを私たちに気付かぬうちに、強要している様です。


なので、意識を通して無意識を手なずければ、思考は現実化し、引き寄せる力も宿す事が、できるという発想です。


ここで、無意識は、意識下での嘘を見分ける事ができたり、逆に正邪の判断はしないと言った性格が、あるという事です。


そこで、意識を通して無意識に働きかけるには、チョットしたコツがあって、それが上手く行けば無意識のパワーを活用して、願望を叶えられるというワケです。


ではその方法とは、


毎日、意識下で自分は欲するものをゲットできる方向に向かって、日々行動していると現在進行形で意識し続ける事。


その毎日の意識には、未来の現実化した自分を想像して、その時の喜びや幸福感を感情にして、例えばニヤニヤしながらでも意識し続ける事。


それらの行為にネガティブな感情を、決して持たない事。


時にどうしても気乗りしない時の事を考えて、感情が喜びや希望に向かって指向できる、お気に入りのテーマソングや画像(ポスター・カタログ)、あるいは願望を忘れないように、時間のある時には紙にその願望を書くなどの工夫を凝らして、毎日忘れない様にそしてその行為に喜びとか幸福感という、ポジティブな感情を焼き付ける習慣を身に付ければ、無意識はそちらの方向に向かって、未来を誘導してくれるという事です。


願望を具現化するには、具体的な行動が必要になりますが、先ず第一に何をすべきか・・?と考える時、意識を通じて無意識に作用する上述の様な行動を習慣化させることが、何よりも近道だという事です。


具体的な行動にピンと来ないというのなら、先ずは無意識に意識を通して探させるという発想も有効な様です。


要は一時も忘れない様に意識し続けて、無意識に検索させるというイメージです。


無意識とは本来、無視できないくらいに絶大なパワーを持っているそうです。


しかも、無意識は正邪を区別しない。


嘘も通じない。


という事で上述の様な方法を駆使して、潜在意識を活用するという事です。


毎日の意識が、無意識に仕事をさせる事になっている。


その折には、感情もポジティブにして心底願っているし、成功するという強い心で生活するという事です。


ポジティブな行動は、周囲の人々にも好感度を印象付ける事にも繋がり、ラッキーもゲットできる様になるかもしれません。


なので今の自分はすべて、自分の責任から発生しているという所以なのかもしれません。


今の状況の自分に対する責任は、すべて自分が構築していたのですネ。


他人や環境には、今の自分の状況への関係はない、全て自分の作り上げた結果が今の自分だという事です。


つまりは、自力で本願出来れば、他力でも本願できる様になるのでしょう。

 


タンポポ 無意識 リセット

2020-06-10 23:47:33 | 日記

春を感じる風景のイメージは、菜の花の緑と黄色です。


淡い緑の葉に、黄色い花。


そして、暖かい風と揚げ雲雀の声。





河川敷を歩いていると、そんな風景が心地よいと実感します。


雲雀の鳴き声には、勢いを感じます。


生きる喜びを唱っている様です。


彼らはヒナのためにエサを探しに巣を離れて飛び回り、エサを集め終わっても直接巣に戻るのではなく、近くに着地して姿を隠して巣に戻って、巣の在処を隠しているそうです。


今の世の中、散歩に出て近郊の淡い緑に黄色い花の風景を拝める時、何か穏やかな気分にさせてくれます。


中でも河川敷の菜の花が、"いの一番" に思い出されますが、それ以外ではこの彩の風景と言えば、タンポポが身近に思い起こされます。


外出して、ソコに自生していて当たり前な風景。


土のある場所なら、どこででも逢える気持ちのする景色です。


タンポポは普段特に気に留めない限りは、本当に気にもならない雑草の様に、私たちの日常できわめて普遍的な存在に感じます。


どこででも見られる様な風景。


たんぽぽ512×384.jpg




でも逆に考えれば、気づかぬうちにタンポポが徐々にみられる機会が減少しくると、そこには自然が徐々に無くなって行っている、日々の生活の場から自然が遠ざかっているという感じもしたりします。


古き良き昔を思い出す時、脳裏に浮かぶのは春のレンゲ畑や、カラスノエンドウ、菜の花畑やタンポポにテントウムシとか、モンシロチョウ、あぜ道に咲いているスミレや曼珠沙華の鮮やかな景色・・・。


当時はあまりにも当たり前な景色で、気分は今より上々だった。


歳を重ねれば重ねる程、当時の風景を思い出すと、幸せだったなどと・・・。


レンゲ畑550×415.png




昔だから護岸工事なんかされていない、草々の繁みに囲まれて水音がかすかに聞こえる小さな流れの用水路。


そこに住んでいるメダカやカエル、ザリガニとか、時にはヘビやトカゲや亀もいたりして、子どもにはアメージングな経験・・・。


浅い水面と川底の丸い石ころや水草、水溜まりには色々な生物がすんでいて、夏になればホタルも光るし、トンボも飛び回り、季節感を肌身に感じさせてくれた。

林や空き地は宅地に整備されて、砂利道はアスファルトで舗装されて、路肩の水路は暗渠で地下に埋設され、木陰や打ち水もされなくなった道路は砂ぼこりがなくなったけれども、殺風景。


蚊や蠅も少なくはなったけれど、カエルの鳴き声やアマガエルさへ何時しか庭先から消えてしまいました。


ヒガンバナ550×412.png




それでもたまの息抜き、散歩で近所の自然をめでる時、もっとも気を静めてくれる風景の一つに、タンポポの黄色い花と緑が何気なく心を鎮静させてくれて、心穏やかに癒されたりします。


今では最も身近な自然、タンポポの自生を厭う人は、先ずいないでしょう。

タンポポには在来種と西洋タンポポがあるのは、結構有名な話ですが、実際には色々な種類があって、タンポポを研究されている団体もあるそうです。


野草としても古来より親しまれていて、ノンカフェインで胃腸のコンディションに貢献しくれるお茶にもなります。


しかもこれが、雑草並みの繁殖力なのは本当はありがたい事です。


レンゲのピンク イヌノフグリの青 タンポポの黄色 紫陽花の青紫などなどは、幼い子どもには結構記憶に残る風景でした。


イヌノフグリ550×412.png




今でもチョットした郊外で小さな里山なら、ヒガンバナの鮮やかな赤や小川のフナ、赤とんぼやタマムシ、水カマキリやゲンゴロウやヒキガエルやウシガエルとの遭遇もそんなに珍しい光景ではないでしょう。


昔なら、ドジョウや小鮒を捕まえて、ナマズやウナギが獲れたら父親には褒められ、母親には苦笑された記憶もあったりします。


里山の小川550×825.png




そう言えば、アジサイにカタツムリの光景がめっきり少なくなってきたような気もします。


それでも尚、タンポポは意外と頑張ってくれている様な気がします。


タンポポの色合い・景色は心穏やかになって、時に自分も活かされているという実感を呼び起こさせてくれたりして、チョットした幸福感を思い出させてくれたりもします。


またある時には、不安やネガティブな雰囲気を払しょくしてくれて、人間真っ裸で産まれ出て、真っ裸で自然に帰る真理を幾度も思い出させてくれて、世間の騒々しい波からコーヒーブレイクさせてくれたりもします。


行き詰まりやどん詰まりを感じて、外出した時上を向くのも結構です。


でもあえて足元を伺えば、タンポポの自生が何言うという事もなく、語り掛けているような気にさせられたりします。


天上天下唯我独尊


うぬぼれじゃなくて、人生一回コッキリ、コレっきりという印象です。


バラとドイツのハマナス

2020-06-09 23:25:43 | 日記
バラ550×550.png



薔薇の花ほどどこの花屋さんでも、見かける機会のある花は、そう多くはないでしょう。



バラには求愛に対する象徴的なイメージ、情熱的な印象が浮かびます。



西欧では、多くの人々に愛されている花という印象です。



その様なイメージのあるバラは、古来の日本の華道では使用されて来ませんでした。



その理由は薔薇のトゲが、忌み嫌われていたのだそうです。



昔の人々にとってバラは、そのトゲがあるために、人を寄せ付けない印象だった。



古来の華道では、そこがネックになって活けて見られる花としては、評価してもらえなかった。



欧州ではバラに関する逸話も多く、特にフランスで品種改良された 3-35-40というバラは、大戦の戦禍を逃れるために米国や敵国のドイツにまでもその種苗が、送られて保護され絶滅を逃れたという事です。



奇しくも終戦後、敵国のドイツから再び3-35-40というバラは、フランスへ帰って来たのだそう・・・。



サンフランシスコ講和条約の折、この花は参加者各自の手元に届けられて、その折に名がついたそうです。



そのバラの名は ピース 。



バラ ピース550×366.png

画像:ウィキペディア参照



さて、ハマナスもバラ科の植物。



日本沿岸で野生で見受けられるバラ科の植物で、ドイツでは結構重宝がられていて、原産の日本よりも多くの人々に親しまれているそうです。



ハマナスは寒冷地を好む花なので、ドイツでは好んで育てられているのだとか・・・・。



塩害にも強く、凍結した道路に撒かれる融雪剤に耐えるというので、路上際を賑わせているそうです。



ドイツではもはやハマナスは、日本から送られてきた花という感覚ではないそうです。



バラの育種家くらい詳しい少数の人々にしか、ドイツでは知られていないのだとか・・・。



ハマナスは食用や漢方薬にも使用されたりして、意外に重宝な花です。



ハマナス550×733.png

画像:ウィキペディア参照



バラの育成・栽培に関してはフランスが秀でていて、世界的には英国やフランスの庭園の主役的存在のイメージです。



品種の改良にも長けていて歴史も長く、私たちのイメージもバラと言えば、欧州のシンメトリックな庭園を思い浮かべたりします。



世界的にも愛されているバラにはミスターローズと呼ばれた有名な種育家がいて、その道では世界的にも有名な人物がいました。



その Mr.ローズ とは、日本人だったそうです。



日本のバラの育種家 鈴木省三 氏です。



彼は品種改良に携わっていた時、日本のバラの原種にこだわって、病気に強く耐性のある薔薇を改良して欧州に遅れを取っていた日本のバラの育種に生涯をささげた人物だった。



バラは花弁が豊富で、こんもりとふくよかなスタイルが好まれがちですが、Mr.ローズはノイバラの様な質素で小さなバラも愛したそうです。



その種育が、世界的にも認められるようになって、欧州のバラの育種家にも彼の名が、知られる様になりました。



欧州の薔薇の庭園を立体的に装飾できるようになったのは、蔓が伸びる様に成長してくれるバラを育成した彼の業績で、日本のノイバラから産まれたそうです。



ローズガーデン550×366.png



Mr.ローズ は資生堂のバラに関わる商品開発にも参加していた事は、知る人ぞ知るお話です。




北海道大沼 マガモのニュース ヘラブナ釣り

2020-06-07 14:38:01 | 日記

北海道の大沼にマガモ親子の記事が掲載されていました。



母鳥に寄り添いひな9羽 大沼公園で : 函館新聞

渡り鳥の中でもカモ系の水鳥には、数を増やして元気でスクスク育って欲しいという気持ちが、ひときわおこったりします。


そう思ってしまうのは、水かきで歩くヨチヨチ姿とあのクチバシに、どうにも愛嬌を感じてしまうからかもしれません。


鳥のヒナはどんな鳥でも愛らしいモノだけど、カモ系のヒナの愛らしさにはその様な事情があるからなのか、特に愛らしい気持ちになります。


しかも彼らは草食系の印象があるし猛禽類に狙われる立場なので一層、守れるものなら守ってあげたい気持ちにもなります。


他方、カモは鴨。


その美食には人様もその恩恵に授かっているワケで上述の様な画像を見てしまうと、美味しい鴨南蛮とかカモ鍋の美食にもツイツイ食い気が萎えてしまう事もあったりしそうです。


渡り鳥は否、一般に鳥類は捕獲を禁じられていて、一般の私たちには勝手に捕まえて飼育する事も、叶わなくなりました。


なので鳥を飼うのなら、ペットショップを通して愛玩するしか術は、ありません。


あるいは夜店で雄鶏を買って育てるか・・・。


ごくマレに、有精卵を温めて牝鶏やウズラが孵った話を聞いたりします。


昨今では少なくなった猟師が、一部の場所と期間で猟で取れたりした野生の鳥の肉を味わった事のある方々なら、その味覚に忘れられない思いをした事も少なくないでしょう。


沢山飛んで来てくれたなら、鹿やイノシシのように沢山育ってくれたのならという、一抹のあさましい食気を覚えてしまうのは何も私だけではないでしょう(^^ゞ


子ガモがカラスの餌食になるより、一羽でも多く渡って欲しいという気持ちはカラスには申し訳ないけれど、美食家ならそれが人情というモノ・・・?


そのカラスでさへ、自然の中でスクスクと育ったカラスなら絶品の味なのだとか・・・?


さすがにコウモリを食そうとまでには考えが及びませんが、私たち "人" というのは結構、悪食なモノなのでしょう。


肉食は人類の知能に大きな貢献をしたそうです。


鶏肉や獣の肉、魚に至るまで生物を食して生物は成長する。


中には植物系のみを食する生物もいるけれど、海陸の別を問わず雑食性なのがほとんどの生物。


大雑把に言ってしまえばそんなイメージ。


グレやアイゴ、ブダイも一応草食性の魚だと言われているけれど、オキアミで釣れます。


さて、北海道の大沼と言えば、巨大なヘラブナが釣れるというヘラブナ釣り師の間では有名な釣り池。


ヘラブナは元々、琵琶湖水系で育てられたフナを釣るというレジャーのために交配して人工的につくられた魚。


犬や猫、豚や牛や鶏の様に、人のワガママのために産まれ出た魚。


彼らに対する幸福論はこの際置いておいて、母なる惑星では試行錯誤で多くの種が栄えたり絶滅したり・・・。


種の栄枯盛衰は自然選択というけれども、その中に人類の恣意的な行いも神様はお見通しで、もしかしたらその中に含まれているのかもしれません・・・?


子育てをする生物は知能が高いのか、それとも始めからそういう風に組み込まれているのか・・・。


魚類や昆虫の中にも一定期間、卵を保護して種の保存を図っているモノもいる事は判っています。


哺乳類と鳥類だけが、子育てのためにエサを運んでくる時期があるのは、何でなんでしょう・・・?


とはいえこれからの季節、大沼で大きなヘラブナを狙いながら、子ガモを率いるマガモの


姿を観られるのも、悪い気はしません。


釣り好きな人なら、そんな場面も悪くはないのでは・・・?



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