現在過去未来は直線ではなく同時に存在する。
というのはよく言われますが、私がこの概念をなんとなく受け入れられたのはこの本のおかげだったと思います。
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/166096af.1c6ccba1.166096b1.63e411c9/?me_id=1275488&item_id=11392436&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F2412%2F0015293697l.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F2412%2F0015293697l.jpg%3F_ex%3D300x300&s=300x300&t=pict)
(海の網状模様の表紙)
リチャード・バックの『ONE』です。
リチャード・バックの著書で有名なのは『かもめのジョナサン』で、題名を聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
当時、私は歌手のKATSUMI(←カメリアダイヤモンドのCMの「危険な女神」という曲が有名)が大好きで、この物語をモチーフに作られた「ONE」という曲が入ったアルバムを聴いていました。
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/166096af.1c6ccba1.166096b1.63e411c9/?me_id=1275488&item_id=10186687&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F530%2F0000827785l.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F530%2F0000827785l.jpg%3F_ex%3D300x300&s=300x300&t=pict)
(今調べたら発売が1991年だった。そんなになるんだ…)
それが縁で『ONE』を読みました。
地球にいれば
「だって、過去は今より前のことだし、未来は今より先のことだし、時間は直線に決まってるじゃん」
と思うのは当たり前で、自分もそう思っていました。
それがどうしてこの本で新しい概念が受け入れられたかというと、自分が知っているものにうまく例えられていたからです。
30年も前に読んだ本なので、もしかしたら記憶違いもあるかもしれないのですが、ストーリーをかいつまんで説明すると、
主人公は著者であるリチャード・バック自身と奥さん。
彼は奥さんと一緒に自家用飛行機に乗って(彼は現実でも飛行機の操縦が好き)出発します。
海の上空で、つまり空中で、飛行機が止まってしまうという不思議なトラブルにみまわれ、このトラブルを解決するために海への着水を試みます。
着水すると、そこで今の現実とは違う現実を体験します。
リチャードが死んで奥さんが生き残る世界。
若かりし頃のリチャードが戦争に参加し、飛行機で爆弾を落とすことになるのですが、その街にはまだリチャードと会っていない奥さんが住んでいるという世界。
などなど。
1つのバージョンの世界を体験し終わったら飛行機に戻ってきます。そして再び着水するとまた別の世界を体験するのです。
下に広がる海には『ONE』の表紙のような網状模様があります。どうやら、その網目の一本一本がいわゆる平行現実、パラレルワールドになっていて、着水するたびにその一つ一つを体験しているようなのです。
というお話です。(間違っている部分があるかも)
海の網状模様になっているパラレルワールド(タイムライン)。
今とは違うバージョンの現実も、過去も、未来もすべてが同じ平面上にあり、上空の飛行機から見たらただ場所が違うだけ。
網目の一本一本は交差して影響を与え合っている場所があるかと思えば、またわかれる。
近い場所の世界同士は交差しやすく状況も似ているだろう。
遠く離れた場所の世界は全くかけはなれたバージョンの世界になっているだろう。
この時はまだスピリチュアル的なことにふれていなかった頃なので、ただの物語として読んでいました。
後に、「時間は直線ではない」という概念にふれたときに一番に連想したのがこの物語の「海の網目」でした。
今の自分自身がいる現実の隣の網目には、あの時あれを選択しなかった自分がいるだろう。
ある場所の網目には過去の自分がいる。その隣には違ったバージョンの過去があるだろう。そこから少し離れた場所には、前世の自分が。
またある場所には未来の自分が。その隣には別の選択をした未来の自分が。その隣にはまたほんの少し違う未来の自分が。
もっと離れた場所には来世の自分が。
こんな風に世界は数限りなく存在する。
そしてそれは同じ平面上に、つまり同時に存在する。
上空の自分はそれらの全てを取りまとめる自分で、それはより神に近い自分であり、ハイヤーセルフよりももっと高い次元の自分。
何を学ぶかを決め、その網目のどこに落ちるか、その網目のどこに焦点を当てるかを決めている「大いなる自分」。
というイメージでした。
そして今地球で起きているのは、上空にいるのは人類の集合意識で、「今までの地球の周波数を手放して、目覚めて新しい地球に行きましょう」という人たちは東の海へ、「今までどおり眠ったままで」という人たちは西の海へ向かっているようなものだと、私はイメージしています。
この分岐点にいる今、東の海に行こうと思った人たちへの波の後押しがすごくて、海流に乗ってどんどん東に流れて行くことができる、ということです。
そして、東を選んだ人たちと西を選んだ人たちがどんどん離れていって、網目も交わらなくなって、太平洋にある網と大西洋にある網くらいにわかれてしまって簡単には行き来ができなくなる、わかれてしまう、というのをゲートが閉じると表現されているのだと、私は解釈しています。
もちろん東の海と西の海も『ONE』を引き合いにした、ただの比喩表現で、本当に物質世界で東や西に行くわけではありません。
単に自分がすでに知っていること、理解していることに例えたらわかりやすいのでそういう表現にしているだけで、「ゲート」も同じようなものだと思っています。
ドロレス・キャノンなど「地球が2つにわかれる」と表現している方たちもおられます。
と、ちょっと小難しいことを書いてしまいました。
最初は現在過去未来は同時に存在するとだけ書こうと思ったのですが、「ゲート問題」にからめてしまいました。
というのが、以前書いた「ゲート問題がYoutubeですごいことになっていた」という記事がいまだに読まれていて、多分このブログで一番読まれている記事なんです。
フラワーエッセンスの記事よりも読まれている・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
あ、もちろん書いた文章をたくさんの方に読んでいただけるのはうれしいです。
それで、また書いちゃいました。
はい、そうです。ちょっと釣り入ってます…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
*「ゲート問題がYouTubeで…」の記事を改めて読み返してみたら、「ゲートが2020年冬至に完全に閉まる」って書いちゃってました。正しくは2021年ですよね。どうもすみませんでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5e/d447c05acd62c17d67e8ff120d9e2de3.jpg)
というのはよく言われますが、私がこの概念をなんとなく受け入れられたのはこの本のおかげだったと思います。
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/166096af.1c6ccba1.166096b1.63e411c9/?me_id=1275488&item_id=11392436&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F2412%2F0015293697l.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F2412%2F0015293697l.jpg%3F_ex%3D300x300&s=300x300&t=pict)
(海の網状模様の表紙)
リチャード・バックの『ONE』です。
リチャード・バックの著書で有名なのは『かもめのジョナサン』で、題名を聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
当時、私は歌手のKATSUMI(←カメリアダイヤモンドのCMの「危険な女神」という曲が有名)が大好きで、この物語をモチーフに作られた「ONE」という曲が入ったアルバムを聴いていました。
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/166096af.1c6ccba1.166096b1.63e411c9/?me_id=1275488&item_id=10186687&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F530%2F0000827785l.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbookoffonline%2Fcabinet%2F530%2F0000827785l.jpg%3F_ex%3D300x300&s=300x300&t=pict)
(今調べたら発売が1991年だった。そんなになるんだ…)
それが縁で『ONE』を読みました。
地球にいれば
「だって、過去は今より前のことだし、未来は今より先のことだし、時間は直線に決まってるじゃん」
と思うのは当たり前で、自分もそう思っていました。
それがどうしてこの本で新しい概念が受け入れられたかというと、自分が知っているものにうまく例えられていたからです。
30年も前に読んだ本なので、もしかしたら記憶違いもあるかもしれないのですが、ストーリーをかいつまんで説明すると、
主人公は著者であるリチャード・バック自身と奥さん。
彼は奥さんと一緒に自家用飛行機に乗って(彼は現実でも飛行機の操縦が好き)出発します。
海の上空で、つまり空中で、飛行機が止まってしまうという不思議なトラブルにみまわれ、このトラブルを解決するために海への着水を試みます。
着水すると、そこで今の現実とは違う現実を体験します。
リチャードが死んで奥さんが生き残る世界。
若かりし頃のリチャードが戦争に参加し、飛行機で爆弾を落とすことになるのですが、その街にはまだリチャードと会っていない奥さんが住んでいるという世界。
などなど。
1つのバージョンの世界を体験し終わったら飛行機に戻ってきます。そして再び着水するとまた別の世界を体験するのです。
下に広がる海には『ONE』の表紙のような網状模様があります。どうやら、その網目の一本一本がいわゆる平行現実、パラレルワールドになっていて、着水するたびにその一つ一つを体験しているようなのです。
というお話です。(間違っている部分があるかも)
海の網状模様になっているパラレルワールド(タイムライン)。
今とは違うバージョンの現実も、過去も、未来もすべてが同じ平面上にあり、上空の飛行機から見たらただ場所が違うだけ。
網目の一本一本は交差して影響を与え合っている場所があるかと思えば、またわかれる。
近い場所の世界同士は交差しやすく状況も似ているだろう。
遠く離れた場所の世界は全くかけはなれたバージョンの世界になっているだろう。
この時はまだスピリチュアル的なことにふれていなかった頃なので、ただの物語として読んでいました。
後に、「時間は直線ではない」という概念にふれたときに一番に連想したのがこの物語の「海の網目」でした。
今の自分自身がいる現実の隣の網目には、あの時あれを選択しなかった自分がいるだろう。
ある場所の網目には過去の自分がいる。その隣には違ったバージョンの過去があるだろう。そこから少し離れた場所には、前世の自分が。
またある場所には未来の自分が。その隣には別の選択をした未来の自分が。その隣にはまたほんの少し違う未来の自分が。
もっと離れた場所には来世の自分が。
こんな風に世界は数限りなく存在する。
そしてそれは同じ平面上に、つまり同時に存在する。
上空の自分はそれらの全てを取りまとめる自分で、それはより神に近い自分であり、ハイヤーセルフよりももっと高い次元の自分。
何を学ぶかを決め、その網目のどこに落ちるか、その網目のどこに焦点を当てるかを決めている「大いなる自分」。
というイメージでした。
そして今地球で起きているのは、上空にいるのは人類の集合意識で、「今までの地球の周波数を手放して、目覚めて新しい地球に行きましょう」という人たちは東の海へ、「今までどおり眠ったままで」という人たちは西の海へ向かっているようなものだと、私はイメージしています。
この分岐点にいる今、東の海に行こうと思った人たちへの波の後押しがすごくて、海流に乗ってどんどん東に流れて行くことができる、ということです。
そして、東を選んだ人たちと西を選んだ人たちがどんどん離れていって、網目も交わらなくなって、太平洋にある網と大西洋にある網くらいにわかれてしまって簡単には行き来ができなくなる、わかれてしまう、というのをゲートが閉じると表現されているのだと、私は解釈しています。
もちろん東の海と西の海も『ONE』を引き合いにした、ただの比喩表現で、本当に物質世界で東や西に行くわけではありません。
単に自分がすでに知っていること、理解していることに例えたらわかりやすいのでそういう表現にしているだけで、「ゲート」も同じようなものだと思っています。
ドロレス・キャノンなど「地球が2つにわかれる」と表現している方たちもおられます。
と、ちょっと小難しいことを書いてしまいました。
最初は現在過去未来は同時に存在するとだけ書こうと思ったのですが、「ゲート問題」にからめてしまいました。
というのが、以前書いた「ゲート問題がYoutubeですごいことになっていた」という記事がいまだに読まれていて、多分このブログで一番読まれている記事なんです。
フラワーエッセンスの記事よりも読まれている・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
あ、もちろん書いた文章をたくさんの方に読んでいただけるのはうれしいです。
それで、また書いちゃいました。
はい、そうです。ちょっと釣り入ってます…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
*「ゲート問題がYouTubeで…」の記事を改めて読み返してみたら、「ゲートが2020年冬至に完全に閉まる」って書いちゃってました。正しくは2021年ですよね。どうもすみませんでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5e/d447c05acd62c17d67e8ff120d9e2de3.jpg)