2-12 各政党の憲法改正諸案
敗戦後、それまで非合法化されていた日本共産党が再建され、また、共産党を除く戦前の無産政党関係者により日本社会党が結成された。他方、保守政党では、非翼賛系議員を中心とした日本自由党と旧大日本政治会の多数を結集した日本進歩党が相次いで結成された。これら左右の各政党は、組織が整うにつれて、順次、独自の憲法改正草案を発表していった。
共産党の「新憲法の骨子」は、1945(昭和20)年11月8日の全国協議会で決議されたものである。なお、当日決議されたものは、掲出資料より1項目多く全7項目となっていた。翌年の6月29日に、条文化された憲法草案が発表されたが、その特徴は、天皇制を廃止して共和制を採用していること、自由権・生活権等が社会主義の原則に基づいて保障されていることである。
自由党は、同党の憲法改正特別調査会の浅井清慶大教授と金森徳次郎が中心となり、「憲法改正要綱」を作成し、1946(昭和21)年1月21日の総会で決定した。また進歩党は、2月14日の総務会で「憲法改正要綱」を決定した。両党の案は、天皇大権の廃止、制限や人権の拡張に関する条項があるものの、共和制を否定して、天皇の位置付けを統治権の「総攬者」もしくは統治権を「行ふ」ものとしており、総じて明治憲法の枠組みを堅持した保守的なものであった。
一方社会党は、民間の憲法研究会案の作成にも加わった高野岩三郎、森戸辰男等が起草委員となり、党内左右両派の妥協の産物という色合いが強い「憲法改正要綱」を、2月23日に発表した(掲出資料の表記は2月24日発表)。同要綱は、「主権は国家」にあるとし、統治権を分割、その大半を議会に、一部を天皇に帰属させることで、天皇制を存続するとともに、議会の権限を増大し、国民の生存権の保障や死刑制度の廃止等を打ち出した点に特色がある。
なお、共産党案以外の3点の掲出資料は、いずれも憲法問題調査委員会において配布された参考資料の一部である。
資料名 | 日本共産党の新憲法の骨子 |
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年月日 | 昭和20年11月11日 |
資料番号 | 佐藤達夫文書 26(「政党その他の団体の憲法改正案」の内) |
所蔵 | 国立国会図書館 |
原所蔵 | |
注記 | 当該資料は、当時の憲法問題調査委員会において配布された資料ではなく、後年に憲法制定関連の資料の一つとして作成されたものと思われる。11月8日の全国協議会で決議されたものには、第4項として「民主議会の議員は人民に責任を負ふ、選挙者に対して報告をなさず、その他不誠実不正の行為があった者は即時辞めさせる」とある。以下第5項から第7項の部分は、本資料中の第4項から第6項に該当する。(1945年11月12日付『朝日新聞』) |
資料名 | 自由黨 憲法改正要綱 |
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年月日 | 昭和21年1月21日 |
資料番号 | 入江俊郎文書 9(「憲法問題調査委員会関係」の内) |
所蔵 | 国立国会図書館 |
原所蔵 | |
注記 |
資料名 | 進歩黨 憲法改正要綱 |
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年月日 | 昭和21年2月14日 |
資料番号 | 入江俊郎文書 11(「憲法改正参考書類(憲法問題調査委員会資料)」の内) |
所蔵 | 国立国会図書館 |
原所蔵 | |
注記 |
資料名 | 社会黨 憲法改正要綱 |
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年月日 | 昭和21年2月24日発表 |
資料番号 | 入江俊郎文書 11(「憲法改正参考書類(憲法問題調査委員会資料)」の内) |
所蔵 | 国立国会図書館 |
原所蔵 | |
注記 |
資料名 | 日本共産黨の日本人民共和國憲法(草案) |
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年月日 | 1946年6月29日発表 |
資料番号 | 憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)42(「憲資・総第10号 帝国憲法改正諸案及び関係文書(二)-政党その他の憲法改正案」の内) |
所蔵 | 国立国会図書館 |
原所蔵 | |
注記 | 当該資料は、憲法調査会の資料として昭和32年に翻刻刊行されたもの。6月29日発表当時のものには、当該の表題は付されておらず、「日本共産党憲法草案」となっている。(1946年7月15日付『アカハタ』) |
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