今週の倫理 2010年7月31日~8月6日 675号より
梅雨明けと共に、日本列島は猛暑に見舞われています。この暑さと共に景気も上昇してくれると有難いのですが、なかなか思うようにはいきません。
売上げ減少に歯止めがかからずに赤字を余儀なくされ、その現状を打開できずに呻吟する経営者も少なくありません。
私たち倫理法人会が学ぶ生活法則である純粋倫理では、こうした企業にとって厳しい状況=苦難をどう捉えるのでしょうか。そのためのアプローチが二つあります。
一つは、苦難は「なぜ起こるのか」という観点で、すなわちその原因を求めるものです。倫理運動の創設者・丸山敏雄は、それを「わがまま」と説きました(もちろん先天的な疾患など、生まれながらに原因を抱えている場合もあります)。企業であれば、経営者がリーダーとして、純粋倫理という原理原則に沿わない「不自然な生活態度」ということになります。
いま一つのアプローチは、苦難は「何のために起こるのか」ということです。この問いに対して、丸山敏雄は明確に「苦難は人を殺すためにあるのではない。人をより善くし、より一歩を進めさせようとしてあるのである」と答えています。
これら二つのアプローチを時間軸上に置いてみると、原因を求める「なぜ」は過去に遡ろうとするものであり、「何のために」は未来に向かうものであるといえるでしょう。この両方をしっかり持ち合わせることこそが、苦難を乗り越えるばかりでなく、それを活かして、よりよい人生を歩んでいく上で非常に重要な点となるのです。
さて、日本には古来から、地震などの天変地異、また病気などの個人的な苦しみに至るまで、およそ人に歓迎されない出来事を天のお知らせと捉える「垂示思想」がありました。
「苦難とは、何かを知らせたり、教えたりするために起きてくること」と、より前向きに捉えたのです。すなわち苦難とは、それを受けた人にもたらされる情報に他なりません。
そうした情報を、まずは「これがよい」と受け止めることが大切になります。そして、その原因を的確に捉え、自身の生き方をより善くしていく時に、それはかけがえのない価値を持ちます。ただし、「これがよい」と受け止めるのは、何もそれが自分のためになるからだけではないのです。丸山敏雄は次のように述べています。
実をいうと、苦難が世の中にあるのは、戒めになるとか、為になるとか、そんな欲得ずくのことではない。また、これがよい結果に終わるとか、喜びに転ずるとか、そうした意味から苦難をたたえるのでもない。
苦難はそのまま美である。幸福と苦難と表裏一体、善と悪と陰陽不二、個々に宇宙無限の美がある。(中略)
ここまでくると、苦難はそのままで、美に光り、善に輝いてくる。苦難そのまま「がよい」のである。
(『人類の朝光』)
歴史的な大転換の時代に、自身の命をまずます輝かせ、企業とそれに関わる人、地域、ひいては日本の未来を、より善く切り拓いていこうではありませんか。
今日のモーニングセミナーでいただいた資料。
“苦難はそのままがよい”こういった心境にいずれなれるのか。
死にたいくらい悩んで、死にたいくらい辛くて、どうしようもないときに、一人でいたら、
きっと“苦難はそのままでよい”とは思えないと思う。
だからって自ら命を絶つことを容認するわけじゃない。
でも、きっと苦しかったんだろう、辛かったんだろう、何ひとつ、相談に乗ってあげられず、悔いだけが残ります。責めることはありません。きっと楽になれたと思う。大切な人のそばで、笑顔でいると信じています。
マイナスの感情は、とてつもなく大きく強いです。
自分を飲み込み、大切な人までも引きずり込み、呑み込んでいきます。
だからこそ、プラス思考へ切り替えなきゃ。それが自分ひとりでできなかったら、だれかに相談しよう、話を聞いてもらおう、ブログでも、メールでも、なんでもいいと思う。“人と繋がること”がプラスへのきっかけになると思う。
こんな話、ブログの記事にすることは適切じゃないことかもしれません。
ただ、同じように悩んでいる人がいたら、なにかのきっかけになればと思い、掲載させていただきました。
私も気持ちを切り替えていきます。
梅雨明けと共に、日本列島は猛暑に見舞われています。この暑さと共に景気も上昇してくれると有難いのですが、なかなか思うようにはいきません。
売上げ減少に歯止めがかからずに赤字を余儀なくされ、その現状を打開できずに呻吟する経営者も少なくありません。
私たち倫理法人会が学ぶ生活法則である純粋倫理では、こうした企業にとって厳しい状況=苦難をどう捉えるのでしょうか。そのためのアプローチが二つあります。
一つは、苦難は「なぜ起こるのか」という観点で、すなわちその原因を求めるものです。倫理運動の創設者・丸山敏雄は、それを「わがまま」と説きました(もちろん先天的な疾患など、生まれながらに原因を抱えている場合もあります)。企業であれば、経営者がリーダーとして、純粋倫理という原理原則に沿わない「不自然な生活態度」ということになります。
いま一つのアプローチは、苦難は「何のために起こるのか」ということです。この問いに対して、丸山敏雄は明確に「苦難は人を殺すためにあるのではない。人をより善くし、より一歩を進めさせようとしてあるのである」と答えています。
これら二つのアプローチを時間軸上に置いてみると、原因を求める「なぜ」は過去に遡ろうとするものであり、「何のために」は未来に向かうものであるといえるでしょう。この両方をしっかり持ち合わせることこそが、苦難を乗り越えるばかりでなく、それを活かして、よりよい人生を歩んでいく上で非常に重要な点となるのです。
さて、日本には古来から、地震などの天変地異、また病気などの個人的な苦しみに至るまで、およそ人に歓迎されない出来事を天のお知らせと捉える「垂示思想」がありました。
「苦難とは、何かを知らせたり、教えたりするために起きてくること」と、より前向きに捉えたのです。すなわち苦難とは、それを受けた人にもたらされる情報に他なりません。
そうした情報を、まずは「これがよい」と受け止めることが大切になります。そして、その原因を的確に捉え、自身の生き方をより善くしていく時に、それはかけがえのない価値を持ちます。ただし、「これがよい」と受け止めるのは、何もそれが自分のためになるからだけではないのです。丸山敏雄は次のように述べています。
実をいうと、苦難が世の中にあるのは、戒めになるとか、為になるとか、そんな欲得ずくのことではない。また、これがよい結果に終わるとか、喜びに転ずるとか、そうした意味から苦難をたたえるのでもない。
苦難はそのまま美である。幸福と苦難と表裏一体、善と悪と陰陽不二、個々に宇宙無限の美がある。(中略)
ここまでくると、苦難はそのままで、美に光り、善に輝いてくる。苦難そのまま「がよい」のである。
(『人類の朝光』)
歴史的な大転換の時代に、自身の命をまずます輝かせ、企業とそれに関わる人、地域、ひいては日本の未来を、より善く切り拓いていこうではありませんか。
今日のモーニングセミナーでいただいた資料。
“苦難はそのままがよい”こういった心境にいずれなれるのか。
死にたいくらい悩んで、死にたいくらい辛くて、どうしようもないときに、一人でいたら、
きっと“苦難はそのままでよい”とは思えないと思う。
だからって自ら命を絶つことを容認するわけじゃない。
でも、きっと苦しかったんだろう、辛かったんだろう、何ひとつ、相談に乗ってあげられず、悔いだけが残ります。責めることはありません。きっと楽になれたと思う。大切な人のそばで、笑顔でいると信じています。
マイナスの感情は、とてつもなく大きく強いです。
自分を飲み込み、大切な人までも引きずり込み、呑み込んでいきます。
だからこそ、プラス思考へ切り替えなきゃ。それが自分ひとりでできなかったら、だれかに相談しよう、話を聞いてもらおう、ブログでも、メールでも、なんでもいいと思う。“人と繋がること”がプラスへのきっかけになると思う。
こんな話、ブログの記事にすることは適切じゃないことかもしれません。
ただ、同じように悩んでいる人がいたら、なにかのきっかけになればと思い、掲載させていただきました。
私も気持ちを切り替えていきます。