Ryo's factory

札幌在住の四児の父親のブログです。

『ホタル帰る』より その弐

2010年08月18日 | 日記
『ホタル帰る』より抜粋

 第四五振武隊隊長、藤井一中尉は特攻出撃も終わりに近い五月二十八日(知覧からの出撃は事実上六月十一日で終わる)、部下を率いて出撃、還らぬ人となった。

 戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、みずから特攻兵を志願した。

 藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように藤井中尉の志願は却下された。しかし、「教え子が死んでいくのに自分だけがおめおめと生きているわけにはいかない」という彼の信念は変わらなかった。

 妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。夫はサイド却下されると、今度は血書して願書を提出した。夫の決意の固さを知った妻は、後顧の憂いを絶つために、昭和十九年十二月十五日、誓うを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、という遺書が残されていた。血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。






藤井中尉の行動の善し悪しを論ずるつもりはありません。
ただ、こういった事実が、日本の歴史の中にあるということを、
日本人として、忘れてはいけないと思います。