左心低形成症候群ってご存知ですか?

お腹の中の赤ちゃんが先天性心疾患の左心低形成症候群という指定難病なので、ブログを始めた新米パパ

集中治療室

2025-01-31 13:00:41 | 日記
手術後は集中治療室に移動となっていた。

よく聞く「ICU」という所です。

術後翌日も2日目も、子供は眠って呼吸管理をしてもらいながら生きていた。

子供の術後2日目には妻も退院となっていた。

家族が1人でも帰ってきてくれるのは、とても有難いものだった。

心的に。

1人だと楽しいことも苦しいこともタイムリーに共有できない。

ましてや子供の事の色んな気持ちはLINEでやり取りしてはいても、表情や声で伝わるわけではないので、同じ文言だとしても大きな違いがある。

退院前に子供に会いに。

行くと毎日その日担当してくれる看護師さんが2名いて、状態を伝えてくれる。

そして心臓外科の執刀医も伝えてくれる。

「今は起きちゃうと痛みやしんどさで泣くと呼吸状態が悪くなるので、麻酔で眠ってもらっています。気になるのがおしっこの出がちょっと気になるんですよねぇ。あと、保護はしているけど胸が開いている状態なので、明日取って洗浄をします。感染のリスクもありますので。その時に両側肺動脈絞扼術で閉めたバンドの確認をしてみますね。数値的になんとなく緩いんじゃないかな?と思ってますんで」との事だった。

その時には、「わかりました。お願いします。」と頭を下げて言うしかなかったが、今思えば「胸を開いて洗う」ってどうやって洗うの?とは思っている。

なんかもう2ヶ月前には予想してなかった事が起きて、その起きた事について「え?え?ナニソレ?」みたいなワードやそういう世界があってでもその世界にもきっちり人がおるという現実でしんどくて辛いことなのにパラレルワールドに来てるのでは?と思うくらい、理解はすれど中々慣れないなぁと感じていた。

テレビドラマで見るようなICUだとガラス越しで状態を見るしかないイメージがあったが、本人の寝かされている小さな小さなベッドの横まで行って、面会ができた。

まだ変わらず寝ている我が子の触って大丈夫そうな所を指で触りながら「頑張っとるねー!偉いよー!」と伝える。

それしか出来ないのだ。

色んなドクターや看護師さんに支えられている事にとても感謝している。

命の重みという言葉があるが、これはある一定の年齢までだな。なんて感じた。

私は、元々意識の無い延命治療を何故?と思っていた。

でもそれは、私が介護をしていて「高齢な」人を見てきたからだなと思った。

ある年齢だと多くの家族さんは「もう長生きしたよねぇ。そのまま自然の形で。」となる事も多く、これが世の理だとも感じていた。

しかし、今置かれている状況はどうだろう?

子供はある意味延命治療をしていると仮定も出来なくはない。

まぁ法律の部分もあるからね?そこは置いといて。

よくあっちゃいけないけど耳にする言葉「まだ若いのに」「若くして命を」なんて言葉。

自分の子供であるということを差し引いても「若い人が亡くなる」というのは、大衆的にも心象が悪いものだなと思った。

先程は差し引いたが、それを加えるとなると、「若い自分の子供が亡くなる」なんて想像を絶する事だろう。

子供の誕生に際して、私は私自身が色んな価値観が少しずつ変わった気がする。

「命があればこそ」

これに尽きるのでは無いか。

テレビでとある方も言っていた「命があれば丸儲け」本当にそうなのかもしれない。

しかし、この子の行く末はどうなのだろう。

産まれてきたことを感謝してくれるだろうか?

産まれてきたことを悲観するかもしれない?

最近よく目にする「産んでくれなんて頼んだことない」というワード。

本当にそうだよな…と思う。

でも、元気で反抗が出来るならそれは幸せな事なんだと、若い人たちには伝えたい。

それは反抗出来る口があって、体力があって、自分の考えがあるから。

それは反抗されたって受け止めてくれる親の聞く耳があって、体力があって、愛があるから。

きっと行ってしまった事を後悔して親孝行をしてくれる若い子達がほとんどであると信じている。

うちの子は、そもそもしっかり反抗出来る年齢まで、生きていられるかわからないのだ。

命があってなんぼ。

出来れば、自分に反抗してめちゃくちゃ罵倒してくれて、その後も大人になって、母親に、感謝を述べてくれる。

そんな未来が待っていることを、俺は信じ続けたいなと感じた。

子供もしんどいと思う。

妻であり、母親もきっと我が子を産んでいるからしんどいと思う。

ならば自分が、頑張らねばならない。

大黒柱だからね!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿