遅くなってごめんなさい。
息子が産まれて、妻が無事に手術が終わり、一夜が明けた。
出産が終わってからは、妻は自分の体のダメージと向き合いながら、退院に向けても短い時間の間で整えていく。
退院まで6日間。
女性って…母親ってすげぇなぁ…。
6日で整うわけも、完全に回復する訳もないのだから、こうなれば夫の出番ですな!!!
子供の面会時間はご時世柄・季節柄13:00~15:00の間と言われた。
しかし妻は入院しているので朝から夜の8時まで自由に来れますとのこと。
子供に関わりたいと思う私は、「パパにも優しぃしてくれぇ」と千鳥のノブばりの心の声。
でも、大事なのは我が子が元気かどうか。
そして、最初の手術に向けての準備ですね。
出産の翌日に、子供の面会へ。
NICUに行くとちょうどドクターが子供を診てくれていた。
両目にガーゼをしていて芸人みたいな姿の子供がいてびっくりした。
ドクターが「あっ!お父さん!改めましてご出産おめでとうございます。今ですね黄疸が朝から出てましてその治療で紫外線を当てさせて貰ってました。」との事。
俺「あぁ!そうなんですね!びっくりしました笑 ありがとうございます」
ド「それとですね。昨日産まれて1日経過したんですけど、肺の方が普通の赤ちゃんでしたら産まれてくると自分の呼吸で徐々に広がっていくって説明を受けられましたよね?」
俺「はい。聞いてました。」
ド「それで1日観させて頂いてたんですけど、左の肺がペチャっと潰れてて広がってこないんですね。なので、口から呼吸器を入れて、呼吸をアシストする形をとらせてもらってます」との事。
心肺機能と1つの言葉であるように、心臓だけじゃなくて肺にもそういう弱さが出ちゃうのかーと思いつつ
俺「そうなんですね…。ありがとうございます。これは年齢とともに治ったりとかするもんですか?」と聞く。
ド「年齢によって改善される事もあります。ただ現状の呼吸がしんどいと心臓にも負担が来てしまいます。心臓にフォーカスを当てつつになりますが、しんどくなっちゃう要因は回避して来るべき手術に備えて行くのが良いかなと判断させて頂きました。」
正直、この時に話した先生めちゃくちゃええんですよ。
話し方も丁寧で、なんというか雰囲気的に子供好きそうなものがあって個人的に話がしやすい方です。
俺「そうなんですね。ありがとうございます。」
とは言え、心臓がまともではない状態で、肺もちゃんと現状きっちりとは機能していないと聞くとショックがあった。
しかしそれは、普通に元気をプラスマイナスで0とすると、心臓の事で気持ちはマイナス10になってる所に肺の事でマイナス値が少し増えて、マイナス15になった感じなので、めちゃくちゃ落ち込むとかよりも、じんわりと理解して噛み砕いて受け入れる他なかった。
その後は、妻にも同様の説明がされた。
次に、メイン手術1回目に向けての説明…となる前に、1つ壁が立ち塞がった。
それは、心房中隔に普通は空いていて、血液の循環を回しているその空間が極めて小さいとの事だった。
簡単に言うと、
ペットボトルを想像してください。
ペットボトルの飲み口を開けて、常に蛇口から水を入れます。
ペットボトルのおしりに小さな穴を開けるとします。
その時、ペットボトルのおしりの穴が小さいとそこから出る水は少ししか出なくて、飲み口から溢れますよね?
という状態が心臓で起きてます。
良いことでは無いことは想像出来ると思います。
良くないんです〜笑
だから、敢えて心臓に穴を開けます。
血液循環のために。
赤ちゃんでたまに、心房中隔欠損症という、心臓に穴が空いて産まれてしまう子がいます。
それの逆パターンですね。
何が悪いって、欠損症は経過観察で、成長の過程で治る事もあること。
うちの子は、穴を造る。
これは成長で穴が広がるのを待ったりする時間がないと言うこと。
産まれて2日目で、分かっていたことだが、本当に普通じゃない。
我が子が、うちの子と同じ病気だった親達はこんなに辛く、虚しく、なんとも言えない喪失感と戦いながら、子供に愛情と希望を注いでいるのかと思うと、本当に頭が上がらないと思った。
そして、ドクターからカテーテル手術をします。と話を受ける。
何がすごいってこのカテーテル手術がメイン手術ではなく、メイン手術に向けての準備の1つなのだからすごい。
もはや壮絶である。
産まれながらに、色んなチューブが繋がれ、口に呼吸がされている。
顔の半分が見えないと言っても過言では無い。
手や足にももちろんテープがされ、上半身と下半身でそれぞれ、spo2が常時測定されている。
動くと正常に測定されないから、足も固定されている。
産まれているが、尊厳とは…と少し考えてしまう事もあったが、私達はこの子に賭けると決めたから。
そして、親のエゴを押し付けられたこの子は、辛いことが沢山待ち受けているんだよなぁ。と思わない日は、10月中頃から今日に至るまで、無かった。
自分が死ぬまで、思い続けるだろう。
でも、それを凌駕するくらい自分で自分の存在意義や幸せを作って感じてくれたらいいなと思うし願うばかり。
そして、その穴を開けるべくところの心臓の壁がどうもぶ厚い様に思います。
カテーテルで開かなければ、最初の開胸術の時に開けて、メイン手術に同時に臨むかもしれないですとの事。
重い。
ドラマやテレビで聞くような言葉が、こんなに連日で畳み掛けるように、耳に届くことがあるのだろうか。
事実は小説よりも奇なり。
本当にこれに尽きる。
俺「そのカテーテルはいつするんですか?」
ド「明日の10:00に行います。」
との事だった。
妻は出産が済んですぐなので、当日は、自分が1人で、カテーテル手術の待合や説明を聞いたりとをする様になった。
その日は、子供の面会の時に、普通よりも小さく産まれたその体躯を見ながら、触れてもいい部分の手を掴み、エールを送るしか出来なかった。
まだ、自分が産まれたことも気付かす。
自分が人であるかもわからず。
自分の自我を持つまでにいっていない存在。
でも、その存在に意味を持たせて感じるのが親。
私も、親になったのだなと改めて感じ、「落ち着く日は来るのだろうか…」と一抹の不安を抱えて、その日は、病院を後にするのであった。
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