大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

吉田松陰の生涯描いた絵伝、門下生遺品から見つかる

2007-09-07 22:28:11 | 幕末ニュース
松陰が松下村塾で門下生に講義をしている場面 幕末の思想家・吉田松陰の一生を絵図で表した珍しい絵伝が、松陰門下最後の生存者として知られ、長崎造船局の初代局長を務めた渡辺蒿蔵(こうぞう)(1843~1939年)の遺品の中から見つかった。「吉田松陰先生絵伝」と題された松陰の生涯が生々しく描写された貴重な資料で、収蔵する萩市の萩博物館は、松陰が松下村塾を1857年(安政4年)に主宰して今年で150年を迎えるのを記念した企画展「長州男児の肝っ玉 松門四天王と桂小五郎」展(今月15日~12月16日)で初公開する。
 絵は水彩画で15葉。蒿蔵の兄らが5、6色を用いて描き、A4判サイズで折本になっている。2004年に蒿蔵のひ孫が萩市に寄贈した蒿蔵の日記や手紙など約300点の中から同博物館の研究員が発見した。
 序文(漢文)には蒿蔵が「家兄奇陳居士、嘗(かつ)て松陰伝を読みて感激し、其(そ)の状態を描写する」と記している。
 松陰の生家▽萩藩主毛利敬親の御前で兵学の講義をした御前講義▽松下村塾での講義▽死罪が宣告された評定所の場面▽1907年(明治40年)創建された萩の松陰神社――など生い立ちから刑死し、神社に祭られるまでの主要な場面を順を追ってまとめている。兄が描いたのは刑死までの13葉で、その後の2葉は蒿蔵の娘が描き足したとされる。
 中でも、当時の萩松本村の護国山麓の団子岩にあった生家の様子は、蒿蔵の兄が実際の現地に出かけて描いたとも考えられている。「樹々邸」「山宅」とも呼ばれた通り、周囲を樹木で囲まれたわらぶきの家が描かれ、現在は敷地部分しか残っていない生家の雰囲気が伝わってくる。また松下村塾での講義場面は、講義室で8人の門下生が正座して松陰から教えを受け、屋外では農作業する2人の門下生の姿が描かれている。
 調査した同博物館の道迫真吾研究員(34)は「絵心があり『奇陳』と号していた実兄が、実際に松下村塾に学んだ蒿蔵から様子を聞くなどして描いた」と推測。「数多くの言い伝えを目に見える形で表されたものはほかに例がなく、当時の空気が肌で感じ取れる」と価値の高さを話す。
 これらの絵図は企画展に合わせて出版される記念誌「松下村塾開塾150年記念 吉田松陰と塾生たち」(A4判82ページ、1000円)にも掲載される。

読売新聞 9/7