大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

江戸の日々つらつらと 桑名藩勘定頭の弟の日記発見

2008-01-16 10:46:02 | 幕末ニュース
 江戸時代末期、江戸の桑名藩邸に住んでいた武士が日々の見聞を詳細に記した日記が見つかった。三重県桑名市博物館などの調べで、筆者は同藩の役人を兄に持つ藩士と判明。つじ切りなどが頻発し、外国人が歩き回る町の様子から薩英戦争などの歴史的事件まで、市井の風聞や生活が生々しくつづられており、幕末の世相が分かる貴重な史料になりそうだ。

 表紙に「文久日記」と書かれた文書は2003年、元東京女学館大教授の金子皓彦(てるひこ)さん(65)が東京都内の骨董(こっとう)市で見つけた。内容も分からず買い求めたが、文字を拾ううち「面白い」と直感。出版を手掛ける角川春樹事務所に持ち込んだ。

 約600ページにわたる文書を専門家が3年がかりで活字に直した結果、日記は文久元(1861)年から同3年に書かれ、筆者は日本橋にあった藩邸内の長屋に住んでいたと判明。桑名市博物館学芸員の杉本竜さん(33)が寺の記録などを調べ、勘定頭を兄に持つ「宮部善八」と突き止めた。

 日記は冷静な視点でつづられており、宮部は役職に付いていなかったようだが、金子さんは「これだけの文章が書けるのだからかなり頭のいい人物」と推測。「読みながらハラハラドキドキ。文久年間の面白さに取りつかれた」という。

 佐幕派として重要な役割を果たした桑名藩主・松平定敬(さだあき)の兄は、会津藩主・松平容保(かたもり)。日記では、定敬が容保のもとを訪れるなど頻繁に連絡を取っていたことも記されている。杉本さんは「この時代の定敬の動向はよく分かっておらず、水害や空襲で史料が失われている桑名にとっても貴重」と話す。

 日記は、東京都渋谷区の「たばこと塩の博物館」で開かれている「幕末ニッポン」展で初公開中(14日まで)。文久日記の活字本は今夏、出版される予定。

中日新聞 1/9

「山内容堂・勝海舟謁見の間」オープン 下田

2008-01-16 10:44:17 | 幕末ニュース
容堂と海舟の会談が行われた謁見の間=下田市の宝福寺

 下田市の宝福寺(竹岡幸徳住職)で13日、幕末の志士、坂本龍馬の土佐藩脱藩をめぐり幕臣勝海舟と前藩主・山内容堂が会談した「謁見(えっけん)の間」のオープン記念イベントが開かれた。関係者や観光客が集まり、龍馬が維新で活躍するきっかけとなったゆかりの地の整備を祝った。
 勝は文久3年(1863年)1月15日、江戸に向けた航海中に荒天に遭って下田に寄港し、同じく航行途中で同寺で投宿した山内と面会した。勝は当時行動を共にしていた龍馬の脱藩の罪の許しを懇願。山内が差し出す酒の杯を飲んで了承を取り付けた。
 同寺は昨年から、高知県立坂本龍馬記念館の協力で2人が謁見した庫裏の修復を進め、寺が保存する勝が酒を飲んだ杯を展示。山内が龍馬放免の証しとして勝に手渡した扇子の複製も用意した。
 記念式典では当時の様子をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した映像の公開や、境内での演奏会などのイベントを実施した。竹岡住職は「『龍馬飛翔(ひしょう)の地』となった幕末の下田の歴史をあらためて実感した。多くの人に目を向けてほしい」と期待を語った。

静岡新聞 1/14

旧暦からの変遷一目 幕末から大正 暦35点紹介  県文書館

2008-01-16 10:42:46 | 幕末ニュース
 幕末から大正時代にかけて県内の家庭で使われていた暦を紹介する「新年・吉日・こよみ展」が23日まで、福井市の県文書館で開かれている。旧暦(太陰太陽暦)から現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替わった1872(明治5)年のものなど、同館の所蔵資料35点を紹介している。

 明治政府は旧暦の明治5年11月9日に改暦を布告。1カ月足らず後の12月3日を明治6年1月1日としたが、既に旧暦による翌年の暦が広く配布されていた。このため、太陽暦を普及させようと、特定の業者しか発行できなかった暦を、同年に限り許可を得れば誰でも作製・販売できるようにしたという。

福井新聞 1/15