大阪龍馬会

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お龍のこと先に伝えたいぜよ 龍馬の手紙 実は表裏 「同志」は追伸?

2011-07-27 00:01:00 | 龍馬ニュース
◆京都国立博物館 読み順に新解釈

 坂本龍馬が姉の乙女らに宛てた慶応元年(1865年)9月9日付の手紙(和紙2枚、重文)は、元々同じ紙の両面に書かれていたのを表装の際に表裏で剥がしていたことが、所蔵する京都国立博物館(京都市)の調査でわかった。従来、同郷の志士の近況を書いた方が「1枚目」として解釈されてきたが、両面だと紙の使い方から、妻となるお龍(りょう)の大立ち回りを記す「2枚目」が「1枚目」となり、仲間のことよりも、かっこいいお龍にときめく龍馬の姿が浮かんでくる。

 手紙は、龍馬が薩長同盟を画策して京都周辺に潜伏していた頃、書かれたらしい。現在は2枚を上下2段に並べて巻物にしている。今年2月、同博物館が修理した国宝「鳥獣人物戯画」(全4巻、平安後期-鎌倉後期、高山寺蔵)の丙巻が、1枚の和紙の表裏を剥がしてつなぎ合わせていたことが判明。これをヒントに、同博物館の宮川禎一・考古室長が手紙を改めて調べた。

 その結果、手紙はともに縦16センチの同寸で、汚れジミの位置が対称になっていることを確認。さらに、龍馬が同じ日付で別の志士に宛てて書いた手紙も、紙の両面を使っており、乙女ら宛ても同様と結論づけた。

 1枚目とみられた上段は、幼なじみの近藤長次郎ら亀山社中の仲間が長崎で頑張っている様子を知らせ、土佐のような「何の志(こころ)ざしもなき所ニ、ぐずぐずして日を送(おくる)ハ、実ニ大馬鹿(おおばか)ものなり」と断じている。

 2枚目とされた下段は、お龍が大阪の悪者2人の所へ単身乗り込み、大げんかの末に妹を取り返したという武勇伝を高揚した筆致で詳述。そんなお龍は、乙女を実の姉のように慕っているとつづっている。

 下段は端からみっちりと書き込んで内容も詳細なのに対し、上段は「冒頭」部分を含めて不自然な余白が多く、行間も広がっている。これらのことから、宮川室長は、書き始めは下段と判断した。

 手紙は昭和初期に寄贈され、研究者も見かけに合わせて上段から読んできた。宮川室長は「潜伏生活で紙や郵便代を節約するため、両面に書いたのかもしれない。お龍のことを一番に知らせたいという龍馬の高揚感がよりはっきりした」と話している。

7/25 読売新聞


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