大阪龍馬会

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鞆・浄泉寺に「龍馬観音」 いろは丸沈没地点 指さす

2009-09-15 00:01:00 | 幕末ニュース
 江戸時代の町並みが残る福山市鞆町の浄土宗「浄泉寺」=大仲伸隆住職(60)=に、幕末の志士・坂本龍馬の立像(御影石製、高さ約1メートル)がお目見えした。鞆町は、龍馬ゆかりの地で、同寺にも龍馬が祈願した観音像が大正時代頃まであったと伝えられていることから、大仲住職が、観音像の再建にあわせて建てた。「龍馬観音」と命名し、「鞆の魅力を伝える、新しい観光名所になってくれれば」と期待している。

 市鞆の浦歴史民俗資料館によると、同市鞆町沖では1867年に、龍馬率いる海援隊の「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突、沈没した「いろは丸事件」が起き、龍馬は紀州藩との賠償金交渉のため同町に滞在した。浄泉寺周辺には、龍馬の宿舎跡や紀州藩との会談にも使われたとされる対潮楼がある。

 龍馬が浄泉寺を訪れ、観音像に交渉の進展を祈願したという話は、記録には残されていないが、寺の檀家の間で語り伝えられてきたという。観音像は大正時代頃まで寺の境内にあったが、当時は寺の近くまで海が迫っており、台風による高波で流されてしまったらしい。

 大仲住職は、呉市の真言宗の寺に生まれ、岡山県笠岡市で学習塾を経営していたが、浄泉寺の先代住職の死去後、知人の檀家総代の紹介で2005年6月に同寺の管理を任された。鞆町で暮らし始めてすぐ、埋め立て・架橋事業を巡って賛成派と反対派が対立する様子に心を痛め、「町を一つにし、盛り上げたい」と考えるようになった。龍馬の夢を見たことをきっかけに、心のよりどころとなる観音像の再建と、龍馬の像のアイデアが結びついたという。

 ただ、当時は真言宗の僧籍しかなく、宗派が異なる寺に観音像を建てることははばかられた。佛教大学(京都市)の通信講座で4年かけて浄土宗の免許を取得し、今春、正式に同寺の住職となり、龍馬観音の製作を業者に発注した。

 8月に完成した龍馬観音は、かつて観音像があったと思われる境内の南東側に設置した。龍馬の像は、いろは丸が沈没した東の沖合を指さしており、像の後ろには対潮楼がそびえている。

 鞆町では、ちょうど、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が来年放送されるのを前に、福山市が龍馬を目玉にした観光キャンペーンを展開中。大仲住職は「この時期に龍馬の像を建てたのは全くの偶然。でも、何度も龍馬の夢を見たので、不思議な縁を感じる。龍馬の力を借りて、鞆の魅力を多くの人に広めたい」と話している。

9/11 読売新聞



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