日時:2012-12-13
同行者:5名
徒歩コース:(3.6k) *トイレ
西馬込駅(9:50)→郷土博物館*→熊谷恒子記念館*→尾崎士郎/宇野千代説明板→川端
康成/石坂洋次郎説明板→南馬込文化センター*→(12:35)大倉山公園*(12:50)→
闇(くらやみ)坂→文士村レリーフ→(14:00)ラーメン店[昼食]→大森貝塚の碑→大森貝塚公園*
→大森駅
リンク:
大田の魅力再発見 馬込ウォーク|マップMAPiタウン
川瀬 巴水 - 渡邊木版美術画舗
郷土博物館内は撮影禁止なので、残念ながら、そこで購入した小冊子から以下に作品を転載する。展示作品を観るのにかなり時間を要する。途中から、係りの解説も入ったが、時間の都合上、途中で失礼した。
巴水は、伊藤深水と共に鏑木清方の門下生です。木版画絵師として、日本より海外で高く評価されており、北斎・広重と並び評され「昭和の広重」として、オークションで人気があるそうです。巴水の絵を元に、優れた彫り師・刷り師のいる版元にも恵まれたようだ。
馬込という所は、おだやかな丘陵地帯に開かれたようで、小さな曲がりくねって坂道が多く、「馬込ウォーク」の地図を見ても皆目分からない。市川の文学道とは異なり、道しるべも無い。一番困ることは、住民に尋ねても皆目分からない。年配者にも郷土愛が無いようだ。文学者の名前も知らない。
この坂の多い小道は、昭和初期の文士たちには良く似合う環境だったのだろう。尾崎士郎を中心に、多くの文人たちが集まった。今は、彼らが住んだ住居はなく、説明板のみが残っている。
かな書きの書、熊谷恒子の家は残っていて、記念館になっている。美智子后の書の師とのことである。
室生犀星、小林古径、山本周五郎、北原白秋、荻原朔太郎、川端龍子、倉田百三、山本有三、和辻哲郎など、多くの文人たちが住んだ所だが、ほんの一部しか回れなかった。
大倉山公園で休憩。
大森駅前にある文士たちのレリーフ。彼らは流行の先端をも行っていたようで、ダンスやマージャンなどに興じる姿の銅版もあった。
駅前のラーメン店で遅い昼食をとり、その後、大森貝塚公園へ足を伸ばした。
大地から蒸気が立ち昇り、縄文時代の雰囲気を醸し出していた。
大森貝塚の発掘者モース像。わが国考古学の祖。
大森貝塚公園内の散策