私が選んだ「私の日本の歌百選(歌謡曲以外)」の中の、15番と27番は、個人的に縁のあった人である。15 照月湖逍遥歌に関しては、どのような歌かを紹介する義務がある。だから、録音方法と、アップの許可があれば、いずれYouTube に出す。
27番の「水のいのち」に関しては、その必要がないみたい。「高野喜久雄、作詞、YouTube」と検索にかければ、沢山出てくる。そのことを最近まで知らなかった。高野喜久雄作詞の合唱曲が、かくも多くの団体で支持を受けているとは。
「水のいのち」→私の日本の歌百選(歌謡曲以外)--確定近し /私の蔵書(一部)の(25)/
高田三郎 水のいのち 解説
「私の蔵書(一部)→(25)の中で、高野さんとの出会いを述べている。茂原の「くにや」
(ケンさんと私が賄いを頼んでいた食堂)に、高野さんも時々来ていた。つまり、3人は同じ釜
のメシを食べていたことになる。
上記、高田三郎の解説によると、「水のいのち」誕生の経緯が分かる。初演は1964年との
ことだ。丁度東京オリンピックの年で、たしか、その初演に高野さんから招かれた記憶がある。
だいぶ昔のことで、会場も出演者も覚えていない。合唱曲だが、私は、舞台で歌った女性ソプラノ歌手の「水のいのち」の印象が強く残っている。彼女の美しい日本語の発音と、(高野さんの詩らしく)深く重みのある、格調の高い曲であった。
高田三郎が高野喜久雄の詩「水たまり・川・海」を読んでいて、それらを「読む詩」から「きいてわかる詩」になおしてもらうことを頼んだ。高野さんは高田三郎の構想に従い、さらに、第一曲「雨」と第四曲「海よ」を書き上げたのだ。 そこで、両者を比較してみよう。長くなるので
「水たまり」のみにする。
水たまり--詩集「存在」より (高野喜久雄)
轍のくぼみ 小さな
どこにでもある 水たまり
ぼくらは まさにそれに肖ている
流れて行く 目あては無くて
埋めるものも 更に無い
どこにでもある 水たまり
ぼくらの深さ それらは泥の深さだ
ぼくらの言葉 それらは泥の言葉だ
泥の契り 泥の団欒 泥の頷き
泥のetc
しかし
ぼくらにしても いのちは無いか
空に向かう いのちは無いか
あの 水たまりのにごった水が
空を写そうとする程の
ささやかな
しかし一途な いのちは無いか
写した空の 青さのように
澄もうと苦しむ 小さなこころ
写した空の 高さのままに
在ろうと苦しむ 小さなこころ
水たまり---合唱曲「水のいのち」より (歌詞:高野 喜久雄 / 曲:高田三郎)
わだちの くぼみ
そこの ここの
くぼみにたまる
水たまり
流れるすべも めあてもなくて
ただ
だまって
たまるほかはない
どこにでもある 水たまり
やがて
消え失せてゆく
水たまり
わたしたちに肖ている
水たまり
わたしたちの深さ
それは泥の深さ
わたしたちの言葉
それは泥の言葉
泥のちぎり
泥のうなずき
泥のまどい
だが
わたしたちにも
いのちはないか
空に向かう
いのちはないか
あの水たまりの にごった水が
空を うつそうとする
ささやかな
けれどもいちずないのちはないのか
うつした空の
青さのように
澄もう と苦しむ
小さなこころ
うつした空の
高さのままに
在ろう と苦しむ
小さなこころ
--------------------------------------
●ユーテューブには高野喜久雄・詩の合唱曲が沢山出てくる。だが、それらを聴いていても言葉がよく伝わらない。これは矢張り、言葉を文字でよく認識してからでないと、その良さが伝わらない。その点が流行歌とは違うのではなかろうか。
●「水のいのち」は長編だ。それを要領良く纏めてあるのが→水のいのち「雨」18000記念
●他に高野喜久雄・詩の曲を聞きたい人は→「高野喜久雄 」に関連した動画の一覧 - Weblio動画検索
●高野喜久雄詩集→高野喜久雄--手元にある詩集
水のいのちは、合唱をするもにとっては知らない人はいない、という作品で、最初の「雨」が特に有名です。でも、私は、ここに紹介されている「水たまり」が大好きです。特に、最後の「うつした空の高さのままに 在ろうと苦しむ 小さなこころ」というところは、いつも特に心を込めた歌いたくなるところです。
昨日、ちょっとつらい出来事があり、この一説を思わず口ずさんでおりました。
私は、詩歌には疎いのですが、なぜか、歌になるといろいろと心が動きます。今回、このページを読んで、ちょっと納得した感じでした。ありがとうございました。
ブログに書いたように、最後の部分は歌詞と原詩は同じです。
なお、現代詩文庫40 高野喜久雄詩集にも載っていて、こちらの文庫は入手が容易でしょう。