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そのふる里、界集落です。
この地域は、伊南川沿いに日当たりのよい耕作地が広がるものの、御蔵入騒動の5年前にあたる1715年(正徳五年)の記録によると「御国粟、稗の儀百姓、水呑等まで飯米不足の者食候(正徳五年指出帳)」と言っているほど米作に恵まれず、「早稲種五品に品種を統一しているところに冷害の深さがみられ、畑作は麻、大豆、粟、稗等が主作物。」であったようです。(庄司吉之助著「幕末に於ける土地集積-商業的農業と金納小作料について-」より)
その一方で「大麻、麻織物は主な現金収入源であり、年貢上納金、日常消費物資の購入に当てられていた。」とあり、以後には「明治維新前に在りては伊北大麻は野州麻と並び東京、大阪の市場に歓迎せられ、相当の収入を得た。(南会津郡誌)」とされるほど発展していきます。
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御蔵入騒動から50年程後の1775年の記録によると、界集落から5km程離れた大新田集落の商人が、「麻織物や煙草を、大新田村から駒止峠を越え、糸沢村を経由して山王峠を越え、会津西街道を通って宇都宮に出て、奥州街道を通って江戸に送付した。逆に江戸からは、茶を御蔵入領に移入していた。」との記録があります。
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また、界集落の川向にある鴇巣集落が属する伊南伊北郷では「江戸、越後と往来する商人が1800年代には村ごとに存在していた。」とされています。(川口洋著「18・19世紀における会津・南山御蔵入領の人口変動とその地域的特徴」より)
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これらのことから、界集落周辺の地域では米不足を補うため伊北布の生産に力を入れ、それを商人が江戸や越後へ売り歩き収入源とする経済構造だったことが伺えます。
実は、この商人の存在無くしては江戸への直訴は実現しなかったのではないか?と思えてなりません。
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そう思うに至ったのが、江戸での「宿屋」です。
江戸への直訴チーム15人は、直訴と悟られないよう個々に江戸を目指し、予め決めておいた宿屋に集合しています。田舎育ちで江戸の右も左も分からない者たちだけでは、予め集合する宿屋を決めておくのは困難!しかもその宿屋は、訴訟や裁判のため地方より出てきたものを宿泊させた専門の宿屋である馬喰町(日本橋)の〝公事宿〟
この情報を予め入手した上での江戸行きですから、江戸の情報に長けていた商人の介在は必要不可欠です!
物語の表舞台には出てこない人々の力添えが垣間見た気分です
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さて、この公事宿、「公事宿には、訴訟に必要な諸書類の雛形が備え付けられてあり、公事宿の下代(げだい)などは、それによって書類を勘造していた。」とあり、直訴チームが〝訴訟の作法〟や〝訴訟先〟について、ここで指南を受けた可能性があります。
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商人と公事宿、その道の玄人が介在する中で、義民たちの直訴は進められていったのでしょう
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さて、今の界集落で有名なものと言えば、何といっても〝花泉酒造〟
最近では小洒落たレストランも併設されて、イイ感じ
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彼らは義民の伝承者?はたまた商人の末裔?
銘酒を生み出す職人の手が、屋根の雪下ろしに精を出します。
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●●●○○○ 南山六義民の見た風景 ○○○●●●
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プロローグ
喜四郎編(小栗山集落)
その1、 その2、 その3
久次右衛門編(新遠路(にとうじ)集落)
その1、 その2
喜左衛門編(滝沢集落)
その1、 その2
茂左衛門編(布沢集落)
その1、 その2
儀右衛門編(黒谷集落)
その1、 その2
兵左衛門編(界集落)
その1、その2
エピローグ
次回来られた時はぜひ、お立ちよりくださるようお願いします。
驚きました!兵左衛門の子孫でしらっしゃいますか!
まさか六義民ゆかりの方がこのblogを見て頂いているとは思ってもみず、驚きとともに、勝手にblogに書き立てて恐縮至極です
今でも古文書がおありとのこと、ボクはそれらを読み解く知識はありませんが、ぜひ一度拝見してみたいものです。
その節にはどうぞよろしくお願いします