バンフ・マウンテンフェスティバルで一番気になっていたイベントへ行ってきました。
それは、
「Hapiness: from Bhutan to Banff」
科学者であり、環境問題の活動家であり、セヴァン・スズキの父でありというDavid Suzukiとブータン王国の王室秘書(何と訳せばいいのでしょ・・・まあ、国政に従事している方には違いないです。)のDasho Kinley Dorjiの対談でした。
今年の前半、日本にもブータン王国のプリンスとプリンスセスが来て話題になりましたね。
そのとき一緒に話題になったのが、国民総幸福度(GDH).
今宵はそのGDH
とは何なのか、ブータンが考える幸せってなに?といったテーマで話が展開されました。
と、その前に、驚いたのが対談のセッティング。
さすが日本と違う、オシャレだ!まるでテレビのショーのセッティングのように。
二人の背後には障子風のつい立てをセット。後ろから間接照明があたりイイ雰囲気を醸し出している。
二人はホテルのラウンジにあるようなカウチに向かい合わせで腰掛け、ステキな電気スタンドがたった丸テーブル越しに対談。
分かりやすく例えるなら、『徹子の部屋』のようなセッティングが舞台上にされたってかんじでしょうか(笑)。
◎今日の印象に残った言葉、キーワード◎
・「私はwealthy manとして死ねる。」スズキ氏の父が死が近くなったときに言った言葉。
決して物質的な財産に富んでいた訳ではなかったけれど、お父さんは友人、隣人、家族など人とのつながりを大切にし振り返ったとき、死の直前そういう風に言っていたそうで、suzuki氏にとっても衝撃だったそうです。
・「自分にとっては(カスタマイズしつづけて落ち着く家は)pricelessなもの、けれど不動産屋にとっては(手が入りすぎた家は)worthlessなんだ。」
by suzuki
・「幸せとは達成するものじゃないんです。」by Kinley
今回、英語で聞いていて思ったことは、Q&Aの時に「どうしたら幸せになったって気づくんだ?」「今日、幸せに暮らそうと目標において生活してる人がいるでしょうか?」
など、ゴールがクリアじゃなきゃモドカしいよー症候群と命名したいくらい、西洋の価値観ってクリアにしたがるんだなーっと。
といいつつ、「正解は一つ」「○○を達成する」「目標を掲げ、それを達成すべき」のような概念って日本でも当たり前、自分もそういう考えにすごく影響されていると、改めて実感。
今日、ブータンのDorjiさんが言っていた「幸福」とは、追い求めて達成するものではない。もっと内面で自分に問い確認していくもの。
ただ、ブータン王国でも、ブータンの掲げる「幸福」とはこんなもんです!!っという確立したものはまだないそうです。
個人的な感想として、「幸福」とは自分の内面で問うていくものだとしたら、それは自分を精進していく一種の修行のようなものだなと思いました。
だって、人と比べた時点で「ああ、自分にはあれがない、足りない。もっと欲しい。」などという考えが未熟だと溢れてくると思うのです。
自分の中で絶えず問答していくということ、それは螺旋階段をグルグル上がっていく感じで気づいたら高まっているようなものなのでしょうか。
最近自分の中での節制キャンペーン標語が「知足」なのですが(笑)、まさに「
足るを知れー!」ってことは高い「幸福」度に繋がるキーなのかなと思いました。
そして感謝の心を持つ、心に余裕を持つなど、やはりブータンだけあって仏教的な考え方の影響を受けた「幸福」なのだと思いました。
「measure」「achieve」「complete」
英語で聞いていたからこそ自覚し耳障りに感じたのは(笑)、人って(西洋の価値観にどっぷり影響されている人々だけ?)、
どうして一つの物差しではかりたがるのだろうか?どうして、「達成or達成できなかったら無意味」というようなゼロサムの考え方になってしまうのだろう?
日本語では無意識だったけど、そんな考え方だったら、そりゃストレス溜まるわなっと再認識(笑)。
幸せとは感じるもの
そう言ってしまえば、漠然すぎるようにも聞こえるけれど、
そうだよなーっと思う今宵でした。
ブータン、行ってみたい国の一つです。
それは、
「Hapiness: from Bhutan to Banff」
科学者であり、環境問題の活動家であり、セヴァン・スズキの父でありというDavid Suzukiとブータン王国の王室秘書(何と訳せばいいのでしょ・・・まあ、国政に従事している方には違いないです。)のDasho Kinley Dorjiの対談でした。
今年の前半、日本にもブータン王国のプリンスとプリンスセスが来て話題になりましたね。
そのとき一緒に話題になったのが、国民総幸福度(GDH).
今宵はそのGDH
とは何なのか、ブータンが考える幸せってなに?といったテーマで話が展開されました。
と、その前に、驚いたのが対談のセッティング。
さすが日本と違う、オシャレだ!まるでテレビのショーのセッティングのように。
二人の背後には障子風のつい立てをセット。後ろから間接照明があたりイイ雰囲気を醸し出している。
二人はホテルのラウンジにあるようなカウチに向かい合わせで腰掛け、ステキな電気スタンドがたった丸テーブル越しに対談。
分かりやすく例えるなら、『徹子の部屋』のようなセッティングが舞台上にされたってかんじでしょうか(笑)。
◎今日の印象に残った言葉、キーワード◎
・「私はwealthy manとして死ねる。」スズキ氏の父が死が近くなったときに言った言葉。
決して物質的な財産に富んでいた訳ではなかったけれど、お父さんは友人、隣人、家族など人とのつながりを大切にし振り返ったとき、死の直前そういう風に言っていたそうで、suzuki氏にとっても衝撃だったそうです。
・「自分にとっては(カスタマイズしつづけて落ち着く家は)pricelessなもの、けれど不動産屋にとっては(手が入りすぎた家は)worthlessなんだ。」
by suzuki
・「幸せとは達成するものじゃないんです。」by Kinley
今回、英語で聞いていて思ったことは、Q&Aの時に「どうしたら幸せになったって気づくんだ?」「今日、幸せに暮らそうと目標において生活してる人がいるでしょうか?」
など、ゴールがクリアじゃなきゃモドカしいよー症候群と命名したいくらい、西洋の価値観ってクリアにしたがるんだなーっと。
といいつつ、「正解は一つ」「○○を達成する」「目標を掲げ、それを達成すべき」のような概念って日本でも当たり前、自分もそういう考えにすごく影響されていると、改めて実感。
今日、ブータンのDorjiさんが言っていた「幸福」とは、追い求めて達成するものではない。もっと内面で自分に問い確認していくもの。
ただ、ブータン王国でも、ブータンの掲げる「幸福」とはこんなもんです!!っという確立したものはまだないそうです。
個人的な感想として、「幸福」とは自分の内面で問うていくものだとしたら、それは自分を精進していく一種の修行のようなものだなと思いました。
だって、人と比べた時点で「ああ、自分にはあれがない、足りない。もっと欲しい。」などという考えが未熟だと溢れてくると思うのです。
自分の中で絶えず問答していくということ、それは螺旋階段をグルグル上がっていく感じで気づいたら高まっているようなものなのでしょうか。
最近自分の中での節制キャンペーン標語が「知足」なのですが(笑)、まさに「
足るを知れー!」ってことは高い「幸福」度に繋がるキーなのかなと思いました。
そして感謝の心を持つ、心に余裕を持つなど、やはりブータンだけあって仏教的な考え方の影響を受けた「幸福」なのだと思いました。
「measure」「achieve」「complete」
英語で聞いていたからこそ自覚し耳障りに感じたのは(笑)、人って(西洋の価値観にどっぷり影響されている人々だけ?)、
どうして一つの物差しではかりたがるのだろうか?どうして、「達成or達成できなかったら無意味」というようなゼロサムの考え方になってしまうのだろう?
日本語では無意識だったけど、そんな考え方だったら、そりゃストレス溜まるわなっと再認識(笑)。
幸せとは感じるもの
そう言ってしまえば、漠然すぎるようにも聞こえるけれど、
そうだよなーっと思う今宵でした。
ブータン、行ってみたい国の一つです。