こういった雰囲気で編集局は推移していくが、藤田さんが抱えていたあのポツダム宣言文の原稿、その宣言文に対し、我が国の中枢は誰一人決断できずに天皇にげたを預けた。この瞬間の日本人の平均的な気持ちを藤田日記と井上さんのナンパ原稿はよく伝えている。とにかく宣言文を見てみよう。
第四項目「無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を受け続けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶ時がきた」と国民に呼びかける。そして「軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序は現れえない」(第六項目)から、「新秩序が確立されるまで日本国領域内諸地点を占領」(第七項目)し、第十項目で「民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除されるべき。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること」を要求し、最後の第十三項目で無条件降伏を強く迫る。
そして、三か月半後の十二月初めの2階編集局を想像してみる。あくまでも勝手な想像。
――そばの連絡部から次々回ってくる横長のモニター原稿を整理部デスクが沈痛な面持ちで読んでいる。前もって東京からGHQ提供の長い記事を送ると連絡を受けてはいたものの、それまでに報道してきた、事実のとらえ方が一八〇度違う。見出しも十分吟味しないと・・・。臨時の交番会議を開いてもらおう。あの日の夜、何度も何度もポツダム宣言文を読み返していた社会部デスクも「そうかGHQはこういう手できたか。総じて良く書けている。素直に受け止めたらいいんじゃない」と意見を述べた。編集幹部も「じゃそういうことで」と言ったあと、小声で整理部デスクや校閲部デスクに「東京とよく相談してに整合性を持たせ、、天皇についての記述、敬語には十分配慮してほしい」と言った。
こうして刷り上がった十日間の毎日大阪の紙面をマイクロコピーで取り出し、読んでみた。用紙は統制化、紙質もインキも粗悪だったのだろう活字がにじんで読みづらい。判読不可能な個所もある。天眼鏡を当てたり、二十一年春に東京神田の高山書店から発行され、旧制中学で副読本として使われた新書版ほどの同内容のものを広島・尾道の古書店で見つけ、それを参考に読みすすんだ。五万字の連載は大別すれば中国大陸での日本陸軍の動き、それと太平洋での日米海戦の模様を大きな戦ごとに、つないでいこうという方式で書かれている。その出来事を、昭和六年(一九三一)秋の奉天(現・瀋陽)郊外の満鉄線路爆破から始まる満州事変を起点とし、同二十年九月、東京湾上・ミズリー号艦上で無条件降伏の調印が行われた時を終点とした。
戦時中満州の地で、ソ連国境付近で生まれ、各地を転々とし二十年には小一で朝鮮国境に近い都市にいたので、連載前半部分の中国大陸での動きは「やはりそうだったのか」の思いで一気に読んだ。そして、頭がクラクラした。
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