この島国が外からはどう見えているか。日本人以外の眼というのはやはり気になる。日本人は今も昔もとっても“気にしい”である。
古くはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)先生。松江にいて日本人論をいっぱい書いてくれた。プッチーニ先生の手によるオペラ「蝶々夫人」は二〇世紀初めにイタリア・ミラノ座で初演された。話の筋はアメリカ・フィラディルフィアの弁護士の短編小説がもとで、戯曲を経て台本が書かれたという。当時好まれたジャポニスムに乗って「宮さん宮さん」や「さくらさくら」「かっぽれ(豊年節)」といった日本の音楽を多く収集、日本情緒豊かにつくられてゆく。ミラノにいて長崎の没落藩士令嬢の蝶々さんに思いを馳せた。いやドライで無神経な海軍将校を描くことでアメリカ人を皮肉りたかったのか。いやいや、やはり舞台は終始坂のある長崎なので、立派な日本人論の展開だと思う。世界中で演奏される「マダム・バタフライ」は首に父の遺品の刀を取り出して「名誉のために生けることかなわざりし時は、名誉のために死なん」と、アリア・・・。さぞ悔しかろにと辛くさせる。名曲である。フランスの経済学者はどう見みているか。ピケティーさんによる話題の分厚い書物を手にしてみた。一か月前、図書館に予約していたのが、ようやく順番が回ってきた。早く読んで次の予約者に回してあげないといけないのだが、あせればあせるほど頭に入ってこない。難解、解読不可能だ。半ばさじを投げて終わりの方だけ、数式が少なそうなところを拾い読みした。日本の“積極的資本主義”は出てこない。グローバルな資本移動と富の格差の理論展開なので個別状態は全体を見ながら判断しなさいと言っているのかな。
(つづく)
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