3月はテレビの番組が替わる。見慣れた番組が変わって、「あれっ」と戸惑うのもこの季節だ。そこで、戦前生まれの男が電波とどんな付き合い方をしているのか、「テレビと私」を考えてみた。
子供のころは、もちろんラジオ。満州で、玉音放送聞いたのを憶えている。引き揚げてきてもラジオは貴重な存在で神棚と同じ高さに置かれていた。島倉千代子、美空ひばりと同世代なので、彼女たちの歌はよく聞いた。大人たちは日曜夜の“君の名は”に夢中になり、子供たちは野球の中継に一喜一憂したものだ。中学生のころは、同級生にラジオを組み立てるのがいて、「凄いな」とただただ感心した。プロ野球も高校野球も大学野球も、オリンピックも自分で独占、自由に聴ける、しかも音がいい。こちらは、6人家族で1台。音もよくない。遠くから波が打ち寄せるように途切れ途切れになる。「ラジオ君」の家が羨ましかった。スポーツの生中継はみんなよく聞いた。75歳の今も、朝、新聞の番組欄で“中継もの”探すのである。一種のクセになっている。
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