溜まり場

随筆や写真付きで日記や趣味を書く。タイトルは、居酒屋で気楽にしゃべるような雰囲気のものになれば、考えました。

随筆「平均的気にしい論」(その3) の1

2015年10月05日 | 日記

“アメリカの意志”

山好き「女将さん、お久しぶり。約束より、ちょっと早く来ちゃった。時間があったので、さきほど、ここ祇園花見小路をぶらぶらして、建仁寺まで行ってきたけど、中国語が飛び交っていた。すごいもんだね」

女将「昼だけやけど・・・。おいでやす・・・お友達、次々来たはりますえ・・・」

呼びかけ人「みなさん、ご苦労さん。一か月前に送った新聞連載『太平洋戦争史』(*1)のフロッピー、読んだ感想を聞かせてほしい。目の前の串揚げを味わいながら・・・」

詩人「きょうの案内文に概要が書かれていたので、助かったけど、旧字体なので結構難しい漢字があったり、表現も今とは違って難解なところもあった。旧制中学だが副読本として同じものを読んだとあったが、当時の学生の国語レベルは高かったんだ。それにしても軍人の名前がやたら出てくるね。荒木(貞夫)大将、南(次郎)大将、金谷大将、石本権四郎大尉、梅津美治郎大将、土肥原賢二少将、阿部信行大将、駐米日本大使野村吉三郎大将、さらに小磯国昭大将、杉山元帥、畑元帥そして東条英機大将。まだまだあるが当時の新聞読者はみんなよく知っていた大物軍人なのだろう。だが、戦後生まれの我々は東条や小磯以外、突然文中に飛び出して来るって感じで、“これ誰や”だった。まず“連載”前文に相当する「はしがき」に荒木が登場する。その部分を要約すと・・・。

『これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義者の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜及び非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道なる取扱いなどであるが、これらのうち何といっても彼らの非道なる行為で最も重大な結果をもたらしたものは“真実の隠蔽”であろう。それは一九二五年(大正一四年)治安維持法が議会を通過した瞬間に始まる。この法律が国民の言論弾圧を目的として終戦(一九四五年)まで約二十年間にわたりその過酷の度を増し、政治犯人がいかに非道なる取扱いを受け、人権を蹂躙せられたかは既に世人のよく知るところである。・・・一九三〇年(昭和五年)の初期、日本の政治史は政治的陰謀、粛清、そしてそのころようやく台頭しつつあった軍閥の専制的政策に反対した政府高官の暗殺によって大転換を画したのであった。・・・一九三一年(昭和六年)総選挙は国民が政府の政策に全く不満であり、*支那に対する宣戦せられざる戦争の責任者たる関東軍に対し各方面とも明らかに反対であるという争うべからざる証明を与えた。ことの急展開に驚愕した軍部は現代において最も残忍なる粛正工作の一つを行うに至り、また軍部が政府の支配力を獲得することによって来たるべき擾乱の時代に彼等の支配力を拡大し地位を確保するに至った。(すなわち)一九三二年(昭和七年)一一月九日、選挙運動の最中に大蔵大臣佐々木準之助が暗殺され、五月五日には団琢磨が反動団体血盟団の一員によって暗殺された。引き続き五月一五日の午後には犬養首相の暗殺された有名な五・一五事件が勃発した。 

五・一五事件が起きた昭和八年(一九三三年)から昭和一一年(一九三六年)までの間に所謂“危険思想”の抱懐者、主張者、実行者という“嫌疑”で検挙された者の数は五万九千を超えた。荒木大将の下では思想取締中枢部組織網が厳重な統率下に編成さられ、国民に対し、その指導者の言に一切の批判を許さぬことを教えることになった』

と、荒木大将の行状を説明している。そして梅津 美治郎。彼は終戦時の参謀総長である。ここに出てくる軍人の固有名詞はこの歴史記述の作成動機と関連があるように思うがどうか」

文明史好き「東京裁判だろ。僕も感じた」

呼びかけ人「ここに出てくる軍人の名前はその時々の政権中枢にいて満州侵攻など歴史的事件で大きな役割を演じている。南(次郎)大将は、満州事変勃発時の第2次若槻内閣の陸軍大臣。国際協調を方針とする民政党政権の路線に同期の金谷範三参謀総長とともに寄り添いつつも、陸軍内部の推進運動や世論に突き上げられ、最終的には関東軍に引きづられた。土肥原賢二少将は、大正元年(1912年)、陸軍大学校卒業と同時に、参謀本部中国課付大尉として北京の情報機関で対中国工作を開始し、天津特務機関長に出世、満州事変の際には奉天臨時市長となり、同年11月、甘粕正彦を使って清朝最期の皇帝溥儀を隠棲先の天津から脱出させるなど、特務機関畑を中心に要職を歴任し、謀略をも辞さない強硬な対中政策の推進者として昇進を重ね、「アラビアのロレンス」ならぬ「満州のロレンス」と恐れられた。阿部信行大将は金沢藩の藩士の子として生まれ、陸士9期生、陸大19期生、2・26事件後に、陸軍大将を最後に予備役に編入。3年後に内閣総理大臣になっている」

文明史好き「起訴へ向けた予備審査的な色彩があるのかな」

                                                            (つづく)

*1=は昭和二〇年一二月六日から一〇日間、日本の新聞「毎日」、「朝日」、「読売」に掲載されたGHQ提供の、主題「太平洋戦争史」、副題「奉天事件よりミズーリ降伏協定調印まで」の記事。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿