「さかはし」さん集まれ~*苗字は歴史の小宇宙

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戦国時代 後北条氏編補遺編 (戦国遺文)

2018-08-28 13:30:42 | 坂橋氏

一昨日の「新田老談記」に続く話になるのだと思います。








戦国遺文 後北条氏編 補遺編 のなかに「坂橋(氏名)」と書かれてる部分を見つけました。
250頁に記載されている「坂橋」は、周囲も「坂」のため、可能性大? 

しかしgooglebooks、しかも部分のため、後日図書館で見て確かめなければならないと思います。

後北条氏の配下に成田氏もいて、その忍城のあるのが現在の「行田市」になると思うのです。

その行田市に「坂橋」が多いことが判っています。
が、戦国時代はカオス状態で目まぐるしく周囲の状況が変わっています。

まずは、後北条氏と成田氏の関りをwikipediaにより確認してみました。

~~~*~~~

室町時代後期(戦国時代)に山内上杉家の家臣として活躍した成田顕泰またはその子・成田親泰は、児玉氏、忍氏などを滅ぼすなど勢力を広げ、忍城を中心に成田氏の最盛期を演出した。

しかし上杉顕定の死後の上杉家家督争いで上杉顕実に味方して敗れ、勢力を衰退させた。

顕泰の孫の成田長泰は弱体化した山内上杉氏を見限り後北条氏、ついで上杉謙信に仕えたが、謙信の不興を買ったため再び後北条氏に寝返るなどめまぐるしい動きを見せた。

長泰の子の成田氏長の代には小田原征伐で後北条氏に味方し、一時所領を失った(忍城の戦い)。

だが氏長の娘甲斐姫が豊臣秀吉の側室として寵愛を受けるなどの幸運にも恵まれ、大名として返り咲き下野国烏山を領した。

氏長の跡は弟の成田泰親が家督を継承し関ヶ原の戦いの後は徳川氏に属したが、その子の代に後継者争いが起きたため改易となった。子孫は御家人、次いで旗本となった。

~~~*~~~

では、新田老とは?由良氏とは?…
全く知らない人名ばかりで、しかも複雑な何度も変わる関係図…困ったなぁ。というのが本当の所です。



memo:小野~横瀬~由良(新田?)

memo:金山城の場所確認

memo:前に「坂橋」 後ろに「板橋」 二つの名前があった可能性は?



memo:成田氏分限帳 坂橋不在 板橋存在
memo:北条家(永禄年間)分限帳 坂橋不在 板橋存在






新渡戸稲造の「遠友夜学校」の生徒 坂橋徳太郎さん・坂橋ミヨさん

2018-08-27 16:45:57 | 坂橋氏
皆さんは、新渡戸稲造が札幌で創設した「遠友夜学校」をご存知でしょうか?

その遠友夜学校の理念は、崇高で素晴らしいのです。明治27年に始まりました。

少しご紹介しますと、生徒募集のチラシには

  幾ら年をとっていても差し支えありません

  何時でも入れます月謝は要りません

  学用品はあげます

  先生は諸君の友達です、など、です。

  

教える学生たちは、無報酬であった…とあります。


札幌遠友夜学校の構想はアメリカに留学中していた1885(明治18)年、24歳の新渡戸が抱いた夢でした。

それは、貧しい家庭の子弟にも教育の機会を与えたい!という熱い思いでした。

新渡戸稲造を調べるたびに思うのは、この方は札幌の誇りであり、その思いは絶やしてはいけない!ということです。

~~~*~~~

さて、札幌の明治期から終戦間際までの50年間に「新渡戸稲造」の「遠友夜学校」に関わる生徒や教師は合計約4千人だそうです。

さっぽろ文庫18 「遠友夜学校」で、その一部の生徒たちの名前を見ていて、ふと目に留まったのが「坂橋徳太郎」さんでした。

その「坂橋」の名前を「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」の方に、調べていただきました。

そして、大正7年4月の出席簿と昭和2年の「倫古龍會幹事」「自治會幹事」にその名前があることを教えていただき、コピーをいただきました。

その他にも、「大正8年3月」予六卒三等賞A、大正12年 卒業記念アルバム初等部高一、などなど、記録が残っておりました。

この徳太郎氏の下に「坂橋ミヨ」の名前もあり、「大正7年 尋三修業三等賞 とありました。

徳太郎さんの名前は、私の父も聞いたことがあるような気がするそうです。が、詳しいことは思い出せませんでした。


でも、私が好きで調べていた「新渡戸稲造の遠友夜学校」の生徒にいた!ということが、とても嬉しかったです。

こんな偶然もあるのですねぇ~~。びっくり~~。

どなたか、坂橋徳太郎さん、ミヨさん、をご存知の方がいらしたら、是非是非、ご一報を下さいませ!!! 
どうぞ、よろしくお願いいたします。





まぶしい☆☆さかはし矢波さん の 本

2018-08-26 19:48:36 | 坂橋氏





なるほど~あり、笑いあり、ありゃりゃ…あり、で、あっという間に魅了されること、請け合いの本です☆
飾り気のない、フツーをこの本のように人前に出すことって、難しいと思うんです。そこをサラリと。

まるで楽譜の一粒一粒の音符が音になって耳に聴こえてくるように、目で見ているのに聴こえてくる感覚。
(あっ、これはラジオ番組だったからかな?)

~~~*~~~

「坂橋」つながりでのご縁ですが、「坂橋人口」は少ないので、きっとルーツは同じ!・・と思います。(まだわからないが・・・)

座右の銘、考古学好き、という共通点を見つけ、私も驚いてます。


あっ、それにフルートを吹くと痩せるそうです!(朗報)
そういえば、ゴールウェイ様以外は、『痩せ型』の人が多いです。 その効果は高いとみました。

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とても楽しませていただきました!! 


江戸時代にいたはずの「坂橋」さんを探そう~!(2)

2018-08-26 14:07:33 | 坂橋氏

前回の新田老は、江戸時代よりも前の時代なのかもしれないです。 北條氏直の名前が見えます。(下巻)

この「新田老談記」に詳しいページを見つけたのでご紹介します。

太田金山城に拠って戦国の世を過ごした新田一族や新田遺臣の末裔の物語。付録:唐沢城老談記

・・・とあります。場所を調べますと、偶然にも武蔵国のお隣です。
「坂橋」がいたことを期待させます。


http://muromachi.movie.coocan.jp/roudanki/chizu.html





http://muromachi.movie.coocan.jp/roudanki/index.html

家臣の中に「板橋」は三名いるようですが、「坂橋」はいないようです。(残念)


新田老談記  由良家 家臣


  板橋外六郎 



  板橋勝長  (?~?)
 豊前。天正十一年、歩弓物頭として金山籠城に参加。

  板橋戸市郎 (?~?)
 天正十一年、金山籠城に参戦。


おまけの情報

佐下橋右近之助 この人の苗字を見ると「さかはし」と読めますが、「さげはし」が普通の読みのようです。

~~~*~~~

新田由良氏を調べると、小野朝臣孝泰から。私のいつも調べている「九里」に近いデス。

やはり世の中、どこかでいろいろな人が繋がっている!=人類皆兄弟! ですね。




江戸時代にいたはずの「坂橋」さんを探そう~! (1)

2018-08-26 12:40:15 | 坂橋氏

江戸時代のお墓がある、とお聞きしているので、江戸時代の「坂橋」さんを探すべく、まずは名前の聞いたことのある「続群書類従」を思いついて検索してみた。

一件、あったぁ。

新田老談記中(続群書類従 巻624中)

…名アル侍ニハ。の範中にいるような気がします。
嬉しい、いました! 江戸の「坂橋」さん。

8行後には「板橋」さんも。

印刷の間違いかもしれない?。。。

その後出てくるのは「板橋」う~ん。「坂橋」・「板橋」問題は深刻です。 






諦めずに「新田老」を探してみます。

下は、室町時代の場所の名前か。