たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

コロナの第二波だろうが、第三波だろうが負けない。

2020-06-03 08:58:00 | 日記
マスクをしながらテニス…コロナの前にチームメイトが熱中症になったのか頭が痛いと嘆いていました。

保冷剤で冷やしまくり、冷水シャワーで落ち着いたとのこと…

もう何を優先すべきなのでしょう。

街で売り残っているマスク…中国産ばかり。日本産のマスクはすぐになくなってしまう。

でもいい傾向だと思う。感染源の国から売られてつけるのを買うような、しかも高額転売の行先を失ったものならなおさら買わない、もうお人好し日本人ではないというのが新しいコロナの時代かも。

そういうことを何故マスゴミは言わないのでしょう。

第二波がー、これからの雨の季節の避難所でコロナをもらいたくないー相変わらず不安を煽っている。飽きもせず。経済を回したら回したで休業要請と補償は一つ、と大儲けしていた頃のことは何も言わず(税金をきちんと払われていたならごめんなさい)被害者になられている一見はどう見てもお断りな店主が言っていた。

小学校の時からの親友が看護師をしている。
その親友は面白い子で小学校の頃から「教室や体育の時間で怪我をしたら保健室まで生徒が行くより救急箱を先生が持ち一時的な手当てをするあいだ保健室の先生が駆けつけるべき」という子だった。
もちろん、大人は新しいことは潰して行く考えだったから却下。

その子は仏教の言葉で言うと「忘己利他」

細くてもでかい子だったしスポーツでは華型だったから、女子が男子にいじめられていたら男子を注意しそれでも聞かなかったらボコボコにしていた。でもヤンキーではありませんよ。親友の名誉のため。

だから男子は1人では太刀打ちできないので親友が登場となると他の男子とグルになっていた。

親友にかまってもらいたい男子がほとんどだったのかな…いまの年齢になればわかると言う類い。

制服を川に落とされた子がいれば、代わりに私の方が背が高いからと川へずぶ濡れになりながら拾いに行っていた。

捨て猫、捨て犬、逃げ出したいんこ全て家に拾って帰る子だった。そしてご両親に怒られてどうしたらいいのと泣いていた。

バレーボールをしていて上級生を差し置いてレギュラーになったため、上級生から虐められていた。それは相当キツかったらしくよく泣いていた。

中学校で辞めてしまった。小学校の時、市で優勝したというのに。エースアタッカーだったのに。「小学校からやっていたから上手なのでしょって言われるのが腹立つ。小学校から努力してたんだということを認めない、私より昨日今日始めた背の高い子にアタックを打たせる教師に腹が立つ」と辞めた。
今ならリベロですごく活躍しただろうにと思うけれど。
将来を周りからも学校からも期待されていただけにご両親の落胆も凄かった。
本人も両親の期待に応えられないことだけが辛かったと言っていた。


姉御肌さも無くなっていった。やはりもう腕力では男子に勝てないので、口では勝っていたけれど「保身になった自分が嫌いになった」と言っていた。

高校から始めたテニスは一年生で先輩を倒しシングルスレギュラーになった。
県大会も普通に出場、でもあと一歩でインターハイは無理だった。

親友の影響で私もテニスを始めた。シングルスは県大会でベスト8、私は16だったけれど一緒に組んでベスト4で入賞した。

「看護師になるわ」と突然言い出した。

忘己利他な自分を思い出したのか…と別々の進路を歩んでいった。

5年くらい外科、救急、ターミナル緩和ケアなどを担当していたが「心を知りたい」と精神科を希望した。外科部門からは引き止められたらしい。師長のポストも用意してやると。

しかし、死にざまは生き様と言う先輩に感銘を受け、心を知ればもっとターミナル緩和ケアに活かせると考えたらしい。ポストより自分の心が成長しないとダメなのよね、と言っていたことを思い出す。

でもそこはザ・精神科だったらしく暴言、暴力が凄まじかったらしく男性看護師のヘルプがないとケアの介入が無理な患者さんも多かったらしい。
男性スタッフがいないときは、なだめすかし持ち前の運動神経で暴力避けながらケアをしたらしい。
泣き寝入りしてやめて行く人も多く忘己利他の精神の彼女は「暴言をやめなさい。だから誤解を招くの。だから誰も意見を聞いてくれないの。おかしいんだって言われるの。嫌われるの。辛いんだって言いなさい。助けてって言いなさい。その方が分かる。」と患者には言っていたらしい。

直属の上司では話にならないと看護部長に「暴言、暴力は許さないという風土を作ってほしい。誰も幸せにならない」と直談判に言った。
しかし看護部長からは「いきなり部長と話せるなんてどこまで思いあがっているんだ。あんたは私の多くの駒の中の一人。黙って働いたらいいのよ、駒らしく」と言われたそう。

いまの時代では考えられない看護部長の暴言。

親友は他大学の教授を招いての看護研究の会で「患者から受ける暴言、暴力の看護師のストレスについて」と発表したらしい。泣き寝入りは嫌だと先輩、同僚から協力を受け作成、他大学の教授も「今からの時代に必要な観点。今後も続けてもらいたいし期待している」とお墨付きをもらったそう。

しかし暴言看護部長は烈火の如く怒り「患者と接することがストレスってどういうこと?
私はあんたを絶対上のポストにしないことを次のその次の代々の看護部長に引き継いで行くからね。看護部長とはそういうポストなの」と言い、「ポストなんてほしくない。あなたみたいな人になるくらいならポストで得るお金もいらない、こんなところいつでも辞めます」と流石に親友は言ったところ「そんなことをしたら県の協会を使って県下で二度と働けないようにしてやる」とまで言ったらしい。

「やっぱりお金はいるわねー」と今では苦笑しているけれどそのあと彼女は妊娠し産前休暇産後休暇の願いに暴言看護部長に挨拶へ行くと「あんたらの子どもにわたしらの年金を出してもらわんとね。せいぜい私らの年金のために産んでな。」と相変わらずだったらしい。

「子どもを産んで育てている今なら分かる。受けた言葉で傷ついた患者さんは私達にいうことでその傷を癒したかったんだね。でもそれじゃなんの解決にもならないって知ってほしいわ。悲しかったんだ、悔しかったんだって。そういう苦しみを抜けることが私がめざしたかったことなのかな。病気になったことを自分で責めないで生き抜いてほしい。誰だって弱いのだから。血圧を調整するのが弱かったら、高血圧、胃腸が悪かったら消化器疾患、食べ過ぎたら糖尿病誰も責めないじゃない。過剰なストレスで頭の中の情報伝達物質が上手くいかないのが精神疾患。それだけのことなのにね」と相変わらず忘己利他。

コロナについても「必要だと言われるのなら行きたい。一部の医療従事者だけだと疲弊してしまうから。でも、そうでない人の不安にも寄り添っていかないとね。今から自殺者とか増えないか心配」と言う。

仕事好きだねーと言うと「別の仕事してみたいわ」と言う。
どんな仕事よと聞くとしばらく考えたあと笑って「ないね、やっぱりいまの仕事。」

みなさま、こんな親友が看護師にいます。
第二波、第三波だろうが医療崩壊なんて起こさせないと思います。

今日もここに訪れてくださる皆さまは幸せでありますように。
苦しみ、悲しみはすぐになくなりますように。
願いこと、希望がかないますように。
安穏でありますように。
しあわせでありますように。