たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 6

2018-11-30 21:52:36 | 日記
やっと多気にたどり着いた。姉上はあの斎院におわすのか。冬の陽射しが大津に降り注ぐ。
まだ陽は高い。逸る心を抑えるように暫く馬をゆるゆると進めると斎院の門に到着した。
中央から連絡が入っていたのだろうか数名の神宮司の氏上の主だった役人、女官が大津らの到着を待っていた。
姉上が息をする場所にいるだけで心が澄み渡る気がする。
斎院の女官が客殿に案内をしてくれたが姉は祭詞を終え次第おいでになりますと言われ1人取り残された。

都の客殿などに比べると寂しい場所になるのかもしれないが、それにしても清々しい空気に満ち溢れている。ずっと頭を空っぽにしてこの空気に包まれていたい。そして姉上がおいでになったらそのお姿を眺めるだけで充分な気持ちになりそうだ。…いや、やはりお声を聴きたくなるのであろう。近江の館や湖で聴いた優しいいつも我を気遣ってくださったあの優しいお声。

「待たせましたね。大津。」と声がして目を開けると世にも清らかな女性が横を通り過ぎた。
上座に座った大伯とて11歳の頃の面影を少し残し逞しくなった弟を懐かしく微笑みかけた。
慈悲にも近い微笑みに大津は頭を垂れ「お久しぶりでございます。」と述べ顔を上げた。
ー美しい。白い肌に切れ長でありながら黒曜石のように光る大きな瞳。都にいる女たちとは一線を画している。清浄なのだ。都にいる女たちは色々と自分を引き立てるために衣を工夫したり、髪を結いあげたり紅をさしている。しかし姉は紅もささず白い絹の衣に長い髪を後ろに垂らしている。その後ろで邪魔にならぬよう結っているだけである。美と素は一体となるのを体現しているお姿だ。美しい精神があるからであろう。このように美しい方の弟として俺は本当に幸せだ。

「元気に過ごしていると都からの便りやここを訪れる異母兄妹から聞きました。その通りだとそなたを見て嬉しく思いました。もう少しよく顔をみせておくれ。」
「恥ずかしい限りです。」
ー本当に逞しく秀麗な青年になった。皇太(ひつぎの)子として恥ずかしくない青年に育ててくれた皇后陛下に感謝で胸が熱くなった。

久しぶりの再会に2人は幸せに包まれていた。

大津は帝からの命を急に思い出し「修繕が必要な箇所があるとか。」と大伯に尋ねた。
大伯は不思議そうな顔で「天皇(すめらみこと)仰せになられたの。」と聞き返し神宮司の氏子の長を女官長に呼ぶようにと鈴を鳴らし呼んだ。

長は「そのようなことはないのでありますが…」と申し訳なさそうに答えた。「我らは皇太子がおいでになるとだけ聞きおよびいたしました。日頃からの疲れを癒して差し上げるようにと。」と女官長もそう答えた。
天皇である父の配慮であると思った。大伯もそう思ったが皇后の助言もあったのではと思った。

我が背子 大津皇子 5

2018-11-27 00:00:20 | 日記
「高見峠を一直線に降ればほんの少しでも早く姉上に会えるのに鈴鹿の関まで登り伊勢に南下するとは悠長なことだと思わぬか、道作。」
大津皇子は馬上で家来の礪杵道作にぼやいた。他数名の舎人も腕自慢ということもあって特に不自由はないのだが。

礪杵道作は大津より6歳上で近江にいた頃から仕えてくれている。剣術も彼から教わった。手加減など一切なく精一杯ぶつかってくれた。大津が一番信頼を寄せる家臣であり素朴で無骨な大男だ。

「皇子、仕方ありませぬな。今回は天皇の勅使でございますからな。」と苦笑いしつつ馬を進める。
「まぁ、東国の豪族や国司の様子を見るには良い機会なのだろうな。父上は普段から政の要は軍事なりと仰っている。壬申の大乱で父上が軍を進められた道を歩くのは父上は我に何かを考えさせたいのであろうな。」

「何か思われることがございましたか。」道作は真面目な顔で聞いた。
「急な律令の制定で皆困惑しておるな。伝えるのは大変だ。優秀な豪族の子弟たちを文官として出仕させるのはどうだろう。庶人からもな。講義を聴いて広めていくしかないな。」
「それからどうなさるのでございますか。」道作は大津の顔を見つめた。

「先程申しただろう。中央にしか軍事力はいらないってことさ。」大津はまるで弟が兄に言い聞かせるような言い方で道作に言った。

「一地方から皇子にお仕えするのはいいとしても、難しい律令を伝えるのは私の性分にあいませぬ。」と道作は大真面目に答えた。

「我も道作がいてくれないと困るしのぉ。」
「皇子、道作は皇子のそばを離れることはありませぬ。何があってもお守りいたします。」

そんな二人の和やかな会話を聞いていた舎人たちも「私もでございますよ。」と賑やかに伊勢への道を進めていた。

我が背子 大津皇子4

2018-11-23 16:37:48 | 日記
大津は、16歳になった冬の朝大安殿に呼ばれた。

父、天武天皇に呼ばれたのだが…中途半端な我に天皇は何を期待しているのであろう。自分はいずれ長子として皇太子になるのであろう。しかし真にこの国のために将来天皇として約束された我は何がしたいのであろう。わからないのに、覚悟も勇気もない。

自分に相応しいのは花、鳥を愛で風を知り空に瞬く星、静かな月を眺め、詩を詠い、姉上のような心までを包み込んでくれる女人の愛情を感じながら生きていけたら何も望むことはない。そのようなことを言えば姉上は悲しむか…「世捨て人になるために天皇家に生まれたの。」と励ましにも似た憎まれ口をたたかれるかもしれない。

現人神となった父に前で「すめらみことのご尊顔を拝し、大津心より嬉しく申し上げます。」と挨拶をすると「そのような挨拶は父と子としての場では不要である。」と父相好を崩し大津に近寄った。

「そちはますます朕の若い頃に似てくるな。」
「いいえ父上と我は違いまする。」近江朝を倒し現人神とまでなった父と我では全然違うのです、と伝えたかっただけだ。

「そのような他人じみたことを申すでない。大津これよりは宮に来て朕と皇后の相談にのってくれはないであろうか。そちは朕の若い頃に似て人望がある。色々噂も聞く。朕がここまでこれたのは周りに助けてもらったからだ。そなたもそういうところを受け継いだのであろう。我らにはやるべき事が満載だ。どうだ、相談には乗ってもらえないか。」と前のめりで大津に尋ねた。

「我のような未熟者がただ光栄にございます。」
「頼む。」
「皇后さまもお許し頂けているのでしょうか。」
「もちろんじゃ。何故そのようなことを。」
「草壁皇子も一緒の方がよろしいのではと。」
「あぁ、それなら気にするな。問題はない。」
「…承知しました。」大津は絞り出すような声で答えた。皇后は草壁皇子を後継者にしたいと一番に願っているのではないか、我の立場は出過ぎたことにならないのではないかと一抹の不安がよぎった。

「大津、伊勢の斎宮を訪ねてはくれまいか。」と父、天皇は言った。
「え、伊勢の姉上に何かありましたでしょうか。」
「昨年の大雨で神宮の修繕が必要じゃそうな。年を越したというになかなか大伯が申し出なく困った神官から要請があった。見てくるように。」

修繕が必要な建物のそばにいる姉上がとても心細くなったと同時に「承知しました。」と答えたと同時に意気高揚している自分に大津は気づいた。

ただ宮を去る時に色々と気遣いしてくれる采女を美しいとは思ったが、それ以上気を止めることはなかった。
采女は「美しい皇子さま。」と憧れにも似た視線を大津に送っていた。



我が背子 大津皇子3

2018-11-20 22:30:52 | 日記
平成最後の今年の秋。

出張の関係でタクシーで岸和田方面に行く予定があった。

空は澄み渡り日差しが下手をすると痛いとさえ感じた。

今日は10月2日。

あの理不尽な処刑があった日だ。

1340年近く前の悲劇。

八尾インターを過ぎた辺りから左手に二上山が見える。

「奥野さん、二上山が見えますね。 ほら。雌岳が雄岳に寄り添うように見えるんです。あの雄岳に大津皇子は眠っておられるのですね。雌岳は大伯皇女みたい。やっと寄り添えたと安心しているみたいに見えるんです。いろんなことがあってもお互いを信じてやっとたどり着いた場所みたいに見えるんです。

うつそみの人にある我やあすよりはふたかみやまをいろせと我がみむ…引き込まれてしまいますね。何故こんなに引き込まれてしまうのでしょうね。本当に不思議。」思わず上司で優しい歴女に言った。
彼女は東京にある有名な国立大学を卒業している才媛だ。私のコアな話題に付き合ってくれるのは彼女くらいである。

彼女はクスクスと笑い「あなたは本当に大伯皇女の生まれ変わりね。」と言う。
少し拗ねたように「私が大伯皇女であれば大津皇子に聞きます。あなたは誰を愛していたのですか。誰にはめられたのですか。許せないのは誰ですか。あなたはどう生きたかったのですかって。」と私が言うと「大津皇子は生きたいように生きたと思うけれど。石川郎女のことで草壁皇子と張り合っていたのでしょう。草壁皇子との恋には勝った。でも束の間の恋で本当の愛ではなかった。そんなもの皇子には必要なかったと思う。本当に愛していたのは大伯皇女だけ。」と笑いながら才媛は言う。そして「不比等はフィクサーだと思うな。」と言う。

「奥野さん韓流ドラマ見過ぎ。韓流ドラマ見たことないけれど。血生臭い。」と言った時ドライバーのかけているラジオから「新天皇の即位に向けスケジュールを御負担にならぬよう配慮されたものとなりました。」と男のアナウンサーの声が流れた。
御負担か…別に自腹でもないのに…天皇になると言うことは御負担なのかな。なら何故天武も天智も持統もライバルを蹴落として天皇になろうとしたのだろう。庶民にはわからないご苦悩なのだろうか。

天皇になりたくもないのに無理矢理中央に押し出された草壁皇子が負担であると言えば悲劇は避けられたのかな。
奥野さんに聞くのはやめておいた。彼女はもう皇室っていう時代じゃないのよと言いそうな今時のリベラル派だから。

我が背子 大津皇子2

2018-11-19 22:07:33 | 日記

伊勢にいる私は無我夢中でした。
祓川で禊を受け祝詞を上奏する日々。神に奉仕させていただき自分という概念を忘れるくらいに。
でも我が背子…大津のことを忘れたことはないわ。不思議だわ。自分を忘れてしまうというのにそなたのことは忘れられない。

川の水って近江の湖と比べようがないほど冷たいの。痛いの。骨が砕けるのかと思うぐらい。
夏も冬も変わりないの。
ただしばらく川の水に委ねていくと感覚もなくし何もない自分がいるの。神の前では何も持たないことを知らされるの。この世に生まれてきた時何も持たずに送り出させられたように。

でもそのふとした瞬間、そなたを思い出すと全ての感覚が戻り痛み、悲しさが押し寄せつらくなる。
神の御心から私が離れてしまったことに気付かされるの。

何度も祝詞をあげ神に許していただく、そんな毎日でした。

都からの雑音は聞こえてきます。ただそなたに会いたい。そうすれば迷いはなくなる。いえ、会えばもっととこの我欲がそなたを潰してしまうかも知れない。困らせてしまうかもしれない。

ただそなたに忘れられているようで辛い。


姉上のいる東の空を見つめています。陽は西に傾くからこそ東の彼方にいる姉上が心配でならない。
どんな女をこの腕に抱こうともあなたの面影を追う自分がいることはわかっている。
ただでさえ同母の姉であり、神に仕える美しい、清らかな女性。禁忌を犯しあなたを破滅させたくはない。もちろん姉上にとって我は昔の記憶にいる幼い弟でしかない。どこかで姉上は弟以上の感情を我に持ってくれているのではと何の根拠もないのに自惚れている自分に呆れてしまう。

我は何故この都にいるのであろう。姉上のようにこの国に何の役に立ちたい。苛立ちばかりが募る。
外国の話を聞かされてもこの大和に当てはめるのは違う。風土や民の気質が違いすぎる。
天皇皇后は何と自分たちの御代で制度を作り上げようとされている。まだ浅学な我には役不足だ。

ただ外国の詩には惹かれる。天紙風筆画雲鶴 山機霜杼織葉錦
…無限に広がる天を紙に見立て、思うがまま吹く風を筆にし我の目の前におこる現象を描きたい。雲間に佇む鶴。山がもたらすさまざまな現象、霜でさえ、葉に添え錦に見立て描きたいものだ…
そんなおおらかな生き方が我には合うのだろうかとも思う。

政治の世界は非情だ。
圧倒される。ただ民と力を合わせこの国を住み良き場所にし、民が誇れる国にするのでは駄目なのか。
他国も憧れるような自由でおおらかな国。この国に住む民にこそ相応しい秩序。

自分の役目が何なのか問いかけるばかりの毎日。

姉上に会いたい。我はそのような気持ちを持ってはいけないのに。