たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子18

2018-12-28 00:45:09 | 日記
不比等だった。

「近江の逢坂山の御陵近くに住んでいると聞いていたが、飛鳥浄御原に来ていたのか。」

「はい。崩れ去った近江朝の近くにいつまで住んでいても私の人生は変わらないと考えました。」

「そうか。そなたもしないでいい苦労をしたのだなぁ。」
大津は先の天皇の寵臣で藤原の鎌足の次男でそれこそ朝廷が近江であれば天皇の側近中の側近であり栄華も思うままだった不比等の境遇に深い憐れみを覚えた。

「いえ、今はこの飛鳥で和の国をお支えしたく存じます。」と不比等は大津の言葉に感謝を覚えながら答えた。

「そなたは人生をどう変えたいのじゃ。」大津は興味を持ち聞いた。
「恐れながら申し上げます。百済の再興とともに豊かな国づくりにございます。」
「はて…白村江の戦いで多くの犠牲を払ったこの国が、あの三韓の争いに巻き込まれるのは御免であるぞ。そなたの兄、定恵も唐の国に渡られたではないか。」大津はこの男の真意がわからなかった。

「この国で新羅のものによって殺されました。」と不比等は感情も出さず答えた。

「仇をとると言うのか。この国を巻き込むのだけはやめてもらおうか。」
「皇太子が私の身であれば普通にお考えになると思います。」
「思わぬな。」
「えっ。」
「この国の中枢の方が魅力と思うが。もう三韓を相手でなく唐の国を相手に渡り合える。その方が国益にもなる。唐の国の向こうには我らが知りもしない国があるそうな。百済を再興したところで北に高麗があり西には唐がある。海のない東は凍る大地しかないと聞いた。またあの悲劇を繰り返し、結局は百済が新羅と小競り合いをするのをまた見るのか。そこに高麗が攻めるのをまた見るのか。高麗でさえもっと北の騎馬族に翻弄されておる。そなたはもっとこの大和でなすべきことがあると我は信じておる。」と一気に大津はまくし立てた。

「この国の中枢…それは天皇家だけのものでありませぬか。」と不比等は悲痛な声で聞いた。

「天皇家だけではいずれ破綻する。かと言って天皇家が中心であらなくてはこの国はまた争いが始まる。そなたの父、鎌足殿のような忠実な臣に支えてもらわないとな。」と大津はにっこりと笑い不比等の肩を軽く叩き部屋に戻っていった。

皇太子大津様ではだめだ、聡明であられる。傀儡となる皇子が天皇でなくてはこの国の中枢に入り込めないと不比等は考えを改めていた。まずはこの国の中枢となってから百済を考えても良いではないか…
ただしその時は大津皇子…すなわち皇太子に失脚していただわなくてはいけないとまで考えていた。

我が背子 大津皇子17

2018-12-27 00:22:49 | 日記
大名児は、艶のある声で「皇太子さま、どうぞ召し上がってくださいませ。」と大津に酌をした。
大津は大名児の香りにはっとさせられた。藤をあしらった髪飾りに深い山吹色の衣の地に朱色をあしらった唐風な装束をしていた。

姉上は香さえもつけずにいるのだなぁ…このような煌びやかな髪飾りもつけず勾玉だけで衣も質素なものしか召さらず。布地は大変高価なものであるが…妻神だけに。

「礼を申すぞ。」と大津は言ったが名前が分からず一瞬止まると「大名児にございまする。光栄にございます、皇太子さま。」と和かな表情で言った。
「そなたが石川の郎女、大名児か。和歌が上手いと聞いたぞ。」と大津は言い「草壁、そなたも大名児に酌をしてもらおうぞ。」とこちらを凝視していた草壁皇子に声をかけた。
煩わしかった、草壁の視線が。

草壁皇子は大津のそばにより大名児が一瞬眉を潜めたのも気づかず「そなたに酒を注がれるのなら、酒がより一層旨くなるのう。」と嬉しそうに大名児の酌で呑んだ。「実に旨いのう。旨い。」と飲み終えた後も草壁は嬉しそうに大名児に伝えた。

「草壁皇子さま、大名児は皇子さまが嬉しいと仰ってくださり光栄ですわ。皇太子さま。皇太子さまの漢詩、私、とても興味がありますわ。教えてくださいませんでしょうか。」と美しい伏し目がちな瞳を大津に向けた。

大津は大名児は自分自身の美しく色艶やかな容姿をわかって我に問いかけているのだなと感じたと同時に姉上のあの無防備なまでの美しさは何なのだろう…我だけが感じるものなのか。姉上、我がいるこの場所を貴女が見たらなんて仰るのだろう。

「大名児、草壁皇子も川嶋皇子も漢詩は上手いぞ。我よりも。和歌に秀でたるそなたらよく話も合うであろうよ。」と大津はその場から退散した。

また月光を仰いでいた。大名児の気持ちも嬉しい、もちろん山辺皇女も。
しかし結局我が望んでいるのは姉上、貴女です。貴女以外が誰もいないのです。
しかし不可侵の女神であり、同母姉弟…

天智天皇さえ、天智から見て先々の孝徳天皇の皇后間人皇女を奪い同母の妹を妃にはしなかったがいつも連れており堂々としていたと聞いた。なんとかならぬものか。ならぬから恋しいのか。そんな馬鹿げた程度で語れるものでない、と大津は自嘲していた。
思案していた背後でひと気がした。

我が背子 大津皇子 16

2018-12-26 04:00:41 | 日記
天武天皇の横で参政するようになり大津は政治は苦手であったが、持ち前の好奇心旺盛なところと行動力もあって面白くなってきた。

山辺皇女とはそのままだが。

ある日宮中で宴が催された。

采女たちが酌などをし皇子たちに奉仕していた。官人たちもいた。

先帝の天智天皇を父に持つ川嶋皇子が「最近よい詩は出来たか。」と聞き「あ、大津も忙しいよな。」と新妻を抱えてそれどころではないなという表情で言った。
川嶋皇子は大津より年上の皇子であるが先帝の皇子として、やはりここ飛鳥浄御原では近江朝廷より肩身が狭かった。しかし漢詩に造詣が深く興味を持った大津の方から声をかけ親しくなっていた。
川嶋皇子も皇太子である大津が自分に気軽に声をかけてくれるのはまんざらでもない気分であった。

「いや、そうでもないがいい詩はなかなかうまれんよ。そういうお主はどうなのじゃ。」と大津が聞くと「同じくじゃ。」と苦笑いして川嶋皇子は言った。

「では、また狩りにでも行き肉を食べ酒でも呑むか。このような場所での宴では川嶋の本領は発揮されない。」と大津が言うと川嶋皇子は慌て「そんなことはない。」とむきになった。
どこぞの誰かがこの会話を聞き、天武天皇に川嶋皇子が飛鳥浄御原では不満があると口にしていたと告げ口してしまうかもしれないと川嶋皇子は思ったようだった。

「古い歴史書を編纂しているのだろう。風や月の光を感じ、鳥や動物らの鳴き声を聴きながら酒を呑んだ方が川嶋らしい詩が書けると思ってじゃ。漢詩に明るい者なら誰でもそう思う。そのくらいそなたの詩は素晴らしい。」と大津は堂々と答えた。
川嶋皇子も安堵した表情で「大津にそこまで褒めてもらうのも悪くはないなぁ。」と言い次回の狩の計画を話していた。

大津はふと三つの視線が注がれていることに気づいた。
大名児、草壁皇子、不比等であった。
正確に言うと、大津を見つめる大名児を見つつ草壁は大津を見ていた。そんな様子を俯瞰して不比等は大津を見ていた。

我が背子 大津皇子15

2018-12-23 20:35:24 | 日記
山の裾野から近江の湖へと霧が流れ立ち込めている。

姉上が立っている。誰よりも美しい、優しい人。

太陽も霧で白く見える。

手招きし微笑んでいる。

思わず強く抱きしめた。二人の身体に隙間が出来ぬよう。

温もりが消え驚いて目を開けると暗闇であった。

夢か…新妻の山辺皇女が背中の後ろで横になっている。

山辺皇女をいつか抱く日が来るかもしれないが、今はだめだ。

姉上と再会したばかりで、無理だ。

大津は部屋の外に出た。月光が大津を濡らした。

濡れたまま東の空に向かい拝んだ。

月光を逃れたさんざめく星の輝きを見つめ大伯のしあわせを祈った。

朝になるまで。

夢でいい、姉上また逢いに来てください。


大伯は目が覚め先ほどまで温かいものに包まれていた感覚を拭えないでいた。

戸を開け月光のもと大津はそこにいると大伯は感じた。

私が今まで感じていなかっただけで大津と私はいつも一緒なのね。

この月光は大津であり、照らされている草木のあいだにも広がっている。

寂しいと感じるのは私の心が作った幻にすぎない。

きちんと感じるだけなのだわ…大津はそこにいる。

私の手のひらにも、草木、花、川の流れ、風の中、揺れるろうそくの灯りの火にも、全てに私がどう感じるだけなのね。

大伯は偶然知りえた、しあわせに手を合わせ感謝していた。

心無い皇女達に、天皇の第一皇女なのに孤島のようなところでお可哀想と言われるという場所でも。

我が背子 大津皇子14

2018-12-21 22:41:08 | 日記
山辺皇女は緊張していたが、燭台の灯りに照らされた皇太子である大津皇子が目の前に現れた時噂通りだと一瞬我を忘れた。
ー 麗しい容姿文武に秀で、自由を好み、多くの人々が彼を慕い、身分など分け隔てなく接するおおらかな人柄 ー
しかしその大津皇子が「今宵、そなたと過ごすが私は指一本も触れぬ故、安心して眠るがよい。」と言うのだ。

「私は皇子さまの妃として…女として…不適格なのでしょうか。」山辺のきめ細かい白い肌に涙がすらりと流れて行った。

「そうではない。そなたと初対面であるのに無理だと言っているだけだ。そなたのことは大切にしていきたい。勘違いしないようにな。どうでもいい女であれば抱くことは簡単だ。これから顔を合わせる中でそなたのことを徐々に知りたい。そして時間に任せる。」大津は一生懸命に伝えた。

「でも時間が経っても私が大津さまにお気に召されないとしたら…」

「それはないであろうよ。さ、今日は疲れたであろう。横になりなさい。宮仕えの者たちも怪しむ。」

「大津さまは。」

大津は寝所に入り背中を見せ「我はこちらだけを見て眠る。窮屈かも知れぬがゆっくり眠ろう。遠く近江から来たのだから。」と言った瞬間山辺皇女は大津の背中の横で背中を向け泣いていた。

「許してくれ。我は融通が気利かぬ男とは思う。でもそれではそなたも我もしあわせではないのかと…」
と言った途端衣擦れの音がして山辺皇女が大津の背中を包んだ。

山辺皇女は「皇太子さまのお気持ち嬉しく存じます。」と言ったあとゆっくりと背を向け肩を震わせ泣いていた。

大津は、姉上のことを思うとおいそれと割り切れない自分の不器用さに少し苛立っていた。
しかし衝動には流されたくはなかった。