たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

新しい元号になれば秋篠宮家はバッシングされなくなりますか。

2019-03-31 14:51:53 | 日記
もういい加減になさってはと腹が立って仕方ない。

佳子さまの眞子さまへの忖度したお言葉に関して何故あんなにも批判がなされるのでしょう。

「姉の一個人の思いが叶えられたらいい」は、差し障りなく全然祝福されていないのが私には伝わったけれど、私は日本人のくせに日本語が不自由だから?

佳子さまお一人の発言で眞子さまから小室氏が離れていくとおもったから失望されているのかしら。

そんなタマの持ち主ではありませんよ。

一般の民草でも、同年代の人たちでも「あれはやばいっしょ。」と普通に言っている。
わかっているけれど天皇の裁可のこともあるし、頭で理解出来ないのが金の亡者の🧟‍♂️渇望ですから。

普通に考えたらご辞退するのは当たり前。
皇位継承権がお二人もいらっしゃる家の内親王を妻としてどう生きていくかを考えたら、簡単な気持ちでプロポーズなど恥ずかしくて出来ないのが当たり前。
自分のせいで恋する人の家が貶められているのを目の当たりににしたらご辞退申し上げるのが至極当然。

鈍感力しか持ち合わせていないなら、恋する人があまりにも日本国に不可欠なご一家の一人で、自分以外の方との幸せになることをせめて祈るよう諭すのが母として出来る最高の躾。
それを小室氏、小室氏の母もしなかっただけのことではないのですか。

秋篠宮家の躾まで言うコメ欄の方なら一切の罪を犯さず生きてきた素晴らしい躾を受けられたのでしょうね。
でも下品で卑しい言葉を使わずにコメントしてくださらないかしら。

11月のあの厳かな雰囲気にも、悲しみを合わせ持ち真摯に思いを話してくださった秋篠宮殿下、悠仁さまの将来を世論で変えられると思っているのか今のネットのコメ欄。馬鹿げているの一言に尽きます。

新天皇→女性天皇オッケー👌な馬鹿げた結論に達するのか、日本人としてわからない。
持統天皇も女性だったしなと、という馬鹿げたコメントが出来るのかわからない。日本史や古典が相当苦手なのに無理して知識人ぶっているのがわかる。
それに、いいね👍をしている相当数の知識不足がわからない。あ、知識人になりたかったからか。そう思われたかったからか。

元号について内閣総理大臣から伝えられるのに当日まで静養先でスキーを興じられている天然さがわからない。
天然だからお優しいがわからない。

骨折でもなさったらどうするのか、警護がいかに厳重でも万が一遭難したらと諫言する人もいない。いま、それだけ御身は日本国にとって大切なお方であらされる、殿下が大変な時東宮に仕えるものとして休暇など必要御座いません、など誰も言わない。

マスコミも何故言わない。まぁ、皆我が身かわいさだからだし、言って馬鹿を誰も見たくないし。
それはわかるわ。

日焼けしてしまったら日焼け後の顔のまま即位式に向かう無神経さがわからない。注意する人もいないということはかなりな暴君かと思わないのは私だけ?かしら。

その暴君を荷物席に押し込むことが出来るのは暴君を抑えることが唯一出来る傾国の妃なのだとわかるのは私だけ?なの。

新しい元号に全く興味がないのは私だけ? 暴君の諡名になるだけでしょ。

私の疑問にすらすらと答えてくださるコメント早く見つけたいな。あ、私コメント無許可だったわ。
一生無知のままでも構わないわ。無知は楽とこの平成の御代で東宮を見て学んだのだわ。

秋篠宮両殿下、親王、内親王畏れながら申し上げます。

もう公務のお手伝いはなさらず新天皇に任されてくださいまし。

スキーがガンガン出来る⛷新天皇、皇后両陛下に公務をガンガンなさっていただきましょう。

甘えてらっしゃるのですよ。国難であった、心を寄せてまいりますと仰せになられたのに東北大震災の追悼式に出席なさらずにスキー静養には行くなんて。

あまりにも秋篠宮家が頼りになり過ぎて、過保護な状態。過保護もネグレクトも紙一重の虐待だそうです。お気の毒ではありませぬか。

新天皇皇后両陛下になられるのなら絶対行くべきなのは追悼式よりスキーなのがわからない私が申しあげることではありませぬが。

ぼっち公務、ぼっち鑑賞いいじゃありませんか。国の恥さらしなのは悔しいですが。

日本のごく一部の世論が大絶賛な新天皇家の品位なのですから。

いずれ早かれ遅かれ訪れる皇位継承、即位式までにどうぞ日本国の安泰をお祈りくださいませ。








我が背子 大津皇子49

2019-03-31 12:45:11 | 日記
以前より「天皇不在時は政務の全てを皇后と皇太子に任せる。」として詔は出ていたが、天武は大津に譲位し朱鳥元年7月大津は天皇となった。

天武の療養中ということもあり即位式はごく質素に済ませ宮も建て替えなどせず、恩赦、民の労役をやめたり、租税の軽減などを行った。
また、皇太后とよく相談し草壁を皇太弟にし高市皇子、川嶋皇子、忍壁皇子も参政させて天武朝を後継していく姿勢を見せた。不比等はもちろん除外とした。草壁に「皇太弟となられたのだからそなたは大津天皇を支えることだけを考えよ。」と皇太后が厳しく伝えた。

「神のような皇子が天皇になられわれらを救ってくださる。天武上皇のように戦がない日が続くであろう。これまで以上に安寧な御代となりますように」と言った声が各地で聞こえた。
盗み、放火といった犯罪も減った。

しかし一方で「弱った天武さまを大津天皇が恫喝し譲位を迫った。」「大津天皇は山辺を立后させようとしない。斎宮の任も解かれない。また、浮気虫が冷めないならしい。」「子が産まれぬから草壁さまを皇太子にしたらしい。」という噂がどこから出たが「馬鹿馬鹿しい。」と噂好きの官人らも呆れられ流布されず消えていった。

大津の身分の上下なく人を遇するのは、一部の自意識、身分貴く産まれたものには面白くない部分ではあったがそれを凌駕する人徳が大津にはあった。なので些細なことで声を荒げたり叱責したりすることもない人格の高さに皆敬服していた。

皇太后の政治力を考えれば、山辺に立后は残念ながら相応しくはなかった。ただ微笑みをいつも絶やさず毎日を支えてくれている山辺は立派な妃であった。大名児は得意な歌を大津に披露しては楽しませた。
そして大津に仕える者たちは道作をはじめそんな当主を尊敬してやまなく規律を乱すことはなかった。
天皇に仕える采女達も大津になんとかお目に留まりたいと百花繚乱とばかりに競いあった。
しかし大津は質素な出で立ちでも、ここが華とばかりの圧倒的な美しさを誇っている大伯だけを想っているせいか、しらけて映った。
また、異母弟姉妹の皇女も所望することもなかった。
すでに草壁皇太子、高市皇子、川嶋皇子、忍壁皇子らが脇を固めているからあえて一石を投じたいという異母弟姉妹らもいなかった。

天皇が詔を出し、現存している限り大伯の斎宮解任は出来ないのは当たり前の話であった。

「姉上に父上を一目お会いさせたいが…」と大津は思いもしたが、斎宮が見えたとあってはこちらから死期を覚悟させるようなものでよろしくないであろうし悩ましかった。

我が背子 大津皇子48

2019-03-29 09:45:04 | 日記
天武の回復を皆が待ちわびたが、なかなかことは思うようには進まなかった。

皇居正殿で病いに苦しむ父、天武天皇を大津は毎日見舞った。時に山辺皇女を連れ、時に川嶋皇子、高市皇子、御方皇子と共に見舞った。
時間によって「大津、よう来てくれた。」と労ってもくれたが、会話もままならなく眠っておられる時もあった。
皇后にはお二人に時間ある限りゆっくりなさっていただきたいとの思いから、あえて席を外した。

どう見ても祖父上である天智天皇の病とよくにているのである。胃の辺りに硬い腫れ物が触れる。痛みと嘔吐を繰り返し食ももちろん細り誰の目から見ても重病というのが見て取れるくらいに。

斎宮では、皇后に命じられ大伯が連日に大祓えの祝詞に祈りを捧げていた。

多紀皇女が訪れ、大伯に泣き崩れた。「あと半年も難しいと薬師が申しておりました。」

大伯は自分の異母妹である多紀皇女に「皇后さまも心許無くお寂しいでしょう。どうぞあなたも気を確かにお支えしてさしあげて。あなたはとても気丈な皇女とわかります。大和からこの伊勢に行くようにと命じられたほどのお方ですもの。どうぞお願い。」大伯は多紀皇女を抱きしめた。

多紀皇女はひとしきり泣いたあと「大伯さま…自信はないですが覚悟ができました。」と言った。
「よくおっしゃいました。それでこそ父天武の娘です。」と大伯は頼もしそうに言った。
「大伯さまの父上でもあらされるのに、私ばかりが泣き言を言い恥ずかしいですわ。以後気をつけます。」と多紀皇女は皇女らしく凛とした姿で大伯に詫びた。

大津が天武を見舞っていると、皇后も現れた。
大津が下がろうとした時、天武が止めた。皇后も深く頷き大津に腰掛けるよう合図した。
天武は「わしは永くない。秋が来る頃には命がもたないと思う。ただこのままではまた皇位をめぐり争いが起きるやもしれん。朕は今から上皇となりそなたに天皇として即位してもらう。良いな。皇后は皇太后となり、大津を支えてやってほしい。立后に関してはそなたたちに任せる。いいな大津。これは皇后と一緒に考えた上での詔じゃ。」と一気に言い終えた。
「父上。義母上。」と涙をこらえ大津は頭を垂れた。

我が背子 大津皇子47

2019-03-26 20:53:24 | 日記
天武天皇が倒れ国政に大津も皇后も追われて日々を過ごした。
激務であった。
ー 天皇と同じ目線に立ち国のありようを観れる女人…それを皇后陛下とお呼びするのだな。
もし我が天皇になり妃が山辺ならどうなるのであろう…奇跡を信じて姉上なら…きっと我と同じものを観て同じことを思うであろう。だが我は姉上を我のもので人目に見せたくない。しかし姉上ならそれを良しとはしないであろう。そこで我はどう行動に出るべきなのか。…と大津は皇后をふと見上げた。

「大津、いえ皇太子…我は女人には見えないであろう。」と皇后が大津を見つめ言った。
「どうしてそのようなことを。義母上には、ただただ、そうして天皇を支えてこられたのだと…我が妃にそのような激務が耐えられるか、どうかなどまで考え及んでいました。」と大津は答えた。

「我はそうでしか夫の愛を得られなんだ。大田の姉上であればどうだったのであろうと思う時は正直ある。夫は大田の姉上を人目に晒さずずっと自分のものとして囲っていたであろうな。女人として大田の姉上は天皇から一番愛されておった。我は妃でありながら結局こういう立場でしか生きて来れなかったと思うしの。大津、そなたはどうしたいか。」と皇后は真摯な眼差しで聞いた。

「私は母上、義母上のお姿を両方兼ね備えた妃を迎えたかったと思います。」と大津は絞り出すように答えた。陽が辺りを斜めに大津の顔を映し出す。
大津は大伯にそれを求めた。しかし山辺もいる、大名児もいる…もう誰も幸せにしていないのではないかと考えていた。
苦悩している大津の表情を観て皇后は神々しいまでに美しいのうと思った。
「迎えたかった…過去の言葉で語るのじゃのう。」皇后は大津に投げかけた。大津は大伯を想っていると確信した。

大津は言葉がなかった。しかし本当の願望を言い出せるわけではなかった。

「今は天皇に元気になっていただこう。またそのときになれば話すこともあろう。とりあえずこの国難にまずは向き合おうぞ。誠心誠意励めば良き答えはそなたに訪れる。間違いはない。」と皇后は大津を励まし慈しむように言った。

大津もはっとした表情で皇后を見つめ頷いた。

しかしながら天武天皇の病状は快復へと向かわなかった。

我が背子 大津皇子46

2019-03-16 12:03:09 | 日記
吉野離宮への行啓が無事に済み、天武は泊瀬部へ盛大な猟を行った。吉野の行啓とは違い各宮の妃たちも招き賑やかな催しとなった。

昔、崇峻天皇が在位していた宮があった。倉梯宮だったか。もう廃墟となり面影を偲ぶことも出来ないほど草が生い茂っていた。
蘇我馬子の傀儡天皇であった崇峻天皇は馬子の仕え人東漢直駒に弑し奉られてしまった。

大津は傀儡となってまで皇位を継承したいとは思わないが天皇になれない馬子が国を動かしたい気持ちは皇太子となり朝政に参加している身となっては、おぼろげだがわかる気もしていた。

蘇我馬子は仏教をこの大和の地に根付かせた最大の功労者である。その良き協力者が聖徳太子と言われる厩戸の王であったが…

父、天武はこのような血の争いを止めるため天皇になられたのだな…我も協力出来るよう父にいろんなことをもっとおききしよう。

父の発願で薬師寺は荘厳な姿で都東北東に建立されている。

最近大津は観音経を唱えるようになった。吉野離宮の帰路で仏を彫る仏師に出会う機会があった。姉上の姿を思い出しながら仏師に彫って欲しいと頼んだ。
仏師は「観音さまですな。」と言い「なるだけ白い木を探し観音さまが現れるよう潔斎をし彫ります。お時間をいただきますがよろしいですか。」「構わね。よろしく頼む。出来上がれば訳語田の自邸に運んで欲しい」と伝えると仏師は皇太子ということが初めてわかり恐縮していた。
確かに高価なものを召されているのはえわかってはいたがまさか皇太子とは。
大津は「お願いだ、そんなに恐縮しないでくれ。我は仏様を彫ることは出来ないからそなたにお願いしておるのだから。観音さまを頼む。」と大津は頭を下げた。ますます仏師は恐縮していた。
大津にはそんな分け隔てなく人々と接するおおらかさがあった

それが先日自邸に届けられた。本当に姉上に良く似た似た慈悲深き美しいお顔の観音様であった。
それから観音経を唱え暗記していた。

猟は夕刻になり酒宴となった。
各宮の妃達は先に戻っていたが皇后だけは残っていた。

皇子らと酒を交わし語らっていた天皇が急に胃の痛みを訴え倒れるといった一大事が起こった。