11/9「隣人とは誰か?」
今日は記者会見が2本もあり、歩きながら次の会見の質問内容を考えると言う忙しい一日だった。
しかも、自由報道協会での会見は遅刻し
(配信の中で言い訳をしなかったが、、すいません。)
配信の前半は今見終わった所だ。、、
さて。
今日の題、
「隣人とは誰か?」
この言葉は聖書の文章であるが、今回は聖書に依らず考えて見たい。
今日の宇都宮健二氏の記者会見と首都圏反原発連合の記者会見だが、
私たち人間は一人では生きてゆけない
。一人暮らしなどをしていると
いかにも
一人で生活出来ると思い込むのだが
そうではなく、
なにがしかのものに頼って生きている。
電気、ガス、水道、、
何もかも、なんだかの、
そして、誰かの手を借りて生きている。
さて、
,物質的な問題もさることながら
精神的な
「かかわりあい」
という問題も
震災直後から
「絆」
と言う言葉で表現され、
(いささか怪しいが)ブームと言う現象で日本を覆った時期があった。
しかし問題は
「絆」と言うブームではなく、
「かかわり合い」という精神の問題だと思う。
原発問題がもたらした「
総配電分離」問題、被災者住民、家族同士の「分断問題」電気を送られる「都会」と送電する側の「地方」の問題。
この問題を宇都宮健二氏は「東京」の問題として提起してくれた様な気がする。
本来かかわって来た東京と福島がいつのまにか疎遠になり、原発の問題で再びかかわると言う
「復縁者」を
宇都宮健二氏はやろうとしているのではないだろうか。と思ったりしている。
そして、
反原連も11.11で原発との永久の決別を国の内外に示し、
「fukusima」
が自分自身の隣人であるという認識の再確認をするきっかけになると思うのだ。
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