2月1日(土)
早い!はやい!
もう、二月だ!
?春は名のみの~?なんてものでは無い。
それだけ、私の、いや、人間の命が短くなりつつある事なんだと思う。
最近、朝、起きがけに考える事は、何時迄、この寿命が続くかと言う事である。
残念ながら、かつての修行僧みたいな悟りは開かれない。
私は俗人、まさにすごい俗人だから、さ~て、どうしたものか?と考える。
しかし、悩んだとて、どうしようもない現実が、そこにはある。
こんな事、つまり人生の悩みを書きたくないと、常々、思ったして避けて来た。
けれど、こう、腰が曲がり足の裏が痺れると辛くて仕方が無い。
タスケテーと言ったところで、誰かが駆けつけてくれる訳でもない。
又、私には助けてもらう気も無いと言う、強情者だ。
だから、世間の幸せな?高齢者が、家族に助けられながら行動しているのを見かけても、それ程、羨ましいとは思わない。
それどころか、私より、余程マシな体を持っているのに、何で人を頼りにするの?と思う。
だって、そうじゃない?若し、誰かに助けてもらったら、それでいい事になって、他人任せになる事、必定。
ここでネットの辞典のお世話になる。さ~て『必定』なんて、日頃、使いもしない言葉が何ともなしに出て来た。
多分、この言葉を使うのは大丈夫だとキーを打つ。
辞典で調べた。間違い無し!
私の好奇心と言うか、何でも確認したがる癖は、ムカシから変わらない。
お陰で、色々な事を覚えたかと言うと、その効果は殆ど?無い様だ。
でも、いい!その都度、調べたり眺めたり、経験したりすれば良いのだから…
『好奇心のカタマリ』それも生き甲斐に繋がる。
と、言う訳で『知ったかぶり』も多い訳だ。
ところで、最初の我が身の悩みはどうなったか?
ぜ~ん、全然、分からない。
忘れっぽくなったからねーー
さあ!今日も久し振りにスーパーへ出掛けようか。
ひろがり切った自分の身の回りを眺めながら、
「これじゃぁ、まだ、死ねないね!」と、何時も思う。

早い!はやい!
もう、二月だ!
?春は名のみの~?なんてものでは無い。
それだけ、私の、いや、人間の命が短くなりつつある事なんだと思う。
最近、朝、起きがけに考える事は、何時迄、この寿命が続くかと言う事である。
残念ながら、かつての修行僧みたいな悟りは開かれない。
私は俗人、まさにすごい俗人だから、さ~て、どうしたものか?と考える。
しかし、悩んだとて、どうしようもない現実が、そこにはある。
こんな事、つまり人生の悩みを書きたくないと、常々、思ったして避けて来た。
けれど、こう、腰が曲がり足の裏が痺れると辛くて仕方が無い。
タスケテーと言ったところで、誰かが駆けつけてくれる訳でもない。
又、私には助けてもらう気も無いと言う、強情者だ。
だから、世間の幸せな?高齢者が、家族に助けられながら行動しているのを見かけても、それ程、羨ましいとは思わない。
それどころか、私より、余程マシな体を持っているのに、何で人を頼りにするの?と思う。
だって、そうじゃない?若し、誰かに助けてもらったら、それでいい事になって、他人任せになる事、必定。
ここでネットの辞典のお世話になる。さ~て『必定』なんて、日頃、使いもしない言葉が何ともなしに出て来た。
多分、この言葉を使うのは大丈夫だとキーを打つ。
辞典で調べた。間違い無し!
私の好奇心と言うか、何でも確認したがる癖は、ムカシから変わらない。
お陰で、色々な事を覚えたかと言うと、その効果は殆ど?無い様だ。
でも、いい!その都度、調べたり眺めたり、経験したりすれば良いのだから…
『好奇心のカタマリ』それも生き甲斐に繋がる。
と、言う訳で『知ったかぶり』も多い訳だ。
ところで、最初の我が身の悩みはどうなったか?
ぜ~ん、全然、分からない。
忘れっぽくなったからねーー
さあ!今日も久し振りにスーパーへ出掛けようか。
ひろがり切った自分の身の回りを眺めながら、
「これじゃぁ、まだ、死ねないね!」と、何時も思う。
