桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

巻き寿司を作る

2016年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム
1月3日(日)

大学箱根駅伝の復路である。
テレビは、ほぼ,4チャンネルにつけっぱなし。
結局、青山学院が往路、復路共に優勝。
選手の顔も服装も格好良い。
昔の若者とは違うし、時代によって傾向も変化してきた。


久しぶりに巻き寿司が食べたいと、作り始めた。
私は卵焼きと巻いた寿司を切る事。

時々、切った寿司の端をつまんでいるうちに、すっかりお腹いっぱいになった。
やはり、手作りは一番だ。
我が家の巻き寿司は野菜類が沢山入っているので、優しい味がする。

この海苔巻きについても私の失敗談がある。
しばらく田舎に住んでいた頃、母が巻く寿司を、私が切っていた、
無精をしてコタツに足を入れたままだった。
あっと言う間に、巻き寿司一本がコタツの中に落としてしまった。
灰だらけになった寿司を母に見せたところ、母は驚いたような顔で「捨てなさい」と言った。
戦後の食糧難の時代である。

今でも、申し訳なく思っているので、どうしても忘れられない。
大事な大事な一本だったのに…

年賀葉書はまだ一枚も書けていない。ごめんなさい。
今日も何枚か届いた。
明日は頑張らなくては…

箱根駅伝はお気に入り

2016年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム
1月2日(土)

恒例の箱根駅伝がある。
これは私のお気に入り。
何故かと言うと、前にも書いたことがあるが、入院中のベッドでラジオを聴いて励まされた事が、きっかけとして大きい。
当時は、まだ高速道路はなくて、箱根へは国道を通って行った。
東海道の景色は記憶にすっかり残っていて、色々な想像が出来たものだ。

だから、選手たちが走る光景も、テレビが無くても、はっきりと想像出来たのだ。
その時、選手たちはどんな気持ちだっただろうと、自分自身を通して想像をたくましくしたものだ。

特に東海道の松並木や權太坂の光景などは、未だに目に残っている。
それにクルマで走る箱根のカーブの多い道路や風景は、すっかり自分のものになっていた。

以来、新年を迎えると、2日、3日は必ず近所の第一国道まで観戦に行くのが習慣となった。
今のレースとは違う昔ながらの駅伝のやり方も、よく覚えている。

とうとう、今年は行かなかった。いや、行けないのだ。
足がすっかりむくんでしまった。
平和島の駅まで、7分ぐらいで行けたのに、もう今は駄目だ。
以前は、大手町まで大学駅伝の追っかけをやった事もあったというのに…


夜、年賀状の印刷をする事にした。
何事も久しぶりと言うものはいいものではない。
折角、買った葉書を無駄にした。
やっと、まともに印刷が出来たのは、大分、時間が経った頃。
分かって見れば何の事やらである。
もっと、日頃から使わなくてはプリンターも勿体ない

兎に角、私自身は忘れっぽくなったし、機器の方も進化しつつある。

元旦は忙しい

2016年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム
平成28年1月1日(金)

どなたさまもおめでとうございます。
と、機嫌よく新しい年を迎えたいものである。

しかし、今年は何もかもが出来ていない。
今、一番気になるのは年賀状が出来ていない事だ。
全くひどいもので、昨年から気にしているが、一向に進まない。

年賀状は本来、年の初めに書くもののはずなのにと、自分の都合を優先的に取り上げて、理屈をこねる。
いや、それは理屈ではありませんぞ!
昔は諸々の順序がきちんとしていたものだ。
先走ってやる事よりも、時と場合を考えてやったものだった。

まあ、自分の都合で、色々と理屈をこねているようだが、新年早々、な~んにも出来ていないと言うのは、私自身にしてもが珍しい事である。

以前の私は、馬鹿丁寧と言える程、決まりを守り、自分で決まりを作っては、それを守っていたのだ。
正月には、勿論、初詣もしたし、新しい物を使い始めた。
もう、今では結構!
兎に角、楽をしたいわ!

それでも、元旦の朝は雑煮を作り、正月らしい手料理を食べ、私が作った梅酒で祝った。
濃くて酔ってしまいそうな強い酒になった。結局、氷を入れて飲んだけれど、すごい銘酒になった。

更に、毎年、私が用意をする役目の焼いた梅干しを入れた福茶。
これも、昨年、私が漬けた梅干しを使った。大事にしまっておいて、この日の為にとって置いた大粒の南高梅である。
どれもこれもOK!
何よりも、正月の料理は母を思い出す。
『昔のお母さん』は大変だったなと、今更ながら気がついた。
手作りが多かったし、それを前の日から、時間をかけて、せっせと作っていたんだ。

先日、姉と、御節料理を頼んで見ようかしらと話し合った。
パンフレットを見ながら、あれこれ選んだが、見ているうちにつまらなくなった。
それよりも、食べに行く方が良いとまで意見が一致した。

結局、一度に作り置きにせずに、食べたい物を順に作る事にした。
暮れには、つい、買わなくても良い『のしもち』などを買い、二人でどれだけ食べられるのだろうと後で、気がつく。

大根なますに旨煮、たつくり、買ってきた数の子の松前漬け、黒豆、まだあるよ。
旨煮は、今まで作った事がなかったが、結構、うまく出来て、姉に褒められた。
これから、まだ、いくつかの正月料理は作るつもりだ。

以前は、栗きんとんや、にしんの昆布巻きや酢蓮も私が作ったのだ。
それは、勿論、私が食べたかったからだ。
母を思い出す料理に、昔の女性は大変だったのだなと今更のように考える。

ところで、年賀状の事が気になる。
デザインに庭の南天を使おうかな?

早速、パソコンに向かったが、私のパソコンは御機嫌が悪い。
やーめた!言葉だけにしよう。
三猿にちなんだ言葉が出てきた。姉に言うと「ああ、それがいい」との返事。
前向きに考える事にした。
年賀状で見てください。