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「新入社員が使えない」の愚痴が今も昔も続く訳

2021-01-16 13:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

「ゆとり世代」は非常にざっくりした分類
「うちの部の新人、マジで使えねえんだよ」
「オレんとこもだよ。上司にタメ口きいたりすんだぜ」
「競争心に欠けるっていうか、努力とガマンができねえんだな」
「おとなしいと思ってミスを指摘したら、逆ギレ」
「ちょっとしかるとすぐ辞めるしな」
「まったく、ゆとり世代ってヤツは」
「最近は、もっとすごいさとり世代ってのが出てきたらしいぞ」
「上も下もバカばっかりだよなー」
今宵もサラリーマン諸氏は、こんなトークを繰り広げているのでしょう。ゆとり世代とは、いわゆるゆとり教育を受けて育った世代という非常にざっくりした分類でしかありません。学術的な用語ではありません。いま20代の人はほぼ当てはまります。
でも、みなさんお忘れになっているようですね。現在20代の若者たちがゆとり世代と呼ばれるようになったのは、彼らが大学生になった2005年くらいからのことでした。実はそれ以前にも「ゆとり世代」という言葉は存在し、まったく別の意味で用いられていたんです。
1990(平成2)年に発表された電通のレポートで、これからの消費は、高級品を買える金銭的ゆとりのある高齢者世代によって支えられることになるだろうと指摘されました。
これを受けて新聞雑誌は1990年代から2000年代前半まで、おもに金持ち高齢者のことをゆとり世代と呼んでいたのです。
2003年の朝日新聞(6・29埼玉)記事での使用例。埼玉の公民館に、新宿の歌声喫茶で活動している歌手が歌の出前をしているというネタで、歌声喫茶全盛期の若者が今60代のゆとり世代になって、仲間と何かやりたいと思っている、と参加者の1人がコメントしています。
こんな例はいかがでしょう。某銀行のおエラいさんが雑誌記者の取材に答え、新入社員を総括したコメント。「ことしはいってきた人たちを見ていますと、なにか、さとり切ったような人が多いんですよ。……未完成で荒けずり、失敗もするかもしれないが、なにかやってくれるのではないだろうか、というような楽しめる人間というのが少なくなりましたね」
これ、1972(昭和47)年の『サンデー毎日』(4・23)に掲載されたものなんですが、今年のコメントだとしても、じゅうぶん通用しますよね。驚くべきは40年以上も前に、さとり世代が登場していたこと。このときの新入社員は2017年現在60代半ばなので、すでに定年を迎えたか、あるいは企業のトップに君臨しているかもしれません。
彼らこそが、時代を先取りした元祖さとり世代だったとは!そしてなんの因果か、彼らの孫世代が、いままさに二代目さとり世代を襲名し、新入社員として企業に入りはじめているのです。
ややこしくなったので、ここまでの調査結果をまとめます。今の20代がゆとり世代で、20代前半がさとり世代。70代の人たちは10年前までゆとり世代と呼ばれてて、今60代の人たちが元祖さとり世代……。
戦後の新入社員は「ナマイキ」だった
ここからは戦後の新入社員について見ていきましよう。まずは終戦翌年に小学校に入学して新制教育で育った世代が1962年、新入社員となりました。有名人でいうと王貞治さん、篠山紀信さん、麻生太郎さんなどがこの世代。
新人入社を報じた『週刊読売』(1962・4・29)の記事タイトルが「ことしの新人はナマイキだ」。なにがナマイキって、大蔵省の新人歓迎会で事務次官のあいさつにヤジを飛ばす前代未聞の猛者があらわれ、先輩官僚は、ただただ、ぼう然
さて、戦前派による新人評をうかがいましょう。
しかればすぐ弁解、注意すれば口答え、仕事もせずにヘ理屈いう。先輩・上司を〇〇チャンとかあだ名で呼ぶヤツまでいる……いまの若いものは、なってない!
まだ25、26歳の先輩からも、「いまの若いのはまるっきり仕事をする気がないんだね。世の中そんなに甘くないよ」といわれる始末。
それに対する新人の弁。「なんにもわかっちゃいないんだから。人間としたら対等ですよ。うっかり甘い顔をしてたら、タバコの使い走りまでさせられちまう」
1965年の『週刊サンケイ』(8・2)でも、先輩OLが今年の新人はナマイキとおかんむり。先輩に敬語を使わず、ねえちゃんなどと呼ぶ。バアサンと呼ばれたのでさすがにアタマに来て、「なんだよ、ぼうや」と返事したら、たじろいでおとなしくなったとか。
ナマイキだけど漢字が書けず、常識知らない、上司からちょっとシゴかれただけでさっさと辞める。3カ月でくしの歯が欠けたように何人もいなくなった。
1967年の『週刊現代』(3・16)は、昭和フタ桁生まれ20代社員というくくりで特徴をまとめています。権利意識は高いが義務感が希薄。理解力はあるが創造性がない。身体は大きいが体力がない。与えられた仕事しかやらない。しかると女の子みたいにふくれる。おそろしく教養が浅い。
一流企業の入社式に親がついてくる
1968年には、いよいよ昭和20年生まれ、純粋戦後派が入社します。有名人では長塚京三さん、タモリさん。
彼らに貼られたレッテルは、「過保護」「甘ったれママゴン息子」(『週刊サンケイ』1968・4・22)。一流企業の入社式に、呼んでもいないのに親(大半は母親)がついてきます。幼稚園・小学校から入学・卒業式に参加するのがあたりまえだったから、入社式もその延長と考えるママが増えたのだとか。
国家公務員の合同研修会でも、泊まり込みだと母にいってこなかったから帰らせてください、ママがカゼをひいているので家に帰りたい、などというのがいて、総理府や人事院のスタッフも呆れ顔。
東大・一橋・早稲田と名だたる一流校から採用した三菱商事の人事担当も「昔は大学出ればりっぱなおとなと思ってきたが、これからは小学生の集団と思ってやる」と腹をくくったご様子。このときの甘ったれ新入社員もいまや、71歳になってらっしゃる。
というわけで、戦前から新入社員の歴史を長々と振り返ってきましたが、ここでようやく、元祖さとり世代の1972年組へとつながります(有名人では風間杜夫さん、武田鉄矢さん)。
甘ったれ、幼児化、未熟児、外国人などの悪評がかまびすしいなか、「さとってる」という声もありました。これは大人びて落ち着いているという評価なので、幼児化という評価とは対極にあります。矛盾していますけど、世代論なんてのは、大勢の人間をひとくくりにするのだから、そんなもんです。
このあと1978年に昭和30年生まれの社員が入ってくると、「無気力・無関心・無責任の三無主義」「いやいや、それに無感動・無教養・無学力・無行動・無協力を加えて八無世代だ」と、若者劣化論はとめどなくエスカレート(有名人では内藤剛志さん、明石家さんまさん)。1980年代に「新人類」という呼称が生まれたところで、昭和という時代が幕を下ろしたのでした。
世代論はいかがわしい演繹法の見本
いま、ゆとり世代に向けられている、タメ口、ガマンできない、すぐ辞めるなどといった悪口は、戦前にサラリーマンが登場して以来、新人がずっといわれ続けてきたことでした。考えればあたりまえのことなんですが、いつの時代も、新人はナマイキで仕事ができないんですよ。それがだんだんできるようになる人もいて、できない人もいる。
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世代論を論じる人は、自身の世代をなんの根拠もなく基準として設定し、自分より下の世代と上の世代がいかに自分と違うかを列挙して、自分の世代が「まとも」で「正しい」ことを証明したつもりになっているだけ。いつの時代にもいろんなタイプの若者がいるのだから、どんな指摘もつねにだれかに当てはまります。世代論はいかがわしい演繹法の見本です。
1967年に刊行された尾崎盛光の『日本就職史』は明治・大正・昭和の大卒就職事情をまとめていて、非常に史料的価値の高い本です。ここでも大正時代から若者劣化論が唱えられていたことが暴露されていまして、尾崎が皮肉屋の本領を発揮しています。最後にこれを引用して、新人サラリーマンたちへのエールといたしましょう。
識者にいわせると、人間というやつはだんだんぜいたくになり、かつ小型になっていくものらしい。…………ちかごろの若い者はぜいたくになった、軟弱になった、……小型になった、とおっしゃる先輩方は、そうおっしゃることによって、おれは質実剛健で男性的で、大型、大物であった、ということをおっしゃりたいのが腹のうち、と思えばよろしい。



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