下記に記事は文春オンラインプからの借用(コピー)です
40年前、人気絶頂の中での芸能界引退ということで、話題になったのが三浦友和さんとの結婚です。当時、アイドルにとっての結婚というのはある種の“タブー”でもあり、その結婚は、後のアイドル達にも大きな影響を与えることになりました。
そんな「アイドルと結婚」というテーマを考察した近藤正高さんの記事を再公開します。
◆◆◆
いまから40年前のきょう、1980年11月19日、歌手の山口百恵(当時21歳)が俳優・三浦友和(同28歳)と東京都港区の霊南坂教会で結婚式を挙げた。百恵はすでに10月5日の日本武道館でのファイナル・コンサートのラストで、ステージ上にマイクを置いてファンに別れを告げ、同月15日に所属事務所のホリプロの20周年記念式典で「いい日旅立ち」を歌ったのを最後に7年半の芸能活動にピリオドを打っていた。山口百恵 1978年撮影 文藝春秋
この記事の画像(21枚)
同年3月に彼女が婚約とともに引退を発表したとき、人気絶頂のさなかとあって、世間からは惜しむ声が上がった。他方で、フェミニズム運動を推進する女性たちからは、引退して家庭に入ることを「堕落」と決めつけた抗議の手紙も寄せられたという(※1)。日本武道館での山口百恵ラストコンサート 文藝春秋
それというのも、彼女の歌う「馬鹿にしないでよ」(「プレイバックPart2」)、「はっきりカタをつけてよ」(「絶体絶命」)、「いい加減にして、私あなたのママじゃない」(「ロックンロール・ウィドウ」)といった詞(いずれも作詞は阿木燿子)から、山口百恵=闘う女あるいは激しい女というイメージができていたからだ。
「人間らしさ」を選んだ山口百恵の結婚
しかし、あとから振り返るなら、山口百恵の引退は、芸能界やマスコミといったシステムから解放されて「自分らしく」あるいは「人間らしく」生きる道を選んだ結果であったといえる。その証拠に、彼女は引退から4年後、自伝『蒼い時』のプロデューサーである残間里江子を相手にこんなことを話していた。
《私、昔から喝采ってとても不確かなものだと思っていたから、不確かさに支えられて生きていたあのころに比べれば、結婚してからの生活はとても確かで、人間についても、できごとにしても、結婚後知ったことのほうが何倍も印象深いの。つまるところ、あの七年半は今に到達するための通過地点というだけで、あの年月の中の私は何でもないことだったんじゃないかって気がしているの。今、ここにこうしていること、人間が生きてる意味ってそれだけだと思うのよね》(※1)いまでも俳優として活躍する夫の三浦友和 文藝春秋
彼女のこうした選択は1977年に「普通の女の子に戻りたい」と宣言して翌年解散にいたった3人組のアイドルグループ・キャンディーズとも共通し、また、フェミニズムが目指すものともさほど隔たりはないはずだ。
山口百恵が結婚・引退を発表した翌月の1980年4月、18歳の新人歌手・松田聖子が、百恵と同じCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)からシングル「裸足の季節」でデビューした。スタッフが「ポスト百恵」を明確に意識して世に送り出された聖子はこのあと、百恵の引退するまでの7ヵ月のあいだに、10月1日リリースの3rdシングル「風は秋色/Eighteen」が初めてオリコンチャートで1位となり、トップアイドルの交代を印象づけた。
百恵と対照的な結婚を選んだ松田聖子
聖子は結婚にあたっても百恵とは対照的な道を選んだ。23歳だった1985年、俳優の神田正輝と結婚した彼女は、このあとも芸能界に残った。翌年には1児(現在、ミュージカル女優として活躍する神田沙也加)も儲け、やがて「ママドル」などと呼ばれるようになる。社会心理学者の小倉千加子は、フェミニズムの見地から百恵と聖子を論じた著書のなかで、次のように聖子の選択を評している。二度目の結婚会見ではウェディングドレスも披露した松田聖子 文藝春秋
《彼女は結婚したことで何も失うことはなかった。アイドルとして結婚して、アイドルのまま生活感を身にまとわず、沙也加を生んだのです。つまり、本名・神田法子になることを拒否して、「松田聖子」でいつづけた。/さらに言えば、結婚、出産という近代家庭制度の下で女性が享受できる全ての経験を積みながら、「芸能人・松田聖子」を延々とプロデュースし続けたともいえます。/これは、三浦友和と結婚した百恵が、引退を選んで家庭に入り、「芸能人・山口百恵」という存在をすべて三浦百恵に回収してしまったのとは、百八十度違います》(※2)
ただ、結婚・出産を経た松田聖子がアイドルといえるかどうかは意見が分かれるところだろう。アイドルとは擬似恋愛の対象と定義するのであれば、彼女は結婚とともにそこから外れたといえる。また、その後のアメリカ進出などの展開からは、アイドルを脱してアーティストを志向するようになったと見ることもできる。1997年には神田正輝と離婚 文藝春秋
90年代に入ると、バンドブームなどもあって、若い女性アイドルのアーティスト化が目立つようになり、「アイドル冬の時代」ともいわれる時期に入った。
スーパーモンキーズというアイドルグループの一員としてデビューした安室奈美恵も、1995年にソロに転じてからは、アイドルというよりはアーティストと呼ぶにふさわしい活躍を示した。その安室は、20歳だった1997年に結婚とともに妊娠3ヵ月であることを発表し、世間を驚かせる。アイドルよりもアーティストのイメージの強い安室奈美恵 文藝春秋
1年間の産休を経て復帰したが、デビューから26年が経った2018年に引退した。引退の理由に、声帯が限界に達して声がうまく出なくなったことをあげた彼女は、やはりアイドルではなくアーティストであり、アスリートにも近いものを感じさせた。
“ジャニーズ所属”でもアイドルと結婚した木村拓哉
結婚に関して新たな展開を見せたのは、女性アイドルより男性アイドルが先だった。いまから20年前の2000年12月、当時トップアイドルだったSMAPの木村拓哉(当時28歳)が、同じくアイドル出身の歌手の工藤静香(同30歳)と結婚した。これを皮切りに、その後、ジャニーズ事務所所属の現役アイドルの結婚は珍しいことではなくなる。
この背景にはまず、アイドルグループの活動期間が、以前とくらべて圧倒的に延びたことが挙げられよう。木村が結婚した時点で、SMAPはすでに結成12年を迎えていた。10代でグループに入っても、10年以上も活動を続ければ当然、結婚適齢期に差しかかる。木村拓哉 2015年撮影 文藝春秋
ファンからしてもずっと応援をするうちに、アイドルは単なる疑似恋愛の対象という次元を超えて、人生の一部ともいうべき存在となるのは自然だ。ここからファンもメンバーの結婚を受け入れる余地が生まれたといえる。
同様の変化は、木村拓哉の結婚と前後して女性アイドルにも現れ始めていた。契機となったのは、1997年に結成されたモーニング娘。だ。
彼女たちがその後のアイドル界に与えた影響は大きい。メンバーが入れ替わりながらも、グループ自体は継続するスタイルがアイドルの世界に定着したのもモーニング娘。からだろう。
テレビ番組で、過酷な試練を与えられながら成長していくさまが逐一伝えられた点も特筆される。これによって、山口百恵や松田聖子の時代にはどこか世間と隔絶した雰囲気を漂わせていたアイドルの世界に、現実社会と地続きのリアリティが持ち込まれたからだ。モーニング娘。1期生で最年長だった“リーダー”中澤 文藝春秋
さらにいえば、メンバーの年代の幅広さからいっても、モーニング娘。はほぼ前例がないグループだった。1期生の最年長の中澤裕子は、OLを経てグループに参加した時点で24歳になっていた。これに対して同期の最年少の福田明日香は当時まだ12歳だった。一回り近くも年齢が離れたメンバーが一緒に活動するアイドルグループなど前代未聞だろう。
それまで女性アイドルが活動できるのは、10代からせいぜい20代前半までだったはずだが、中澤裕子は27歳までモーニング娘。に所属し、この前例をも打ち破った。グループ自体も、1期生が結成8年後に全員卒業したあとも存続し、長寿を保っている。こうして女性アイドルも、ファンにとって一緒に年齢を重ねていく「人生の一部」となっていった。
アイドル寿命の延びとファンの「結婚観」の変化
いまでは、20代後半になってもグループにとどまるアイドルは珍しくない。去る10月に乃木坂46を卒業した白石麻衣はその時点で28歳だったし、AKB48では現役最年長の柏木由紀が今年29歳を迎えた。さらにここ数年、男性アイドルと同様に結婚し、ファンから祝福されるケースが女性アイドルにも出てくるようになった。
昨年4月には、新潟のご当地アイドル・NegiccoのオリジナルメンバーであるNao☆(当時31歳)がバンド・空想委員会の岡田典之と、今年6月には同期のMegu(同31歳)がドラマーの山下賢と結婚した。Negiccoは楽曲のクオリティの高さや地元メーカーの切り餅のCMへの出演により、全国にファンを持つ。2003年結成で、活動歴はすでに15年を超える。NegiccoのNao☆ 本人のインスタグラムより
2019年はNao☆のほかにも、9月にでんぱ組.incのメンバーの古川未鈴(年齢非公表)がマンガ家の麻生周一と、11月にグラビアアイドルの倉持由香(当時28歳)がプロゲーマーのふ~どと、それぞれ結婚を発表しており、ひとつの画期となった年だった。倉持由香と夫のふ~ど 本人のインスタグラムより
アイドルの定義やファンとの関係は、ここまで書いてきたように、この40年間で大きく変わった。ただ、結婚を機に引退するにせよ活動を継続するにせよ、あるいはアイドルから別の分野に進むにせよ、その選択に、「自分らしく」「人間らしく」生きたいという動機付けが垣間見える点では、ここまで挙げたアイドルすべてに共通する。
女性アイドルが現役のまま結婚するケースが、男性アイドルに遅れをとりながらも出てきたのには、女性全般を取り巻く社会環境の変化もあるのだろう。アイドルにかぎらず、かつて女性たちは学校を出て就職しても、結婚とともに退職を余儀なくされるのが普通だった。
そうした風潮も80年代の男女雇用機会均等法の施行などもあって、徐々にではあるが変わっていった。アイドルもまた、女優などに進むためのひとつのステップではなく、それ自体を職業ととらえるなら、結婚しても活動を継続するのは何も不思議なことではない。
前出の小倉千加子は、2012年に『松田聖子論』の増補版を上梓するにあたり、《百恵と聖子は対極にいたのではない。百恵の辿りついた地点から聖子は出発したのである。百恵から聖子はバトンを受け継いだに過ぎない。/女性は誰もみな同じである》と書いた(※2)。そのバトンは、聖子からさらに現在のアイドルにも引き継がれているに違いない
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます