下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「父の借金から国立大学を中退したりキャバクラで店長をしたりしていました。また、父に名義を勝手に使われたため信用情報がブラックで部屋もなかなか借りられず、ネカフェ難民をしたりリゾートバイトなどで食いつないだこともあります」と編集部にメールをくれた、30歳の男性だ。
勤めていた銀行で横領事件を起こした父
アキラさん(仮名、30歳)が生まれたとき、父親はすでに2000万円の借金を抱えていた。勤めていた銀行で横領事件を起こしたのだという。その後、配達ドライバーに転職したものの、そこでも商品を盗もうと倉庫に侵入してクビになった。
アキラさんが小学1年生になると、両親が離婚して母親が家を出て行った。忘れもしない夏休みに入る直前。玄関先で母親から「今日はおじいちゃんが学校に迎えに行くから。そのままおじいちゃんの家に帰ってね」と言われ、送り出された。普段と変わった様子はなかった。ただそれきり、母親とは一度も会っていない。
不思議なことに当時、アキラさんは母親が突然いなくなった理由を尋ねたり、さみしがったりした記憶がない。このときの心境を尋ねると、少し考えた末「諦め? でしょうか」と答えた。
預けられた祖父母の家では、同居していた伯父からささいなことで殴られたりしたので、安心できる家庭環境とはいいがたかった。別居していた父親は気がつくと、フィリピン出身の女性と再婚していた。
男性のクズっぷりを測る物差しとして「酒、煙草、女、ギャンブル」などという言い方をすることがあるが、「父は女の人にお金を貢いでしまう人だったみたいです」とアキラさん。真偽のほどはわからないが、祖母の話では、その女性の故郷には立派な豪邸が建っていると聞いた。
「親ガチャは外れでした」。アキラさんはまるでささいな失敗談でも打ち明けるかのようにあっけらかんと笑う。親ガチャとは、子どもは親を選べないという意味。ネット上のゲームで武器や通貨といったアイテムを抽選で購入する「ガチャ」という仕組みに由来する。
公立の小中一貫校に合格
親ガチャの引きは悪かったが、アキラさんは1つだけ母親に感謝していることがある。それは小学校受験をさせてくれたことだ。アキラさんは地元にある公立の小中一貫校に合格。おかげで教育環境には恵まれたという。教育熱心な家庭の子どもたちが集まる中でも、アキラさんの成績はつねにトップクラス。「小学生のころは図書館の本を片端から読むような子どもでした」。高校は公立の進学校に進んだ。
ただ父親は相変わらずだった。祖父母宅にもたびたびヤミ金業者からと思われる電話がかかってくる。恫喝してくる相手をアキラさんがあしらうこともあったという。
高校に入って早々に衝撃を受けたのは、携帯を買おうとショップを訪れたところ、滞納歴があるので契約はできないと告げられたことだ。父親が勝手にアキラさん名義で携帯を契約し、料金を支払っていなかったのだ。やむをえず継母の名義で、アキラさんと父親、継母の3台分を契約。1台でも滞納すると利用を止められるので、アキラさんは3台分の料金を稼ぐためにファストフード店などでのアルバイトに明け暮れた。
携帯料金とは別に父親からはお金の無心もされたという。「わりぃ、貸してくれないか」と言ってはバイト代をせびってくる。「その月のバイト代10万円を全部持っていかれたときはさすがに参りました」。
父親に翻弄されながらも、アキラさんの成績が落ちることはなかった。東大も合格圏内で、実際に力試しを兼ねて受けた早稲田大学には合格した。しかし、私立大学に進むだけの経済的な余裕はない。浪人覚悟で東大を狙うこともできない。一方でよい思い出のない実家を離れたいという思いもあった。悩んだ末、地方の国立大学へと進学した。
大学では、1人暮らしの生活費は家庭教師や居酒屋のバイト代で、学費は貸与型の奨学金で賄った。それでも生活はぎりぎり。大盛りのペヤング焼きそばを2日に分けて食べ、洗濯は水洗いだけで済ませ、シャワーを浴びる代わりにぬれタオルで体を拭いた。電気を止められたこともあったし、荒れた食生活のせいで時々耳鳴りや動悸にも悩まされたという。アキラさんは「貧乏エピソードとしてはこのころがいちばん大変でした」と振り返る。
必死の思いで2年生に進級した直後、今度は大学側から授業料が振り込まれていないと告げられた。口座を管理していた父親が使い込んでいたのだ。アキラさんは大学を中退。故郷に戻ると、今度は給付型の奨学金がもらえる大学を目指して再び受験勉強を始めた。
アキラさんは一貫して父親への恨み言を口にしなかった。それどころか世間話でもするかのような口ぶりで、時に笑みさえ見せる。「大変なことを大変そうに話しても仕方ないからだと思います。父親のことは達観してしまっていて、もう怒るとか、恨むとかじゃないんですよね。大学を中退したときも、またかーという感じでした」。
梁石日の小説『血と骨』を彷彿とさせる父親の話はまだ終わりではない。
キャバクラで殴る蹴るの暴行を受けた
あるとき、アキラさんの前にこわもての男たちが現れ、「お前の父親が借金を踏み倒して逃げたから代わりに働け」と迫られた。このとき父親は継母とも離婚、キャバクラの雇われ店長として働いていた。「20歳そこそこでキャバクラ店長です。同級生はみんな大学生なのに」。冗談めかして言うので、つい私も笑ってしまいそうになる。
1カ月ほど経つと、父親はふらりと戻ってきた。すぐに店側に見つかり、しばらくは親子でキャバクラで働いていたという。
そしてある秋の日。アキラさんは自宅で首を吊って死んでいる父親を見つけた。財布の中身はわずか17円。メモ帳に「アキラ、ごめんな」と書かれていた。「ああ、やっと死んでくれたんだと思いました。これ以上迷惑をかけられることはないんだな、と。悲しいというよりは、安堵したというのが正直な気持ちでした」。
しかし、本当の危機はこの直後に訪れた。キャバクラのオーナーから父親の借金である500万円を返すまで働けと脅されたのだ。アキラさんが断ると、4、5人に囲まれ殴る蹴るの暴行を受けた。閉店後の店のソファーに座らされ、暴行は深夜から朝方まで続いた。最後は果物ナイフで足を刺され、アキラさんは恐怖のあまり首を縦に振る。
幸い足の傷は軽傷で済んだので、腫れ上がった顔のまま警察に駆け込んだ。しかし、担当者からは「捜査はする。でも、その間自分の身は自分で守るように」と言われた。命の危険を感じたアキラさんは、その足で生まれ育った街を離れ、東京へと逃れた。
それからおよそ10年。現在、アキラさんは都内のベンチャー企業のシステムエンジニアとして働いている。年収約400万円の正社員である。
東京に出てからは、飲食店や寮付き派遣で働いた。派遣の社員寮のほか、友人の家やネットカフェ、シェアハウスを転々とした。25歳までには正社員になりたいと考え、就職したのが今の会社である。最初は事務職としての採用。それから独学でプログラミングの知識を身に付け、社内の効率化やコスト削減に貢献した。実績を重ね、システムエンジニアへの職種変えを希望したところ、認められた。会社が順調に成長したこともあり、毎月の手取りも17万円から25万円ほどへと上がったという。
故郷を離れてからのことをアキラさんはこう振り返る。
「東京では何人もの友人に助けられました。東京の大学に進学して1人暮らしをしていた高校時代の友人や、ネットのゲームで知り合った友人。居候をさせてくれたり、中にはアパートを借りるときの保証人になってくれた人もいました。彼らに迷惑はかけられない。その一心でした」
父親を恨んでいますか? そう尋ねると、アキラさんはやはり少し困ったような笑顔を見せてこう答えた。「年の離れた友達のような人だったんです」。
アキラさんが伝えたいこと
アキラさんは「貧困から抜け出せた経験も取材していただければ」と編集部にメールをくれた。私はありがちな自己責任論を展開されるのではないかと少し警戒していた。しかし、アキラさんは「私は自己責任論者ではありません。自分の頑張りだけでは、どうにもならないことがあると身をもって知っているので。私が貧困から抜け出せたのも運がよかっただけです」と語った。
では、アキラさんは記事を通して何を伝えたいのだろう。「一方で運やタイミング次第で(貧困から)抜け出すことができないわけではない。そのチャンスをつかむために、少しでも備えをしておけばよかったと、私自身が思ったんです」。
例えば大学を中退したときや、キャバクラで働かされたとき、もう少し法律面の知識や何かしらのスキル、いわゆる社会常識などがあれば、また違った選択ができたのではないか。怖くていいなりになるしかなかった面はあったものの、少なくとも今の自分なら行政には相談していたはずだという。
「貧困状態にあるときは心の余裕もありません。コミュニケーション能力などには個人差もあると思います。それでも訪れた運をつかめば何とかなるときもあるんじゃないか。(自分と同じような貧困状態にある人の)背中を押したいというのもちょっと違う。ただ背中に手を当てたい。そう思ったんです」
アキラさんは優しく、ユーモアがあり、聡明だった。一方で自身の将来についてはこんなふうに突き放した。「価値観の合う人がいれば、結婚はするかもしれません。でも、子どもだけは絶対に欲しくありません。家族というものが疎ましい。自分の中に流れるこの血だけは次の世代に残したくありません」。
壮絶な経験を穏やかに話す姿と、自分の血だけは絶対に残さないと言い切る闇を抱えた姿のギャップは、私の中で最後まで埋まらなかった。当たり前かもしれない。取材で話を聞いただけで、すべてを理解することなど土台無理な話なのだ。
ただこれからのアキラさんの人生が実り多いものであることを願う。親ガチャという言い方をするなら、ガチャでアキラさんを引き当てる子どもがいるとすれば、その未来はそう悪いものではないと思うのだ。
藤田 和恵 : ジャーナリスト
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