下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です
賃貸物件の契約では「原状復帰」が求められる。入居者が自殺した場合、その責任は遺族が追うことになる。家主側の代理人を務めている司法書士の太田垣章子氏は「一人暮らしの娘さんを亡くされた両親からは、最初に『一体いくらかかるのですか』と聞かれた。この件での損害賠償は原状回復費用を含んで100万円程度になった」という――。
※本稿は、太田垣章子『不動産大異変』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
コロナ禍以降増えた自殺
2020年、新型コロナウイルスが日本に上陸して感染が広がってきた時、私は「これから家賃滞納が増える」と直感的に思いました。そのため家主への警告という意味も含めて、「入居者とコミュニケーションをとって」と動画配信をしました。それが3月6日のことです。まさかその時期には、この先自殺者が増えるだろう、というところまで考えが及びませんでした。
ところが緊急事態宣言中の5月2日。私は初めて管理会社の担当者から、入居者が自殺したという連絡を受けることになるのです。いつもなら旅行する人たちが多くなる、ゴールデンウイークの最中のことでした。
若い女性に自殺が増えた管理会社の安藤剛さんは、とても慌てた口調でした。「首吊りです、首吊り。どうしたらいいですか?」。
声が少し震え、電話の向こう側で混乱している様子が見えるようでした。
管理の仕事に就いて3年目の安藤さんにとって、入居者の自殺は初めての経験です。
家族から「娘と連絡がとれない」と連絡を受け、駆けつけた両親と一緒に室内に立ち入ったところ、変わり果てた姿を見つけてしまったということでした。
警察に通報した直後、どうしていいのかも分からず私に電話がありました。
なぜ自殺をされると困るのか
これは困ったことになったな、それが私の第一印象です。
この時にはまだ私も、この先延々と自殺が止まらないとまでは思ってもいませんでした。
なぜ困ったと思ったのでしょう。
家主側の代理人として動いている私からすると、自殺をされてしまうと、家主側が受けるダメージがあまりに大きすぎるからです。
一つは、事故物件になってしまったことの損失。
もう一つは、解約手続きが難航するという問題です。
事故物件になれば物件の資産価値はぐっと下がる
まず一つ目の事故物件になってしまったという損失について。
室内で自殺された場合、いわゆる事故物件になってしまい、物件の資産価値はぐっと下がってしまいます。今は事故物件を載せるサイトもあるので、事故があったことは延々と残ってしまうからです。売却する時には、よほどの好条件が加わらない限り、売買代金は数百万単位で下がるでしょう。
月々の家賃収入だって激減します。
最近でこそ「家賃さえ安ければ気にしません」と、自殺直後の部屋でも入居する人も増えましたが、一般的には「自殺した直後の部屋には……」と、その部屋に住んでくれる入居者を確保することが難しいのです。
そうなると賃料を極端に下げるか、あるいは当面、募集をせずに空室にしておくことになってしまいます。結果、家主のその間の収入は減ります。
中には自殺された部屋だけでなく、「気持ち悪い」と別の部屋の住人まで退去されてしまうことも少なくありません。そうなるとまた募集もしにくく、家主側の収入に与える影響は計り知れないのです。
これだけではありません。すぐに発見してあげられればいいのですが、そうでなかった場合、匂いを取る等の特殊清掃も含め、原状回復費用が通常よりかなり高額になります。
「賃貸借契約」は相続される
これらの費用を全部合算すると、軽く数百万円になってしまうのが現状です。家主からすると、例えばこの金額を自殺した人の親族などに全額支払ってもらったとしても「事故物件にされた」苦々しさは消えません。しかしそれでも払ってもらわなければ、賃貸経営そのものを揺るがすほどのダメージとなるのです。
一方で請求される方も、親族を失った悲しみに加え、このような予期せぬ高額請求を受けてしまうと、払いたくても払えないというのが現実の話ではないでしょうか。
こうして家主は、一つ目の大きなダメージを受けるのです。
そして二つ目のダメージ。入居者がお亡くなりになった時、問題になるのは賃貸借契約が相続されてしまうということです。
今でこそ賃貸物件は珍しくもなく、日本全体からすると空室や空き家もあるくらいですが、そもそも法律ができた時代には、賃借権というのは貴重な財産でもありました。その権利が相続されてしまうのですから、賃借人が亡くなれば、その相続人がお部屋を継続して使って家賃を払ってくれない限り、相続人に契約を解除してもらわねばなりません。しかも解除の法律効果は、相続人全員と解除しなければならないというハードルもあります。
ところが自殺の場合は、この解約手続きがとても難航するのです。なぜなのでしょうか。
賃貸物件での自殺は圧倒的に相続放棄されることが多い
ここで立ちはだかるのは、先の賠償金等のお金の問題なのです。
まず支払いを要求される相続人からすれば、何とかそのお金を払わずに済ませられないか、そう考えます。
相続の場合、相続放棄の手続きが法では準備されています。堅実に生きてきた人が、相続をきっかけにある日突然、多額の借金を背負うことになり、そこから逃れられないとすると、あまりに酷だからです。
もっと詳しく言うと、相続人はプラスの財産もマイナスの財産も全て相続するか、あるいは一切を相続しないのか、それとも折衷案として相続人のプラスの財産の範囲内でだけ負債分を支払うか、その三択が用意されています。
賃貸に住んでいる方の自殺の場合、残念ながら圧倒的に相続放棄が多い印象です。亡くなった方に、預貯金が多いケースが少ないのでしょう。相続放棄をしなければ、事故物件にしてしまったことへの損害賠償額を、相続人の財産から支払わねばなりません。家主に申し訳ないと思いつつも、その額を自らの財布から支払うことはできないと判断するのでしょう。
相続放棄
相続放棄は相続が発生し、自分が相続人となったことを知ってから3カ月以内に家庭裁判所に対して手続きをします。相続放棄は亡くなった人の一切の財産を取得しません、という意思表示なので、相続放棄の手続き前に財産を受ける、財産を処分してしまうと放棄の手続きはできません。学説に諸説はありますが、賃貸借契約の解約手続きや荷物の処分は、財産の処分とされ、その後、相続放棄の手続きができなくなってしまいます。
死後もずっと契約解除できないという最悪の状況
しかし相続放棄をされてしまうと、家主はただでさえ事故物件になってしまったことのショックがある上に、原状回復の費用や損失の補塡もしてもらえず、まさに踏んだり蹴ったりです。よほどの保険に加入していない限り、数年分の純利益が吹っ飛ぶ計算となります。さらに家主の苦悩はこれで終わりません。
第一順位の相続人が相続放棄をすると、亡くなった人の財産は第二順位の相続人に引き継がれます。血の濃い相続人が相続放棄をしたのに、第二相続人が「全て支払います」だなんて、基本的にはあり得ません。そうなるとほぼ間違いなく、第二順位の相続人も相続放棄の手続きを取ることになります。
さらにもし第三順位の相続人がいれば、当然放棄の手続きになるのは目に見えています。そうして誰も相続人がいなくなって初めて、相続財産管理人を選任することになります。大概はここまでに賃借人が亡くなってから1年近く経っています。
相続財産管理人相続財産管理人とは、相続人が明らかでないとき(相続人全員が相続放棄して、結果として相続する人が誰もいなくなった場合も含む)、亡くなった人に代わって亡くなった人の財産から債権者等に対して借金等を支払い清算をする人。清算して残った財産は国庫に帰属します。
そしてやっとの思いで選任された相続財産管理人と契約を解除しようと思っても、相続財産管理人はボランティアではやってくれません。業務をしても自分の報酬が得られないと判明したら、辞任してしまうことがあるのです。
そうなれば、家主は誰と賃貸借契約を解除すればいいのでしょう。亡くなってから1年経ってもなお、契約は解除できず、室内の荷物を勝手に処分することもできないという最悪の状態になってしまうのです。
これが自殺された家主が陥る、とてもとても大きな問題なのです。
お金の問題を突きつけられ「今そんなことを言われても」
2021年1月27日、国土交通省・法務省の両省が遺品処分の委託先を生前に定めるルールを整備すると発表しました。これが普及すれば家主の負担は随分軽減されるはずです。
安藤さんは家主に「自殺」の連絡をした際に「しっかりお金は払ってもらってよ」と言われてしまったので、亡くなった賃借人の両親に「もろもろ発生する損害の請求があると思います」と伝えてしまっていました。
両親は、大切な娘が亡くなってしまった悲しみと「なぜ死んでしまったのか」という複雑な思いに加えて、瞬時にお金のことを突きつけられたのです。
逆に「今そんなことを言われても」と声を荒らげられたので、安藤さんは私のところに連絡してきたと言うわけでした。
両親は第一発見者となってしまっていたので、警察からいろいろと確認される立場。今日のところはそのままお帰りになってもらって、落ち着いた頃に私が家主の代理人としてお話しするということになりました。
緊急事態宣言中ではありましたが、両親側の意向もあり、10日ほど過ぎた頃、私はお家に伺いました。住まいは自殺の現場となった東京の足立区ではなく、埼玉にあるアパートでした。物件からは電車で1時間半くらいでしょうか。賃借人は東京の会社に勤務するために、自立して家から出られていたのでしょう。
お焼香をさせていただこうと思ったのですが、小ぶりなリビングなのにご遺骨は見当たりません。私が申し入れても、「先に話を」と軽くかわされてしまいました。リビング以外を見られたくなかったのか、理由は分かりませんが、それ以上何も言えない雰囲気でもありました。
「本来であれば100万円ほどご請求したい」
「これからどうなるのでしょうか」
父親は40代後半でしょうか。お金のことを、ひどく気にしているようでした。
「これからいったいいくらのお金が要求されるのでしょうか」
おとなしそうな母親も、心配のようです。
「見ての通り、私たちは裕福じゃない。だからお金を請求されても払えません。いったいいくらくらいなんですか? 見当もつかない」
父親が、少し不安そうに呟きました。
今回は発見が少し遅れてしまい、匂いを消すために特殊清掃が必要です。また病死ではなく自殺ということで、確実に部屋の募集時には告知義務があり、そのために家賃も相当減額しないと入居者を確保できません。もともと6万円弱の小さなワンルームですが、賃料を下げると家主の借り入れの返済に支障がでます。その差額分に損害賠償も合わせると、ざっと100万円。
ただ相続放棄されるくらいなら……。家主からは、その辺りの意向も私から両親に伝えるよう、明確に提示されていました。
「本来であれば、損害賠償も含めて100万円ほどはご請求したいところです。あの物件は、まだ築2年なので」
私がそう言った瞬間、両親の顔は凍り付きました。
「払えない、払えないです。そんな額はとても払えません。コロナで私の収入も激減しているんです。ここも賃貸だし、財産なんて何もありません。私たちだって生きるのに精一杯なんです」
相続放棄されるのを阻止するために
父親の訴えを聞くと、あながち嘘をついているようには思えませんでした。
迷惑をかけたことは分かっているけれど、本当に支払う余裕がないといった空気は伝わってきました。
ここで押したら、絶対に相続放棄されてしまう……そう思った私は、あらかじめ家主とすり合せをしてあったので「払えない」という意向を受け入れることにしました。
「お気持ちは分かりました。先ほど本来であれば、とお伝えしたと思います。家主もお支払いいただきたいと思っているところですが、そのようなご事情がおありであれば、致し方ありません。その代わり、お部屋の荷物の撤去をお願いできますか?」
私はそう言いながら、賃貸借契約の解約書面を出しました。
申し訳なさそうに、両親は解約の書面にサインをしてくれました。
お金の要求がなくなった、ということでホッとしたのか、入居者のことを少しずつ話しだしてくれました。
娘は中学から年齢を偽ってアルバイトをしていた
私たちにお金がないから、娘は学生時代から部活もせずにずっとアルバイトをして、そのお金を家に入れてくれていたんです。大学だって全額奨学金を借りて、自分でバイトもして。友達と遊ぶ余裕なんて、なかったと思います。青春って言うけど、娘の場合はずっと働いてばっかりですね。楽しいことなんかあったのでしょうか。
親としては情けない限りです。
都会に行きたいって、ここじゃ仕事もあんまりないし給料も安いからって、それで東京の会社に就職して、部屋を借りたんです。
アパートだけど、東京の家賃は高いって言っていました。
給料から6万円の家賃と奨学金を返済したら、手元に7万円くらいしか残らないって言っていましたよ。
娘は物心ついたときから、ずっとお金で苦労している感じです。私たちに甲斐性がないから可哀そうでしたが、私たちも学がないので仕方がないんです。だから娘は必死に大学に行ったのでしょう。
ただ中学から年齢を偽ってアルバイトをしていたくらいですからね。学力的にはいわゆる偏差値のいいと言われる大学には進学できませんよね。そうなると必然的に働くところだって、そんなにいい給料がもらえるようなところには就職できません。
ちょうど4月の半ばだったかな、頑張り屋なのにしんどいって言ってきたんです。私たちが助けてやれたらいいのですが、「父さんたちもしんどいわ」っていつもの調子で言ったんですよ。
そしたら明るい声で、「だよね、一緒に頑張ろうね」って。
頼れないって、辛かったでしょうね……。
娘は小さな会社の事務をしていました。コロナで自宅で仕事をしているようでしたが、インターネットっていうんでしょうか、そのお金もかかるから苦しいって嘆いていました。
それでしばらく連絡せずにいて、次に電話をしたらもう連絡がつかなくて。
警察の人には死後5日くらいと言われました。胃の中に何も残っていなかったから、食べてなかったんじゃないかって。
お金の問題がなくなりホッとしたのか…
親を頼れなかったから……。そう母親は何度も涙声でつぶやいていました。
重い空気でした。私が帰ろうとしたとき、「娘に会ってもらえますか」そう引き留められたのです。訪問時はお金の要求をされると、恐れていたのでしょう。ホッとしたのか、そう声をかけてくれました。
リビング横の襖を開けたら、そこは4畳半くらいの和室でした。年代物の簞笥二竿と、2人分の布団。
その隅に小さなご遺骨と、大学卒業の時の写真でしょうか、まだあどけない顔をした女の子の写真が置いてありました。
苦労を感じさせないような笑顔。これから社会に出る、そんな時期。たくさんの夢を抱いていたのでしょうか。コロナで収入が減って、追い詰められたのでしょうか。誰も頼れなくて、夢を持ち切れなかったのでしょうか。それとも社会に出て、現実の生活に追われていたのでしょうか。「若いんだから何でもできるのに」、そんな言葉が聞こえてきそうですが、そう片づけてしまうのには、あまりに残酷な現実に感じました。
賃貸借契約さえ解約してもらえば入居者募集できる
自殺した彼女のように、平成生まれの今の20代が物心ついたときから、日本経済は低迷している状況でした。格差社会と言われ、バブル世代のように楽しい経験をしていないのです。夢を持てなくなったとしても、誰が彼らを責められるでしょうか。
大人になれば、社会人になれば、そう夢を描きながら学生時代を友達とも遊ばずにアルバイト生活をして、念願の社会人になって。でもその瞬間に奨学金という借金を背負ってのスタートです。働いても働いても、楽しいことに使える時間もお金もなかったのでしょう。
新型コロナウイルスのせいでリモートでの仕事。狭いワンルームの中で、逃げ場を失って、それ以上頑張れなくなってしまったのでしょう。
ほんの2年ほど前には、こんな笑顔を見せていたのに。
この40㎡ほどのアパートで、親子3人で住んでいたときは幸せだったのでしょうか。
東京だから、頼れる人もいなかったから、それで辛かったのでしょうか。
お金の請求をされずに安堵の表情を浮かべている両親に、私はそれ以上何も言えませんでした。
家主の気持ちを考えれば、お金の請求をしたいのは山々でした。ただあのまま押せば、必ず相続放棄をされてしまいます。そうなればこの先1年くらい決着がつかないまま、次の入居者も入れられず、そしてきっとお金の回収もできず、時間だけがいたずらに過ぎていくだけです。
賃貸借契約を解約して荷物を撤去してもらえれば、仮に家賃を下げたとしても、入居者募集という前向きな方向に進めていくことができます。
賃貸物件内での自殺件数は増加する一方
私は両親に会いに行く前に、お金の回収ができそうになければ、せめて早期に解決できるようにしようと家主と話し合っていました。
太田垣章子『不動産大異変』(ポプラ新書)
家主は憤りを隠せないまま、それでも私の話を聞いて決断してくれたのです。
この後、2020年の6月くらいから、賃貸物件内での自殺件数は増加する一方です。
加速度的に増えている印象です。そしてこの案件のように、若い子の自殺が目立っていました。そして秋ごろから、ようやく自殺が増えたと報道されるようになりました。
新型コロナウイルスによる死亡者より、はるかに多い人たちが毎月自ら命を絶っています。その度に家主は、経済的に追い込まれているのです。
政府の統計によると、日本では2020年10月の国内の自殺者数が年初来の新型コロナの死者数を上回りました。警察庁が発表した同月の自殺者は2199人と前月から急増。一方、厚生労働省がまとめる日本の新型コロナ死者数の合計は、11月27日時点で2050人となっています。
法律は何のためにあるのでしょうか。時代の流れの速さに、古い古い法律だけが不動の顔形で私たちの前に立ちはだかっている、そんな気がしてなりません。
そして失われる若い命。新型コロナウイルスは、経済的な弱者に襲いかかります。
太田垣 章子OAG司法書士事務所法人代表
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