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高齢者との会話で半生浮き彫り…家族と疎遠の老後の哀しさ

2021-07-02 13:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

ここのところ、青木さんの顔色が悪い。もともと、あまりいいわけではない顔色が、なおも土色に沈んでいる。

 でもきょうは、午前11時すぎには姿を現し、おいしそうに肉豆腐の昼食も平らげていた。

 ところが夕刻が迫る頃、一大事件が起こった。青木さんが大便を失禁してしまったのだ。

 ベテランの女性ヘルパーが気付き、浴室に連れ込み、ズボンを剥がし、下着も脱がせ、下半身を洗い流した。

 これほどひどい事態は、青木さんを1カ月ほど見守ってきたが初めてのことだ。予想もできなかったのだが、この日の終礼で、身を寄せている養護施設の責任者から、人間としての道理を超えた、信じられない罵詈雑言を浴びせられていたことを知らされたのだ。

「みんなに迷惑をかけているおまえには、生きる権利などない」と……。

 いくら何でもひどすぎるなどと話していると、職員のひとりが僕に「あなたより1歳、若いのですよ」と、冗談交じりで明るく知らされてから、得も言われぬ親近感が生まれた。


 生まれたのは昭和23年、北海道の道東の都市。日本の戦後の復興を担って、高校を卒業後に“金の卵″ともてはやされ上京してきたのだが、どんな仕事に就いたのかはっきりしない。

「おじいさんは、酔っぱらって港を歩いているときに足を滑らせ海に落ちて死んだ。父親は貧しい漁師で、母親は、さびれたバーのホステス」

 そのゆっくりとした歩行と同じようなテンポの、絞り出すような重苦しい言葉で語ってくれたのは、散策の道中で、近くの公園に向かった時だった。
 養護施設の寮への送迎を何度か繰り返すうちに、青木さんとの会話が始まり、これまでの半生が浮き彫りにされてきた。

■若い頃は宝石商で稼ぐも…
小春日和のその日は、青木さんの機嫌もよかったのか、ベンチに腰を下ろして、しばらく会話が弾んだ。

「若い頃は、宝石商をやっていて、日本全国を回った」

 地方の公民館、デパートの催事場、ホテルの宴会場などに出店し、展示即売会を開催して儲ける商売だ。

「宝石商は、利ざやが大きいと聞いています。地方には、お金を持っていても使う機会のない主婦などが多いですからね。たとえば、地方の名門企業の社長夫人や、お医者さんの奥さん……」

「ターゲットは、お金持ちの奥さんではなくて、ふつうの奥さん」

「どうして?」

「彼女たちの虚栄心をかき立てるの。Aさんは50万円の指輪を買いました、Bさんは70万円のネックレス……。すると、私は100万円のイヤリングを……となる。社長や医者の奥さんなどの金持ちは、意外としみったれているものだ」

「最高で、どのくらい稼ぎました?」

「そう……、普通の会社員の1カ月分を、1日で稼ぐなんて、珍しくなかった」

「だったら、随分、残したでしょう」

「まったく残っていない……」

「酒、女、ギャンブル?」

「酒は飲まない、ギャンブルもしない」

「女……?」

「まあ、いろいろとあったな」

 まるで演歌の世界だ。

「結婚は」

「5年で別れた」

「お子さんは……」

「娘が2人いる。それぞれ家庭を持って、俺のことなど構っていられない」

「面会には来ないのですか」

「一度も顔を見せない」

 柔らかな日差しが、青木さんの額を照らし、まぶしそうな表情を見せていた。

 それからしばらくして、何の前触れもなく、施設に来なくなってしまった。噂では、新潟県の山深くにある施設に送られたとか。僕の非番の日に、娘さんがお礼の挨拶に見えたという話も聞いた。気品のある、美しい女性だったと、対応した女子社員は絶賛していた。

 そういえば池のほとりで見せた、青木さんのまぶしそうな目元が涼しく、年上の女性を引きつけるかも知れない、それが原因で……と、僕の妄想はどこまでも膨らんでいった。

 家族と疎遠になった高齢者の老後は哀しい。

夏樹久視作家
1947年東京生まれ。週刊誌アンカー、紀行作家



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