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愛子さま学習院大入学式は中止でも「また来てね、うちに!」 “天皇の娘”サーヤとの共通点とは――2020 BEST5

2021-01-02 11:06:44 | 日記

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2020年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。皇室部門の第5位は、こちら!(初公開日 2020年4月3日)。 【写真】笑顔で手を振られる“ハーフアップ”スタイルの愛子さま *  *  * 「たくさんの経験ができ、またとても楽しく、とても充実した学校生活を送ることができたと思います。お世話になった先生方やお友達、すべての関わってくださった皆さまに心から感謝しております」  3月22日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さま(18)は、学習院女子高等科の卒業式を前にして、学校の北門前で報道陣からの声かけにお一人で立派に応えられていた。  両陛下は悩まれたようだが新型コロナウイルス感染防止のため、そしてこの春、卒業式に出席できなかった多くの保護者などを思い、お二人とも出席されず、愛子さまは卒業式もお一人で臨まれた。
愛子さまは「また来てね、うちに!」
 14時頃に卒業式が終わったようで、それからしばらく経った16時40分頃、思いがけず愛子さまとご友人の交流を垣間見ることができた。  愛子さまは、赤い正門前に何人かのグループでやってこられ、記念撮影をされていた。先ほどとは打って変わって、自然で打ち解けたご様子だった。ある時は3人組の中央に愛子さまが入られて、卒業証書が入った筒を片手に持ち、笑顔で撮影。そのご友人に愛子さまが「また来てね、うちに!」と楽しそうに声をかけられていた。赤坂御所、そして今後引っ越しが予定されている皇居内の御所のことを話されていたのだろうか。  印象的だったのは、愛子さまの同級生が「なんとか卒業できました!」と宮内庁職員に話しかけていたことだ。愛子さまの高校生活は、職員も含めて同級生に受け容れられるようになっていたのだな、と感じた。  その後、愛子さまたちはいつもの登下校に使う北門へ姿を見せられた。愛子さまは守衛さんにお礼を伝えた後、数名のご友人と一緒に、校舎に向かって「ありがとうございました!」と声をそろえ、腰を90度に曲げて深々とお辞儀をなさっていた。名残惜しさもあったのだろうか、愛子さまは18時前に学校をあとにされた。楽しかった女子部時代を物語っていたように思う。
同じ学部で学ばれた女性皇族といえば……
 愛子さまは学習院大学文学部日本語日本文学科に進学される。4月3日に予定されていた入学式は中止、オリエンテーションや授業開始日は4月中旬以降に繰り下げられ、詳しい日程について再検討が進められているという。  学習院大学のなかでも天皇陛下が学ばれた文学部史学科や、「国際的なビジネスの第一線で活躍できる人を育成する」という国際社会科学部ではなく、文学部日本語日本文学科を選ばれた。愛子さまは、女子高等科の卒業レポートも「平安文学に見る猫や犬、人との関わり」について書かれている。  同じく学習院大学文学部国文学科(現・日本語日本文学科)で学ばれた皇族といえば、「サーヤ」の愛称で親しまれた紀宮さま(現・黒田清子さん)を思い出す。学習院大学入学式の日、「白と黒のチェックのツーピース姿の紀宮さまは友人とにこやかに言葉を交わしながら、学習院創立百周年記念会館内の式場に入られた。式後は、構内をご見学。同大文学部国文学科百十三人の新入生の一人として、大学生活のスタートを切られた」と報じられている(毎日新聞1988年4月9日)。  ご結婚前に山階鳥類研究所で勤務され、「皇居と赤坂御用地におけるカワセミの繁殖状況」など数々の論文を執筆、鳥類のご研究をなさってきたイメージが強いかもしれないが、大学時代は国文学を専攻されている。和歌の研究を続けられ、天皇や上皇の勅宣によって編纂された勅撰和歌集である八代集(「古今集」から「新古今集」まで)におさめられた「四季の歌」を分類研究した卒業論文を提出されている(「八代集四季の歌における感覚表現」)。また盲導犬の訓練にも関心をお持ちになり、学習院女子中等科以来の日本舞踊も続けられていた。  愛子さまが進学される文学部日本語日本文学科では、1年で一般教養を学んだ後、日本文学系か教育系いずれかの専門的な課程に進むという。学習院初等科を卒業する前には「藤原道長」をテーマにレポートを書かれた(「女性自身」2020年2月11日号)という愛子さまだから、日本文学系の研究に進まれるような気もするし、大学生活のなかで試行錯誤されながら、興味関心を持たれた分野を深められていくことだろう。サークル活動に参加されることや、海外留学も視野に入れられているかもしれない。そしてあと2年で、成年皇族として公務を担われることになる。
内親王であり、天皇の娘である愛子さま
 愛子さまと紀宮さまは、内親王であり天皇の娘だ。私は皇室の取材を続けてきたなかで、宮内庁関係者が語ったある言葉を時折思い出す。 「ここは、天皇皇后両陛下と皇太子同妃両殿下が京都市内にお越しになるとお泊りになるところです。宮家の皇族方は宿泊できない。つまり、愛子さまは東宮家のお子様ならではのご体験をされたのです」  この言葉は、2016年夏、NHKのスクープで天皇陛下(現・上皇さま)が退位の意向をお持ちであることが明るみに出た直後、7月21日に皇太子ご一家(当時)が神武天皇陵を参拝され、京都大宮御所に宿泊されたことの意味を解説するものだった。どちらも、愛子さまにとっては初めてことだった。  もしかすると愛子さまが、ご自身の立場を強く自覚された機会の一つになったのではないだろうか、と思うのだ。この年の夏はご一家で、第1回「山の日」記念全国大会に臨席されるなど、お出ましも多かった。次第に愛子さまはほっそりとした姿を見せられるようになり、多くの国民が心配しながら見守っていた。過度なダイエットが理由とも言われた。愛子さまは女子高等科に入学されてから、回復の兆しを見せられていったように思う。今ではすっかりはつらつとしたご様子だ。
「将来的にその立場を離れる可能性がどうしても念頭に」
 紀宮さまは内親王という立場について、「将来的にその立場を離れる可能性がどうしても念頭にあるため、中途半端に投げ出してしまうことのないように、継続的な責任ある立場に就いたりすることは控えてきたということはあるかもしれません」と述べられたことがある(2002年、33歳の誕生日会見)。皇族であることと結婚して民間に入られること、その両方の世界を絶えず意識されてきた日々の葛藤を反映したような言葉だった。  政府は4月以降に、安定的な皇位継承に向けた本格的な検討を始めるという。現行の皇室典範では、皇位継承の資格者は秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまに限られる。  2017年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立したとき、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」と「女性宮家の創設」を速やかに検討するよう政府に求める付帯決議が採択されている。愛子さまが大学を卒業されるまでに、新しい選択肢はつくられているのだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f54ccf886e02e3082670fa8bc95a6078958b537?page=1

「異様な親子」と非難されても…… 雅子さまが不登校の愛子さまに寄り添い続けた日々――2020 BEST5
2020年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。皇室部門の第4位は、こちら!(初公開日 2020年5月10日)。 【写真】この記事の写真を見る(11枚) *  *  *  2019年5月1日に天皇陛下が御即位されて1年ーー。  新皇后の半生を徹底取材した決定版を140枚余の胸打つ写真とともに再構成した 『皇后雅子さま物語 ビジュアル版』 (文春ムック)から、令和の皇后のこれまでを特別公開します。 ◆ ◆ ◆
愛子さまが学校に行けない
2010年3月24日、学校に行けなくなったころ。長野駅で
 2010年(平成22年)3月5日、野村東宮大夫が愛子さまが体調の不調、通学に不安があると定例記者会見で発表した。 「同じ学年の別の組に乱暴なことをする児童がいて、宮さまを含め、他の児童に乱暴していることが原因と判明しました」  記者たちは、衝撃の発表に騒然とした。  4月、愛子さまは学習院初等科の3年生に進級されたが、5月に入っても愛子さまの不規則な登校は続いた。雅子妃は付き添われたまま学校に残られて、教室内や廊下で授業を見守られたり、休み時間に校庭で遊ばれる姿を隅から眺められたりなさっていた。
世間から非難されても付き添いを続けられた雅子さま
 お付き添いが長期化したことから、世間からは「母子密着」「甘やかし過ぎ」「プライベート優先」などといった声が聞こえ始めた。  最も重要なのは、愛子さまご自身が、学校に行きたがっているということだった。だが勇気が出ないといわれた。だからこそ、雅子妃は世間から非難されても愛子さまが集団生活を続けるためにはお付き添いしか方法がなかったのだ。
完全にお1人で登校ができるように
 2011年(平成23年)9月14日、愛子さまの校外学習(2泊3日)に雅子妃が山梨県山中湖村まで付き添われることになった。  両殿下は、校外学習は愛子さまがお1人で学校に行けるきっかけとなる大きなチャンスだと期待されたそうだ。だが、愛子さまはお1人で行くことまでは勇気が出ないとおっしゃる。  雅子妃が子どもたちの一行から少し遅れて後から付いていくことになった。 「愛子さまは既にお1人で登校することができたので、後もう少しというところでした。次はこの校外学習を大きなステップとして自信を付けていただいて、完全にお1人で登校ができるように繫げられたかったのではないでしょうか。両殿下としても大きな賭けに出られたのだと思います」(元東宮職)
「茶番」「異様な親子に映る」
 だが、この校外学習は、大きな波紋を呼ぶことになった。  東宮大夫会見で、宮内記者の1人が、 「今回のお付き添いは、きわめつけの茶番ですよ。皇室の尊厳もくそもない!」  別の女性記者も、 「付き添いの形があまりにも異常です。親が子を思う気持ちは分かるが、大夫からの説明、支える者の方針がなければ”異様な親子”に映る」 これまでにない辛辣な言葉だった。  宮内記者らから「茶番」「異様な親子に映る」などといった辛辣な言葉で批判され、雅子妃はこれほどまで理解が得られなかったことに、深く落ち込まれたのだった。
正門から軽やかな足取りで校舎へ
 9月27日、学習院初等科の正門前付近で待機していた記者たちは驚いた。愛子さまが愛犬「由莉」を連れている女官とご一緒に登校されてきたからだ。皇太子ご夫妻のお姿はない。愛子さまが皇太子ご夫妻のお付き添いなしに登校されたのは(部活動以外の通常授業では)実に19カ月ぶりだった。正門から軽やかな足取りで校舎に入っていかれた愛子さまを見届けた東宮職は、思わず笑顔となり、小さくガッツポーズをしたという。
【写真で振り返る】雅子さまと愛子さまご通学の日々
 2008年5月19日、学習院初等科の遠足で、葛西臨海公園を訪ねられた  2007年5月15日、学習院幼稚園の遠足に向かう  2007年10月13日、 学習院初等科運動会の見学へ、迎賓館赤坂離宮前の横断歩道をお歩きのところ  2008年3月6日、学習院幼稚園おわかれ遠足。横浜市「こどもの国」を訪れた  2008年3月15日、学習院幼稚園卒業式。 式場前で記念撮影
https://news.yahoo.co.jp/articles/d39d1be00076f8704a75d2be13d37a0cf4f0f8e1?page=1



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