お祭りです。
親に小遣いをせびって、取る物も取り敢えずお宮に走った頃の様に
ウキウキした気持ちは薄れて居ますが、あの喧騒と匂いは変わっていません。
然しながら、爆竹や癇癪玉の音は見事に成りを潜めて、玉砂利を踏む音と、
婦女子の歓声だけが耳に残ります。
そして男女共中高生は、この様な場所を徘徊して居ません。
日本を代表する進学校の、子供達が学んでいる地域の特性でしょか、
本当に目にしません。
そして肩で風切る輩も居ません。
管轄の本富士署は歴代の警視総監を何人も輩出している
エリート警察官の登竜門の様な警察署です。
其の為なのか、祭りの会場に警察官の姿も有りません、
平和を絵に描いたような地域です。
根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄
木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には
太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に
現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、
国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神
威高い名社である。
御祭神須佐之男命・大山咋命・誉田別命 ○
相殿 大国主命・菅原道真公
御社殿宝永二年五大将軍綱吉は兄綱重の子綱豊
(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその
屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの
本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが
欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。
例祭(九月二十一日)六代将軍家宣は幕制をもって
当社の祭礼を定め、正徳四年江戸全町より山車を出し、
俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行した。
現存する大神輿三基は、この時家宣が奉納したものである。
同じ格式による山王祭、神田祭とあわせ江戸の
三大祭と言われている。
9月16日火曜日『 もしもし、黒龍手に入ったけど呑まない』と勝安君に電話、
武田君の家での呑み会を勝手に決定。
会話も弾み、誰とも無く、中華の美味い所は何処だろう?
魚の美味い所は何処?
『中華はね中華街の京華楼』安いし、旨いよ。
生シラスは、茅ヶ崎の『かっとびか、朝丸』
ピンピンの生シラスを食わせてくれるよ。
鮨はね、銀座の鮨清かな、築地でも良いよ。
高島屋の次郎もチョット食うには良いかもね。
そんな会話の中、棟一君が『桜の時期に嫁を連れて屋形船に行きたいな』
『良いね、良いね、俺も連れて行くよ』
『連れて行ける人は連れ行けば良いよ、凄く綺麗で、
風情が有るから喜ぶと思うよ。』
『滝廉太郎の素直な感性が実感出来るしネ』
そんな会話の中、棟一君の奥さんの作ってくれた油味噌がいい香りです、
少し食べて、
『そうだ家に持って帰って味覚えてもらおう』
『我乍らGoodidea』
そして、誰にも食べさせずに、
貰って帰って、お気に入りのジノリの器に装って見ました、
見るからに美味しそうです。
そして、実食、
美味しいです、懐かしいです
、嫁に『是、此れ惟と、』これを連発、
茗荷の浅漬けと、茗荷の味噌汁と打っ叩ききゅうり茗荷合えと共に
半分だけ食べて、半分は明日に御取り置きです。
初めて食べた嫁も、『美味しい』と絶賛です、別に私が作った訳では無いけれど、鼻の穴は大きく成ったまま、暫く元に戻りませんでし。 ご馳走様でした。
『私は油味噌が大好きに成りました。』
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まるびのうどん屋の壁に、ボルボが頬摺りしてそろそろ20日
程、ボルボの代車はトヨタのプレミオの新車です、ガソリン
が減りません。
何か車重が軽くてふわふわしていて、少し怖い気がします。
フル装備なのですが、チョットづつの物足りなさが有ります、
ボルボは、もう直ぐ修理から上がって来ます、やっぱり210馬力
のターボエンジンは魅力的です。
ガソリンは4割程喰います。