NPO法人 三千里鐵道 

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金大中前大統領追悼リレー 2

2009年08月21日 | NPO三千里鐵道ニュース
            
               死線を超えて希望を

                   作家・NPO法人三千里鐵道副理事長
                         磯貝治良

 金大中先生、訃報に接して、とても胸が痛いです。
 私が在日韓国人の友人たちに誘われて、ささやかながら活動を協働するようになったのは、1970年代初め。詩人キムジハや在日韓国人良心囚に死刑が宣告された頃でした。キムデジュン先生が「亡命」の身にあって、民主主義獲得と統一のための在日組織を作ろうとしていたときでもあります。東京のホテルから諜報機関によって白昼、拉致されたのは、そのさなかでした。
 日本政府の責任を糾し、救出のための署名運動くらいしかできませんでしたが、その後の先生の命運から目をはなせませんでした。
 独裁政権のたびかさなる弾圧を乗りこえて政治活動に復帰したときは、目を瞠りました。
 そして、大統領に就任。まさに、民主主義をみずからの力で手にするとはどういうことか、その真実を先生の人生から教えられました。民衆の血と汗によって1987年に「民主化宣言」は成されましたが、そのたたかいを表わす人格的表象は、まさしく「金大中」です。
 先生が成し遂げられた、民族の和解と協力、交流の成果は衆目の認めるところであり、いちいち語る必要はないでしょう。休戦状態のまま第2のユギオの危機と背中合わせにある朝鮮半島が、「統一中」を堅持し、平和へと向かう、まぎれもない希望でした。
いや、朝鮮半島のみならず、日本人の未来にとっても、北東アジアの平和にとっても希望です。その希望は盧武鉉政権によって見事に継承されました。
 北への資金協力が核開発を助けた、などとは妄言です。心ない勢力が喧伝するような「失なわれた10年」ではありません。「平和へつなぐ、希望の10年」。必ずやその真実は蘇えるでしょう。遠い歴史ではなく、三年余のちにそれは証明されるでしょう。
 ご冥福を祈ります。
                       2009年8月21日記す


金大中前大統領追悼リレー 1

2009年08月21日 | NPO三千里鐵道ニュース
     
       金 大 中 元 大 統 領 の 逝 去 を 悼 む
               ー私 の も う ひ と つ の 36 年

              NPO法人三千里鐵道
                 理事長 都 相太


 1973年8月金大中氏が白昼、東京のホテルから韓国情報部によって拉致された。
 私31歳。この事件から金大中氏と関わりあう。関わりあうと言っても、金大中氏のことをよく理解しているのではなかった。韓国情報部に対する怒りであった。逆に言えば、韓国情報部が、私を金大中氏に近づけたのである。
 当時、暴力的権力を縦横無尽に奮っていた朴正熙軍事政権には、政権発足から批判的であり、生理的にも容認できなかった。
 その夏、取引先への用向きで、たまたま東京神田小川町のある会社へ出向いた。所用を済ませ、ビルの階段を降りた正面に「金大中救出委員会」のビルがあった。私は、ためらわず(?)そこに飛び込んだ。
 緊張した面持ちの私を対応してくれたのは、当時の趙活俊事務局長と金鍾忠国際局長であった。
 金鍾忠国際局長は、金大中氏とは幼馴染ということで、金大中氏の生命の危険性を心底心配していた。
 この両先生から名古屋在住の朴柄采先生を紹介され、中部における「金大中救出委員会」の活動と「韓民協」の結成となっていく。
 1987年の韓国大統領選挙時、朴柄采先生と共に韓国を訪問する。
 ソウルの東橋洞の金大中氏宅を訪問する。
 朴柄采先生と金大中氏とは、数年来の知己ということで、この選挙での地域感情の悪化をとても心配していた。
 私が金大中氏に会う初めての機会となった。
 次に金大中氏に会うのは2000年4月、彼が大統領になって2年経過した青瓦台の庭園であった。前述の趙活俊事務局長が組織した「祖国訪問団」の一員としてである。
 金大中氏の思想、信条に共感する機会は月刊誌世界による彼の論文やインタビューよるもののほうが大きかった。
 青瓦台でお会いした2ヵ月後、思いもしなかった南北共同宣言が発表された。
 2000年4月と言う時期は、この6月にお会いした林東源先生が密使として平壌を行き来した時期に当たる。
 当時の金大中大統領の胸中いかばかりであったのかと、察するに余りある。
 私の生き方も、この共同宣言によって大きく変化する。
 この共同宣言に盛られた鉄道連結と言う項目に照準がぴったりとあった。
 「三千里鐵道」という小さな運動体を立ちあげた。
 良き仲間・同志に恵まれたのは言うまでもない。
 
 2009年8月、拉致から36年目の夏に金大中元大統領は逝った。
 私と金大中氏との36年。
 偉大な業績を残し、宿題をいっぱい残して逝った。
 三千里鐵道のささやかな事務所には、1986年元旦に書かれた直筆がある。
 行動する良心によって
 民主回復  祖国統一
 と。
 この6月18日、金大中氏最後の演説は”行動する良心”を何度も強調している。

人々の胸中には誰でも良心があります。 それが正しいことを分かりながらも,行動すれば恐ろしいから, 騒々しいから, 損をするから回避することも多いです。 そのような国民の態度のために、義に徹し戦った人々が、罪もなく亡くなり, 色々な受難を受けなければなりません。 それなのに私たちは、義を徹して成し遂げた民主主義を享受しています。 これが果たして、私たちの良心に恥じない正当なことでしょうか。

 私の一方的な、金大中氏との36年間は、私自身の中の人間を探し、民族を探す旅でした。
 それは結構楽しい旅でした。
 これからも楽しい旅は続けます。
 金大中元大統領を”悼む”とはどういうことだろうか、といま考えています。
 それはきっと、彼の85年の人生を、その歴史を、私がどれだけ、今と未来に生かすかということだろうと、いま思っています。

 2009年夏、日本でも百日紅が咲き始めようとしています。
 韓国慶尚南道居昌の山深い片田舎の、私の父の故郷
 いっぱいの百日紅、夏送りの紅
 金大中さん、ほんとうにありがとう。


林東源前長官、金大中前大統領を語る

2009年08月21日 | 南域内情勢
2004年6.15記念式典に臨むお二人


"まだすべき仕事たくさん残っているのに... "

イム・ドンウォン前長官はキム・デジュン前大統領在職時、国家情報院長,統一部長官,大統領外交安保統一特補などを担当、南北関係で金前大統領の大きい信任を受けてきた。

イム前長官は金前大統領の逝去に対して"まだすべき仕事がたくさん残っているのに、民族のためにもう少し多くの仕事をしなければならないのに,あまりにも早く逝って惜しくて悲しいい"と所感を述べた。

金前大統領に対しては"我が国民主主義と和解.協力,平和.統一のために全生涯を捧げられた私たち民族の偉大な指導者"と短く評した。

金前大統領が去る6.15 9周年行事最後の公式演説で'行動する良心になろう'と明らかにしたことに対して"民主主義と南北関係発展は故人の遺志"としながら、"そのために皆悩み、その遺志を受け継ぎ,民主主義を一層発展させて南北関係を発展させるために、皆が立ち上がらなければならないだろう"とも述べた。

合わせてイ・ミョンバク政府下でも6.15共同宣言精神が引継がなければならないと言いながら、"それでこそ南北関係が発展できるだろう"と話した。

金前大統領の葬儀を6日間の国葬に決定されたことに対しては、"国葬になったことは遺族側と協議して決めたことだから良いことと考える"と明らかにした。


DJついに演説できない最後の原稿
"米国の歴史的責務促す"

彼は金前大統領が病院に入院する前日の7月12日夜9時、金前大統領との通話内容を回想した。

"その翌日ヨーロッパ商工会議所で講演することになっていました。 原稿を脱稿したので検討してみてくれと言いました。 声が良くなくて健康が良くないなという感じを受けて,健康に留意しなければならないのでと申し上げました。 結局その講演をすることができないまま、この原稿が最後の遺稿になった。"

原稿の題名は、'9.19に帰ろう'になっている。 イム前長官は、"この講演文には非常に重要な内容が入っている"と強調した。

彼が理解した最後の演説原稿の内容はこうだ.

"'オバマ大統領は変化を叫んで当選したし,当選後外交政策において大きい変化の風を起こした。 韓半島問題にも大きい変化の波を起こしてくれるように願う'という要旨の内容です。"

"米国は韓半島問題に深く介入してきたし,相当な責任を持った国として、60年余り持続した北朝鮮との敵対関係を終わらせて関係正常化,韓半島平和を成し遂げる勇断を下すことを促したのです。 米国の歴史的責務をつくさなければならないということを強調されるのです。"

北弔問団、南北関係改善意志含むー林東源前長官

2009年08月21日 | 南北関係関連消息

北弔問団,南北関係改善意志含まれている
"政府が良い機会活用しなければ"
        イム・ドンウォン前長官

2009年08月20日(木)12:46:38キムチ観/チョン・ミョンジン記者tongil@tongilnews.com



イム・ドンウォン前統一部長官は20日、北側弔問団の派遣に対して"南北関係改善の契機を用意しようとする意志が含まれている"と語った。

この日午前10時30分、ソウル プレスセンター'韓.米.日知識人100人共同声明発表記者会見'に参加したイム前長官は、<統一ニュース>と行ったインタビューを通じて、"北側で送ることができる最高位級弔問使節が1泊2日で留まるということは、南北関係を改善するための一つの契機を用意するための意志が含まれていると考える"と明らかにした。

特に前日北側'朝鮮アジア太平洋平和委員会'が'キム・デジュン平和センター'に送った通知文で、'特使弔意訪問団'と明示したことに注目し、ここに"重要な意味がある"と強調した。

北側が弔問団に'特使'という用語を使った意味は"キム・ジョンイル国防委員長が直接送ったし,南側当局と会うことができる権限も付与したと見ることができるだろう"と解釈した。

北側弔問団派遣を契機に南北当局間接触の可能性に対しては"政府がこのような良い機会をなぜ活用しないか"としながら、"わが政府がよく活用してふさがった南北関係を解いて韓半島平和を掘り起こす良い契機にしてくれれば良い"と明らかにした。