NPO法人 三千里鐵道 

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金大中前大統領追悼リレー 4

2009年08月22日 | NPO三千里鐵道ニュース


遺族のもとに高銀詩人から追悼詩が届き、紹介された。追悼リレーの一つとして訳し、載せました。namsang


追悼詩

    あなたは私たちです

            高 銀

1.

あなたは民主主義です

闇の日々

荒狂う吹雪に耐え咲く意志です

何度も死の丘を

何度もその丘を越えて

また立ち上がる命の勝利です

あ~あなたは私たちの自由です, 私たちです。

2.

あなたは民族統一です

憎しみの歳月

互いに向けた銃口おさめ、うたう歌です

その誰も妨げることのできない

その誰も望んではばからない

私たちに駆けよる一つの山河です。

あ~あなたは私たちの平和です、 私たちです。

3.

あなたは世界です

人里離れた孤島に生まれ育った

民族の指導者、民族を越えた教師です

あなたの苦難、あなたの長い間の夢は

地球の津々浦々にまで広がり

あなたの名前は、いま世界の名前です

あ~あなたは私たちの未来です、 私たちです。


安らかにお逝き下さい、

私たちに長い叙事詩を残し、お逝き下さい。

金大中前大統領追悼リレー3

2009年08月22日 | NPO三千里鐵道ニュース
        
            金大中先生の意志を受け継ぐ

               ワンコリアフェスティバル実行委員長 
                   鄭甲寿(ちょんかぷす)


金大中元韓国大統領が逝去された。痛切の極みである。
金大中先生が韓国大統領に就任して1998年10月に初めて日本に来た時、朝鮮籍である私を懇談会に招いてくれた。韓国の大統領が朝鮮籍の人間を呼ぶのは初めてだった。在日同胞に対しても南北にとらわれない包容力をもっていた。その時聞いた言葉で印象深かったのは、「もう民族にこだわる時代ではない」と明確に世界のグローバル化を見据えていたことだった。
ありがたいことに、友人の朝日新聞記者は、わざわざ金大中大統領の訪日に合わせて私のことを「ひと欄」に紹介してくれた。金大中大統領と私の記事が同じ紙面に載るので、金大中大統領がこの「ひと欄」を読んでくれるかもしれないと。今にして思えば、招待へのお礼の手紙を、その日の新聞も同封して金大中先生に送ればよかったと悔やまれる。
金大中元大統領の死去に関し、日本の新聞にも多くの人の哀悼とその業績に対する評価が掲載されたが、金大中先生が熱心に唱えていた「東アジア共同体」構想について詳しく触れていたものは、私の見る限りほとんどなかった。実は、私も朝日、毎日、日経、共同通信などのコメント依頼に答えて、この点を強調したのであるが、掲載されたコメントでは完全に抜け落ちていた。そこで追悼に当たって、この点を書かせていただきたい。
金大中先生は、1998年の「ASEANプラス3(韓・日・中)会議」において「東アジア・ヴィジョン・グループ(EAVG) 」の結成を提案し、以後、「東アジア共同体」構想を主導的かつ具体的に推し進めた。それは、2001年のEAVG報告書『東アジア共同体の設立に向けて』を経て、2002年の東アジア・スタディ・グループ(EASG)最終報告書に結実した。この最終報告書を受けて「ASEANプラス3」は、それまでのゲスト的立場の韓国、日本、中国も正式メンバーとなる「東アジアサミット」になる。
金大中先生のこうした構想の推進は、明らかにそれまで地域統合の動きには否定的、消極的であった中国と日本に先立つ先駆性を発揮し、中国と日本の変化を促したものである。なぜ先駆的たりえたのか? 第一に、世界のグローバル化がEUをはじめとするリージョナリズムを促進することを深く認識していたからである。次には、韓国は、台頭する大国中国と依然として経済大国である日本との狭間にあって、常に埋没する危険がつきまとっているからである。韓国は、ASEAN10ヶ国と連携することによってこの危険を回避でき、ASEANも韓国を取り込むことで、日本と中国とのバランスが取りやすくなると考えたのであろう。
私が、1990年のワンコリアフェスティバルの主旨文において「アジア共同体」を目指すことを明言し、以来当フェスティバルの不可欠のビジョンとして主張してきたが、多くの誤解と批判も受けてきた。それだけに金大中先生の「東アジア共同体」構想は、まさにわが意を得たりとの思いであった。といって、私に金大中先生ほどの先見性があったわけではない。国籍一つとっても朝鮮籍、韓国籍、日本籍とに分かれている在日同胞の境遇、いわば複数の国家にまたがっているからこそ、EUのような「国家を超える」動きに敏感にならざるを得なかったのである。ナショナリズムの強い韓国にあって、金大中先生のような認識と構想力をもつことは驚嘆に値する。そして、このようなグローバルな構想力があるからこそ、対北「太陽政策」や「日本の大衆文化開放」も可能であったことに、もっと焦点が当てられていいと思うのである。
金大中先生は、苦難の時代が必要とし、幾度も死線を乗り越えて、その役割を見事に果たされた偉大な政治家であった。韓国が、いやわが民族が、指導者として金大中先生を戴くことができたことは、真に幸いなことであった。私たちには、その意志を受け継ぎ、祖国の平和統一と東アジア共同体の実現に献身する義務が残されている。
金大中先生、安らかにお眠り下さい。