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北弔問団、影の仕掛け人・林東源長官とのインタビュー

2009年08月30日 | 南域内情勢
キム委員長“ソウル情報、紛らわしい,イ大統領直接会って確認してきなさい”
北弔問団ー裏の主役イム・ドンウォン前長官のインタビュー

2009年08月30日(日)12:02:06キムチ観/パク・ヒョンボム記者tongil@tongilnews.com

北朝鮮の故キム・デジュン前大統領'特使弔意訪問団'は、“南北対話を再開して南北関係改善の契機にしようというキム・ジョンイル委員長の意思を伝達するという'任務'について明らかにした。

金前大統領逝去を契機に、南北首脳間'間接対話'を水面下で成功させた,キム・デジュン平和センター理事長イム・ドンウォン前統一部長官は28日、ソウルにある事務室で<統一ニュース>とのインタビューで北朝鮮特使弔問団の'任務'をはじめとする2泊3日訪問の転末を明らかにした。

今回は報道ではなく、三千里鉄道には近しいイム先生の、インタビュー全文を載せる。namsang


<イム・ドンウォン前長官インタビュー全文>


□統一ニュース:
キム・デジュン前大統領と縁が深いと聞いている。 '人間キム・デジュン'はどんな方と思われますか?

■イム・ドンウォン前統一部長官:
私は1995年初めから15年の間、キム・デジュン大統領に迎えられ仕事をしたのを、本当に光栄と考えている。 あの方は、民主主義と人権、南北の和解,祖国の平和と統一のために一生を捧げてきた方だと言えます。

あの方が残した多くの業績の中で、分断史上初の南北首脳会談を成功させ,南北間の不信と対決の歴史を越えて,和解協力の新しい歴史を開いたのが、最も偉大な業績の一つではないかと考える。 そして南北首脳会談以後8年の間、南北関係は途方もなく発展した。

だから今回逝去されたが,キム・デジュン大統領は、韓国だけでなく南と北を通じて全ての同胞が尊敬する民族の指導者、全世界の人々の尊敬を集める民族の指導者である。 多分分断史上,南北が皆同じく認める指導者はこの方が初ではないか。この方が私たちの民族史に占める位置はすごいと一言で言える。

キム・デジュン大統領は、真に立派な政治家であり、行動する良心であったし,卓越した知識人、思想家、と同時に歴史を創造する実践家であったと評したい。

統一ニュース
□金前大統領逝去を契機に、北側で特使弔意訪問団を送ってきた。 これをキム・デジュン平和センターが迎えたが,特使弔意訪問団の進行経過とメッセージ内容に対して明らかにして下さい。

■ 8月18日午後1時43分、キム・デジュン大統領が逝去された。 直ちにセブランス臨時葬儀室に行ったが,多くの人々との話の中で、皆が私に尋ねた。"北側で弔問団がくるか,…招請しなければならないのではないか"、と。

"ノ・ムヒョン大統領逝去の時も、喪主は北側弔問団招請を願ったが政府が許可しなかった,今回はどうだろうか"こういう要旨の質問を私に投げた。私はこの質問に対し、"まちがいなくくる"と応えた。 しかし一方で、南北関係がふさがっていて,南北間に対話と通信がみな途絶えた状態でどのように実現することができるか、正直疑問であった。

夕方にキム・デジュン平和センターに副理事長のチョン・セヒョン長官,ムン・チョンイン教授(諮問委員),パク・チウォン議員も理事として“4人で一緒に会おう”とし、対策を議論した。

“どのようにすれば良いか?”
全員“南北間に疎通がない時こそ、私たちが疎通の通路を用意すべきだ”と合意を見た。 それで、弔問団派遣を契機にして南北関係改善の契機が用意されれば良いという期待をしながら、イム・ドンウォン,パク・チウォン理事の名前でキム・デジュン平和センター理事長であるキム・デジュン大統領が逝去したことをお知らせした。

今回の8.15祝辞でイ・ミョンバク大統領が‘いついかなる水準でも南北間のすべての問題に対して対話と協力を始める準備ができていることを明らかにする’と言った。 多くの論議の末に、弔問団がくれば大統領府を訪問という希望を抱いてメッセージを送った。

すると,翌日19日朝、直ちに北朝鮮のア太平和委員会がキム・デジュン平和センターのイム・ドンウォン,パク・チウォン理事に回答を送ってきた。
この内容はすでにパク・チウォン室長が、その日午後に発表した。 内容はすなわち,私たちが昨夜送った訃報の電文を確かに受け取った,キム・ジョンイル委員長は直ちに弔電を送り、労働党秘書と部長を含んだ高位級特使弔意訪問団を派遣することを指示した,そしてキム委員長の花輪を持って特別機便で行く,訪問日は葬式前にするもののいつが良いのか知らせてくれ,滞留日程は当日、だが必要ならば1泊2日にすることもできる,実務的な問題を調整して知らせて欲しいということだった。

ここで私たちが着眼したことは、私たちが予測したとおり弔問団でなく特使を送るということだ。これは大統領に会いたいということ,その日飛行機で来て帰るのではなく,1泊2日と時間を設けて必ず会いたいということと解釈した。

それで直ちに四人がまた集まって,政府にこの電文をそのまま伝えた。政府が引き受けて,弔問だけでなく大統領府訪問をすれば良いという意見を提示した。 チョン・セヒョン長官がヒョン・インテク統一部長官に会って,そしてパク・チウォン議員が大統領府某首席に電話をかけて,この事実を通知した。

このように事は始まったが, 政府側では‘政府を排除して民間を利用しようとする私設弔問団に過ぎない。 政府としては弔問の他は考えない’という意向で否定的であった。

いずれにせよ私たちは、北側の回答を受けて政府側に伝達し,政府側と相談をした。一方北には,1泊2日にする方が望ましい’という電文を送った。 そして、その日の夕方に北側からキム・ギナム秘書を団長とする特使弔問団を送るという発表が届いた。

そしてその日夜, キム・デジュン平和センターにメッセージがきた。 8月21日金曜日3時に金浦空港に到着する,そして6人の代表団名簿があった。そしてここで重要なのが“南側当局者を含んだ多くの人々と会い、議論する用意がある”という内容が入っていたことだ。

この電文は、そのままみな政府に伝達した。政府が必要な措置を取るようにしたのだ。 このようにして,仕事が始まった。

統一ニュース
□その当時、政府当局者を含んだ多くの人々と会うといった事実が、対外的に知らされたか?

■それは私たちは発表しなかった。政府側で発表するように、と言った。 初めから私たちは政府側が進めるよう願っていた。 それを政府側は、不快に思ったのではないか?

8月20日木曜日,政府の関係部署間の協議を経て,キム・デジュン平和センター側と会った。 ホン・ヤンホ統一部次官と私とチョン・セヒョン長官,何人かが一緒に会った。政府では私たちが日程案を出した空港出迎え,弔問,献花,そしてイ・ヒホ女史礼訪はみな良い,身辺安全措置,費用,宿泊は国葬なので、みな政府の葬儀委員会が負担する,しかしそれ以上のことは考えないでほしいといった。

これは私たちが当局間接触を願い、大統領府訪問をするようにしてくれと言ったが、政府はそれは考えていないという意味であった。 その日(21日)夕方の晩餐、翌日の朝食会もしなければならないのに,政府は無関心、それでキム・デジュン平和センターの主催で晩餐,朝食会をもった。

北側代表団らとの晩餐と朝食会から出た話は、大統領府訪問を望む,キム・ジョンイル委員長はその間南北対話に関心を持っていたが,ソウルからの情報が紛らわしいので、イ・ミョンバク大統領を直接会って確認してこいとの指示があったということだ。 同時に北側が南北対話を再開して南北関係改善の契機にしようというキム・ジョンイル委員長の意向を伝達するといった。

もちろん政府側に、そのまま伝えた。しかし、北側の意志を聞いたにもかかわらず,統一部側は大統領府訪問に消極的、否定的であった。統一部長官を会って行けば良いのでは、という考えでいるように見えた。

この頃、キム・ドクリョン国民統合特補兼民和協議長が関心を持って,電話をかけてきて会いたいといった。 それで朝食会にきて,直接北側代表らと対話をして,正確な意見を伝え,大統領に伝達し,ようやく糸口が見つかり始めてた。

キム・ドクリョン特別補佐官が重要な役割をした。 キム・ドクリョン特別補佐官は政府を代表してきたのではなかったが、民和協議長として南北関係を改善させなければならないという考えを持っておられた。特補だから大統領への接近が容易であり、それで大きい役割をしてくれたことはとても幸いであった。

もちろんメン・ヒョング政務首席も8月21日国会議事堂に弔問をきた時に、北側の意志がこうだとすれば、大統領府訪問を実現させたら良いと話し,国会議長も会うのを希望するという意を伝達した。

いずれにせよ色々な難関を克服して大統領府訪問が実現された。 もちろん土曜日に大統領府訪問になれば良かったが、外国から来た弔問使節団との面談の一環でではあったが、日曜日に15分の予定が30分間会えた。北側はキム・ジョンイル委員長のメッセージを伝達し、またイ・ミョンバク大統領は政府の立場を明らかにした。 30分は、長い時間だ。

こうして、南北最高当局者間に間接首脳会談が成立したのだ。 コミュニケーションになった。 どれくらい幸いなことかわからない。

統一ニュース
□キム・ギナム秘書は以前にも会ったことがあるか?

■もちろんだ。 あの方はよく知っている。 キム・ギナム秘書は2005年に6.15共同宣言5周年行事の時私が政府代表団の一員として平壌に行って会った。その年8.15大祝典の時ソウルにキム・ギナム秘書を団長とする北朝鮮代表団がきた。 それでこの代表団が顕忠園(ヒョンチュンウォン)を参拝した。 とても歴史的事件だ。

その時キム・デジュン大統領がセブランス病院に入院しておられ,病院に病気見舞いに来られた。 …短い日程ではあったが、慶州に行って,仏国寺と石窟庵も見た。 仏国寺で朝食を食べて一緒に上がってきたが,今回も仏国寺で朝食をしたことが印象的だとおっしゃっていた。 性格が良くて、やわらかい方だ。

統一ニュース
□キム・デジュン前大統領は最後まで民主主義.庶民経済.南北関係の危機,いわゆる‘3大危機’克服のために‘行動する良心’になれと訴えたが,南北関係の危機はどこからもたらされたのか,どのように克服すべきか?

■南北関係危機の根源は何かということだ。
根本的には韓半島危機の根源が何かを先に考えてこそ答が出る。 韓半島危機の根源は、米国と北朝鮮の敵対関係に起因する。

1990年代初め国際冷戦が終わって,当時ソ連と中国は大韓民国と外交関係を樹立し、関係正常化をした。 ところが米国は、北朝鮮を相手にしないで,冷戦時代にしてきた封鎖政策を持続し,北朝鮮を圧迫と制裁で対応した。

北朝鮮は米国との関係正常化を望むのに、圧迫と制裁をしてくるからこれに反発して,結局は核開発をすることになったのだ。 核開発は北朝鮮としては安保威嚇に対処して,抑止力を確保するという側面もあるが,同時に米国と関係正常化のための交渉カードに使おうとしたのだ。 これが韓半島危機の根源だ。

したがって変化を掲げて大統領に当選し,今外交政策で変化の波を起こしているオバマ大統領は、米国が60年間余り持続してきた対北朝鮮敵対関係をもう終わらせて、北朝鮮と関係正常化をする決断をする時になった。 そうしてこそ韓半島問題が解決され、核問題も解決することができる。 そして韓半島平和と統一に対する米国の歴史的責務を果たすことができる。

もう関係正常化をしなければならない時がきた。 まさに米.北敵対関係が解消されてこそ、韓半島の平和を成し遂げることができるのだ。 これが韓半島問題の根源になっている。

それなら現南北関係がこのように悪化した原因はどこにあるのか?
キム・デジュン,ノ・ムヒョン進歩政府10年の間、南北関係改善努力をしてきたし,多くの進展を成し遂げた。このように和解協力の時代を開いたにもかかわらず、イ・ミョンバク政府が執権して関係が悪化し始めたのではないか?

そこには2~3、最も根本的な原因があると見る。
一つは現政府が'非核.開放.3000'というスローガンを掲げて、核問題が解決されてこそ南北関係を改善することができるという政策に、根本的原因がある。

北朝鮮核問題の本質は何か?
米国と北朝鮮の敵対関係の産物だ。 だから米国と北朝鮮の関係が正常化されてこそ、北朝鮮核問題が解決することができるのだ。 米.北関係正常化と北朝鮮核廃棄はかみ合っている。

このような事実はジュネーブ合意の時もこの二種類を一緒に解決すると合意していて,9.19合意の時も二種類を一緒に解決すると合意していることでも明らかではないか?

ところが政府が、南北関係を北朝鮮核問題に従属させてから,南北関係が難しくなり始めた。 以前の政府は、北核問題は米国と北朝鮮が解決しなければならない問題とし、南北関係発展を通じて米.北関係改善を助けるという並行戦略を敷いてきた。 ところが現政府に入っては、連係戦略を使ってこのようになった。

幸運にも今回の8.15祝辞にイ・ミョンバク大統領は、最初の強硬路線からは後退した話をした。 今までは核を廃棄してこそ南北関係が発展することができるといったが、今回は北朝鮮が核廃棄の‘決心を見せるならば’わが政府はどうこうする意志があるとだいぶ変化した態度を見せたので、可能性は見える。

二番目は南北関係が悪化した要因の中の一つは、イ・ミョンバク政府執権以後に、以前の政府で合意した6.15南北共同宣言と10.4宣言を無視、否定する態度を取ったことだ。

北朝鮮は“この二宣言は、南北が和解.協力しようという宣言、実践していこうということなのに、それを否定するということは何を意味するのか? 不信と対決に戻ろうということか?”ということで南北関係が悪化した。

一部反北朝鮮.極右勢力らは、6.15共同宣言をあたかも北朝鮮の対南赤化戦略に私たちがもてあそばれていると解釈する。それは、 ものすごく被害意識を持った考えだ。 こういう雰囲気が現政権に影響を与えたと見られるが,でも正さなければならないだろう。

現政府も対北朝鮮政策は‘共存共栄’の政策だと話している。共存共栄の政策ということは何か? 和解協力,包容政策ということだ。 しかし実践をそうしないから問題だ。

南北間に合意した5大重点事業らが、みな中断されている。開城工業団地を除いてはオールストップになったが,いよいよ離散家族対面も始まるし工業団地事業も活性化されるだろう。 もちろん金剛山観光事業も開始、南北間経済協力もまた始まるだろう。 とにかく8月は私たちに希望の便りをたくさん伝えてくれた。

統一ニュース
□キム・デジュン前大統領の遺志を実現するために、政界と市民社会が韓半島平和と統一のためにしなければならないことは?

■チャンス到来だ。 私が見るには、今年8月に入り、米.北,南北関係に良い薫風が吹き始めていると見る。例えば8月4日に米国クリントン前大統領がキム・ジョンイル委員長に会って,米.北関係改善のため多くの議論をしたし,女性記者釈放もした。

オバマ政府はそこに依拠し,対北朝鮮政策を最終検討しているであろう。 今のところ、方法論と手続き上の問題らを詰めているようだが、うまく解決するだろうと見る。

南北間においては8月16日にヒョン・ジョンウン現代グループ会長とキム・ジョンイル委員長の会見を通じて、色々な合意を見た。またその前に、抑留されていた勤労者も釈放された。 それだけでなく、開城工業団地通行制限措置も解除し,門を閉ざした開城工業団地南北経済協力協議事務所も復元した。

今回キム・デジュン大統領逝去に際して,特使弔問団を送って,大統領府を訪問し,イ大統領とコミュニケーションをとった。 これを契機に完全に途絶えた通信網が再開し,また離散家族対面のための赤十字会談が開かれている。 秋夕離散家族対面は実現されるだろう。

このような進展で,その間ふさがっていた南北関係の糸口が見つかり始めた。南北が互いにこれをよく活用するならば、9月に南北当局間会談が開かれることも,南側から北朝鮮に特使を送ることもできる。 今なら特使を送っても、(北朝鮮が)受け入れるであろうし,また特使に適合する人も生じた。

このようにして,私たちの意志如何にしたがって南北関係が改善されて,同時に米.北関係も一緒に改善していくことができないか,こう思う。

キム・デジュン大統領は亡くなりながらも,南北対話のいとぐちを開いて南北関係改善の契機を用意するという贈り物を残して逝かれた。

統一ニュース
□北に送る特使に適合した人物は誰か?

■今まで特使に適合した人が南側としては現政府ではいなかった。 ところが今回キム・ドクリョン特別補佐官,民和協議長が北朝鮮の対南関係最高責任者らと初めて出会い、意見を交換した。互いに良い印象を持っている。

大統領が願うならば、このような人を送るならば直ちにあちらで受け入れないか。 一番の適任者だ。 その他に誰がいるかは分からないが,私が見る範囲ではそうだ。

統一ニュース
□北朝鮮が最近、南北関係と北.米関係に積極的である。どのように見ているか?

■北朝鮮の意図を正確に分からないが、北朝鮮はオバマ政府に期待していた。 ところが、人工衛星発射によって米国がそんなに激烈な反応を見せるだろうと考えられなかったようだ。

今回最高人民会議を開き、キム・ジョンイル3期体制出発を祝う意味で人工衛星を発射したが,98年にもそうした。 それを日本と韓国が先に立って騒ぐので、オバマもそこにまきこまれて強硬策をとった。 大きく間違ったのだ。 そのようにするのではなかったのに。

何ヶ月前にイランが発射した時は静かに見守ったが,なぜ北朝鮮だけはいけないのか…。 それで北朝鮮は、核実験までしたのだ。

こうして北米関係が難しくなり、解けるのに時間が多少かかるのだ。 5月に核実験し,6月からは解くための努力を北朝鮮はした。 そうするうちに8月初めにクリントンがきて解け始めた。 今回突然なったのではない。
オバマ政府になって,北米関係改善を模索してしてきたが、人工衛星発射でねじ曲がったが、正常化していく過程だ。

南北関係も6月ぐらいから北側は解こうとしたようだ。 北朝鮮の軍部強硬派の声が大きくなる時がある。 その次にはまた協商派の声が高まり始める。 南批判も少しずつ温和になり始めたことが分かる。 それも米.北関係と関連があるだろう。
<終わり>