NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

韓国併合100年ー東海行動がスタート

2010年02月21日 | NPO三千里鐵道ニュース
100年と向き合う日本の良心をつくろう、を合言葉に当NPO副理事長でもある作家の磯貝治良を代表とする個人、団体の呼びかけで

3月6日PM1.30から
名古屋YWCA(名古屋栄地下鉄5番出口)
東海行動立ち上げ集会

が開催される。

記念講演は 康 宗 憲 先生

タイトルー韓国併合100年、現在の課題を考える

参加費 800円

こぞって参加しましょう!

義兄弟、封切16日目で300万人突破

2010年02月21日 | 管理人のつぶやき

映画'義兄弟', 観客300万人突破

|記事入力2010-02-20 14:41

(ソウル=聯合ニュース)ハン・ミヒ記者=

ソン・ガンホとカン・ドンウォンが主演したチャン・フン監督の映画'義兄弟'が観客300万人を突破した。

配給会社のショーボックスは'義兄弟'が封切り16日目の去る19日、全国で累積観客304万1千230人を記録したと20日明らかにした。

これは昨年853万観客を動員した'国家代表'と同じ興行速度だ。

映画は、各々組織で捨てられた南派工作員と国家情報院要員が、身分を隠したまま同居してお互いを知っていく話だ。

eoyyie@yna.co.kr

●観たい。映画見に韓国行こうか。金がない。どこかに海賊版、出回っていないだろうか。
失礼!不謹慎!韓国映画繁栄のため、海賊版はいけません。namsang

思い出の名画ー芙蓉鎮

2010年02月21日 | 管理人のつぶやき
芙蓉鎮というのは村の名前ですが、これは架空の村です。
そこに暮す若い夫婦は、米豆腐屋を経営していました。
二人は一生懸命、身を粉にして働きます。
明るくて美人で働き者の妻、胡玉音(劉暁慶 リウ・シャオチン)のおかげもあって、店は大繁盛。

しかし、折悪しくも、時は文革(文化大革命)の頃・・・・・・。
胡玉音の店の繁盛を妬んだ同業者が党に密告をするのです!
「あいつらは資本主義的ブルジョアジーです!」
と・・・・・・。

あわれ、店は没収され、あげくの果てに夫も殺されてしまった胡玉音は、罰として村の中の道(石畳)をせっせと掃除する日々を過ごすことになります。

写真の二人の男女は、
女性は、ヒロインの胡玉音(劉暁慶 リウ・シャオチン)
男性は、右派というレッテルを貼られ、彼女と一緒に村の道を清掃する罰を受けているウスノロ秦こと秦書田(姜文 チアン・ウェン)です。

二人は、やがて惹かれあい、子どももできるのですが、結婚を認められず、逆に罰として別れ別れにされてしまいます・・・。

その後、文革の嵐が過ぎ去り、それに翻弄された彼女の苦境もやっと終わりを告げます。
愛する秦書田も芙蓉鎮に帰ってきて、二人は米豆腐屋を再開するのでした・・・。

●ぼくはこの映画を、1980年代のはじめに東京岩波ホールで鑑賞した。この映画館だけで7万人の観客を動員したほどの名作であった。
今でも憶えている。ウスノロな主人公が人民裁判で強制労働に連行されて行くとき、愛する妻に叫んだ台詞を…。豚になっても生きよ、生き続けろ、と叫びながら引きずられて行く様を。
上映が終わり観客のいなくなったホールで、しばらく声を押し殺して一人肩を震わせていた。自身の体験を重ね合わせながら…。

晩年の毛沢東が、そしてその妻江青一党の率いた中国の文化大革命は、まさに狂気の時代であった。今でも鮮明に脳裏に焼き付いている、紅衛兵が毛語録を突き上げ天安門広場で闘争宣言する様を。そして幼い紅衛兵を閲兵する毛沢東の姿を…。そしてその階級闘争の津波は世界に波及し、その恐ろしさはカンボジアのポルポトの良民大虐殺で顕著に現れた。
日本にもその影響が…。赤軍派が仲間を総括と称し殺人し、かつての朝鮮総連内部にも極左の嵐を巻き起こした。
…時は傷を癒す特効薬、あれから30数年、総括の洗礼を何度も経験し、敗北感と復讐心、憎悪に支配されていたぼくの心の傷は、豊橋に戻って癒えていった。恩人と常に感謝している友人金輝泰氏、朴泰秀氏、それから家族と先輩、友人らとの温かな交流の中で…。

その30年の時を逆戻りさせるような事件が先日起きた。新年会でニュースレター15号配布を制止されたことは、先日ご報告した。その後ある分会長から、組織を追放された理由を知っている、と、これまでも度々言っていたことをまた言いだしたのだ。どうぞ記者会見でも開いて発表すればと詰め寄ったが、彼はそれだけは言えないと、さも大罪を犯したようなことを言う。
スピーカーで名の知れた彼は、自分は鉄壁の思想をもった生え抜きと言い、青年時代から地元で終始一貫組織を支えてきた、と豪語してきた。そして、あの狂気の時期にどのような行動をしたかは想像がつく。
あの日ぼくは、狂気の時代の残滓を見る思いでおぞましさすら感じ、当分距離を保ってまた時の過ぎるのを待つことにした。

しかし齢70を目前に、待つ時間もそう残されていない。そろそろ封印した記憶を冷静に記録しても良い時期ではないのか、と思い始めている。namsang