美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

何となく疲れ気味

2016年06月15日 | 日記
今日は朝は5時過ぎに紋次郎に起こされて弁当つくりをした。でも配達に行く気がしない。なんとなく身体が揺れているように感じた。昨日のバスの往復が応えているようだ。夫に配達を頼み部屋中開け放し風通しをよくした。テレビをつけながら編み物。舛添東京都知事の辞任のテロップが流れた。やっと結論がでたようだ。不信任決議案を受理されての辞任はみっともない。自分から辞表を出されたのほうがいい。大都会東京の知事になれば一般感覚が麻痺するのかもしれない。二人続いてお金絡みでの辞任となった。政治家の出処進退の難しさを今回もみた。つぎこそは本当に都政を動かせる人になってほしい。

夫に油粕を頼んだ。午後から1時間畑の野菜に油粕を追肥した。今のところ雨が少ないので成長が遅い。明日の雨を見込んで追肥した。化学肥料を使わないので野菜たちの色を見て判断する。トマト、ナスは順調だがきゅりが虫に喰われて遅れている。トウモロコシ、サツマイモは遅くに植えたのでしばらくおおきくならないが活着だけはした。

家の庭の夏椿が咲き始めました。一日花ですぐに散ります。でも風情のある花です。

疲れました。

2016年06月15日 | 日記
昨日は定期診察のため京都の府立病院に行く。お客さんも乗せて朝7時に家を出る。広河原で車を置いてバスで行く。三十年ぶりにバスに乗る。軽い一過性脳梗塞を起こしているので長距離の運転はドクターストップがかかった。バスは2時間かかって出町柳駅に着いた。ロスのお客さんを京都駅行きの市バスの停留所に連れて行き別れた。私は病院へ。神経内科の待合室は空いていた。30分ほどで診察室に。先生に近況報告のみ。投薬と次回の予約を確認する。先生は脳梗塞を起こさないためには水分補給と栄養を十分とることとストレス、睡眠不足をしないことと言われた。私の場合頸動脈がつまり脳の内頸動脈が梗塞を起こすと言われたがよくわからない。ただMRIの脳の画像を見せられると、あまり良くないことはわかる。院外薬局で薬をもらいタクシーで友人の家に行く。リホームがほぼ完成に近づいていた。少し話をして3時5分のバスに乗り帰ってきた。広河原に着いたが相当疲れた。友人の喫茶店で一服して帰ってきた。一日繋がれていた紋次郎は怒っていた。鎖を放すと私に飛びかかってきた。しばらく私のそばを離れない。今日の朝も5時にお越しに来た。家での一人での留守番が苦手らしい。

蛍舞う

2016年06月13日 | 日記
今日は一日中雨。仕事は休んで編み物。あと片袖だけになった。夕方ロスに住む日本人家族が再びやってきた。どうしても蛍が見たいと言われるので、私は8時過ぎから川のそばを探す。3匹ぐらい飛んでいた。その家族を連れて川沿いに行く。蛍が飛んできた。昨日からの雨の影響だろうか?一時間ほどいた。ロスに住んで40年のSさんは蛍をみるのは50年ぶりとのこと。息子は初めて蛍を見たという。二人は感動していた。今日の飛び方をみていると、これから蛍はたくさん飛ぶような気がする。村の人はほとんど蛍に関心がない。私が「蛍、蛍」と騒ぐのがおかしいらしい。下の民宿のお客さんと我が家のお客さんは蛍が見たいと言う。

明日は3か月ぶりに神経内科の診察日。京都までの運転はドクターストップがかかっているので
30年ぶりにバスで京都に行く。夫は用事があるとかで送ってくれない。2時間はかかるが、これもしかたがない。もし、運転していて交通事故でも起こせば自分だけでは済まないから。脳梗塞がおこる危険があるので、自分で気をつけなければならない。

夏大根の煮物。夏大根は堅くて煮物には向かない。でも昨日親戚のおばさんから2本ももらった。大根おろしだけでは食べられない。

売れるかな?

2016年06月12日 | 日記
私の住んでいる地区に週末だけ丹後から来て空いている喫茶店で食堂をしているおばさんがいる。この頃、お客さんが少なくて手持ち無沙汰である。そこで私が提案した。おばさんは丹後のバラずしを上手に作られる。道の駅で売ったらどうかとすすめた。昨夜から準備をされて私が取りに行ったときには、バラずし10パックと巻きずし5パックができていた。私と友人で3パック買った。私は店に並べ宣伝もしてきた。売れるかどうかはわからないが、私は作り続けることが大切だと思っている。

私自身加工場を作りお惣菜、お菓子、お弁当など10年以上作り続けているのだ。その中から売れるものを見つけて作っているのだ。現在弁当、サンドイッチは週末に作り合間にチーズケーキ、プリンを作っている。それに季節ごとに季節ご飯も作る。春の筍ごはん、エンドウ豆ごはん、夏の鮎飯、秋の松茸ごはんなど作っている。儲けもあるていど考えてはいるが、食材、資材の購入でお金もかかる。弁当はもうやめたいが誰も作ろうとしないので、しぶしぶ作っている。特に大変なのは配達である。片道30分以上かかるので。今は夫に頼んでいる。

さてさて今日の丹後のばらずしは売れたかなあ?

今日暑かった。

2016年06月11日 | 日記
今日は今年一番の暑さだったと思う。湿度も高くて汗もかいた。昼間は外に出られなくて部屋で編み物をしていたが、それでも暑かった。結局ほとんど家の中で過ごした。蕗を摘まなければと思っていたのに。紋次郎も暑さでばてていた。3時過ぎに河原に連れて行った。川の水は少なくて驚いた。冬は雪が少なくこのごろほとんど雨が降らない。ニュースでも異常気象で猛暑になると言っている。梅雨だと言うのに雨が降らないのも不思議だ。でも人間がどうすることもできない。山は緑一色になってきた。季節は確実に進んでいる。夜になっても暑くてむしむしする。でも畑の野菜たちは元気である。トマトもキュウリも大きくなってきた。50本のサツマイモも30本の鷹の爪も活着して大きくなっていく。そして何も植えないで置いてある2畝は雑草が生い茂ってきた。夫に刈ってもらおうと思っている。8月にキャベツの苗を植え、大根を撒く畝である。

杉の木に絡んでいる蔓アジサイです。

朴葉めし

2016年06月10日 | 日記
今日は地域のお年寄りを集めて研修会と昼食の会の健康教室の日だ。夫に朴葉30枚ほどとってもらった。9時過ぎにエンドウ豆ごはんを一升3号炊く。ガス釜なので20分ほどで焚ける。すこし蒸らして釜のまま公民館に持って行く。そこに地域のお年寄りがあつまっている。みんなに手伝ってもらって30個作る。骨折で来ていない人、ショートステイに出かけた人、病院に行った人と今回は4名欠けて10名ほど集まった。来ていない人たちにも朴葉めしを配った。10時から保健婦さんに熱中症や食中毒の話を11時半までしてもらった。園部から来てもらっつたのだが気さくで昼食も一緒にして雑談にもつきあってもらった。1時過ぎに帰られて散会。後始末をして喫茶店へ。3時過ぎに小浜の移動販売車が来た。午後から暑くなってきた。

朴葉めしはかって田植えの小昼に食べるものだった。朴葉は防腐作用もあり、ご飯が熱い時に包むと朴の葉の香りが映り美味しく感じることができる。家々によって中味は違っていたが、私はえんどう豆ごはんで包むのが好きだ。1年に1,2度は包む。季節感を味わうこともできる。

ロスからのお客さん

2016年06月09日 | 日記
今週はお客さんがないと思っていた。3時過ぎに「今から美山に行きたいのですがバスはありますか?」私は時刻表を見て17時過ぎに園部駅から南丹市営バスが出ています。茅葺きの里で下りてください」と言って電話を切った。1時間安掛の観光協会まで来ました。茅葺きの里まで迎えにきてくださいとかかってきた。私は5時にバス停に行った。一人の日本人がお客さんだった。ロスで40年間住んでいると言われた。道の駅で私の弁当を買ってこられていた。夕食は炒らないtぽのことでほっとした。日本語で喋れるので楽だ。8時過ぎまで喋っていた。明日は数十年ぶりの同窓会出席のため故郷高松まで行かれるそうだ。そして月曜日に再び息子さんと来られるという。蛍がどうしてもみたいそうだが今晩は飛んでいなかった。来週には飛ぶだろう。山椒の実を摘んで持って帰りたいと言われたので二人で摘んだ。向こうではなかなか手に入らないそうだ。先月はロスに住む知人に真空パックのたけのこを送った。異国の地では日本の食べ物が無性にほしくなるようだ。昆布と山椒の実の佃煮も食べてもらった。

蛍がやってきた。

2016年06月08日 | 日記
夫は朝早くから出かけて行った。研修で広島に行くと言っていた。原爆資料館の視察がメインのようだ。夫は一度も訪れていない。私は高校生の時地歴部で友人たちと訪れすごい衝撃を受けた。遺品の前では動けなくなった。広島県庁に努めていた叔父のお嫁さんは広島の人だった。多くは語らなかったが、時々被爆の話をしてくれた。癌術後二人の子供たちを連れて再度訪問している。幼かった子供たちが「怖い」と動かなくなった。私たちは一度は広島、長崎を訪れなればならないと思う。夫がどのような感想をのべるだろうか?今晩は広島に泊まる。

配達後1時間畑の草刈りをした。それが良くなかった。しんどくて何もすることができない。テレビも見る気がしないし、編物も編む気がしない。早いけれど今日はもう休む。紋次郎も暑さについていけないようで寝てばかりいる。

お風呂上りに外にでると田んぼの上を蛍が1ぴき飛んでいた。これから少しは出てくるだろう。雨が少ないので飛ばないかと心配していたが来てくれた。これから7月上旬まで蛍探しの夜が続く。

梅雨らしい天気になりました。

2016年06月07日 | 日記
朝から雨が降ったり止んだりの天気です。1週間ぶりに道の駅の「ふらっと美山」まで配達に行きました。台湾土産のお菓子を持って。やっと地場産のキュウリ、トマトが並びだしました。少し値段は高いのですが、生産者が見えているので安心して買えます。午後からは小浜の移動販売車の日で下の喫茶店に行きました。村の住人のほとんどが買い物に来ます。買い物のあとはコーヒータイムで近況報告も兼ねています。一人が骨折で来なくなりました。年寄りが多いので一人欠け二人欠けします。私は編み物も教えてもらって帰ってきました。夕食までに後ろ見ごろを仕上げました。あとは袖二枚編まなければなりません。今週はお客さんもないので仕上げたいと思っています。

ほたるふくろの花ががあちこちで咲いてきたので蛍が飛ばないかと外にでましたが飛んでいません。いつごろ今年は飛ぶのでしょうか?

エンドウ豆の卵とじを作りました。少しエンドウ豆が堅かったようです。

つかの間の晴れか?

2016年06月06日 | 日記
一昨日梅雨入りしたのに今日は朝からよく晴れた。8時過ぎから母屋に走り布団干しをした。この間のお客さん8名が泊まったのでそれらの布団、毛布を干したのだ。敷ふとんは重いのがある。亡くなった姑が作った布団だ。掛布団は重たいのは処分した。4時まで干した。干した布団を入れるのが一番労力がいる。でも、気持ちよくなった。来週のお客さんに使ってもらえる。部屋も開け放し風を入れた。生けた芍薬もバラも今週中で終わりになる。これらの花は開くまでの蕾の時がいい。胡蝶蘭も花が散り始めてきた。次は何を飾ろうか?

家の周囲にある山椒の木から実を摘んだ。1時間ほど摘んだ。冷凍しておこう。

その合間に畑のくさ抜きもした。疲れた。
梅雨の晴れ間は本当に忙しい。

中国の若者宿泊

2016年06月05日 | 日記
朝食は8時と言っていたのに、母屋に行くとまだ静かだった。9時過ぎに行くと起きていた。10時には食事を終えた。いろんな話をした。一人は6年以上も日本にいるので日本語が上手だった。大学院に通う男の子。4人とも美大もでているそうで絵も上手だった。スマホで写真や絵を見せてくれた。彼らが将来どうなるか楽しみだ。喜んでくれて安心した。かやぶきの家の写真もたくさん撮っていた。レンタカーの期限が午後5時だというので早く帰るように言う。まだ茅葺の里も見学しなければならない。11時半にやっと帰って行った。私は2時過ぎからシーツっや枕カバーなどの洗濯をした。梅雨に入ったのでつかの間の晴れも貴重である。明日は4組の布団を干すつもりだ。今週はお客さんがないので助かる。

山椒の実も少し摘んだ。木が大きすぎてとりにくい。明日別の場所の山椒を摘む。私は山椒はあまり好きではないが、時期が来ると摘む。塩昆布をたくとき入れる。

梅雨入り

2016年06月04日 | 日記
雨も降っていないのに梅雨入りとなった。台湾の中学生が9時半に帰り急いでシーツ、枕カバーを洗濯する。雨が降りそうで心配したが2時過ぎには乾いた。少しうたた寝をして5時過ぎから今晩のお客さんの準備をする。7時前にやっと来た。レンタカーで若い男女が4名だった。中国からの留学生で京都府立大に通う男の子もいた。大急ぎですき焼きの準備をした。女の子たちが野菜を切ったり運んだりてつだってくれた。テーブルの上で天ぷらもした。うどの葉、蓬、木の芽、飛び魚、タマネギと海老のかきあげ。美味しいと言って全部平らげた。私はそこまでして家に帰った。
9時前に母屋に行くと食事は終わっていた。洗い物も全部してくれた。

またまた台湾からのお土産です。いつものお菓子3箱とキイホルダー、と小さな掛け軸でした。アンケートにも書いたのですがお土産はほどほどでいいのですと。4人とも大人しいいい中学生でした。朝も8時過ぎに起きてしっかりと食べてくれました。

台湾からの中学生ホームステイ

2016年06月03日 | 日記
昼過ぎ4名の台湾の中学生がやってきた。今回で3度目になる。昼食は私が弁当を作った。午後は夫が山に連れて行ったり草刈りをさせていた。夕食はすき焼きと天ぷらとサラダ。天ぷらは子供たち一緒に作る。今晩の材料はちくわ、なす、トビウオ、山菜など揚げた。美味しいと食べてくれてすき焼きもほとんど平らげた。一人の子供はご飯を三膳食べて美味しいと言った。食事をよく食べてくれるとほっとする。明日の朝はサンドイッチにする。朝の9時過ぎに帰る。

夕方友人の家に卵を届ける。バラ栽培に凝っている友人のバラ園は満開だった。私の好きなアイスバーグを手折ってもらった。ほかのバラも摘んでくれた。深紅のバラは香りが強い。あまりにも本数が多いので花瓶に入らない。使わない火鉢に生けた。でもすぐに蕾は開くだろう?美山もバラのシーズンに入った。専門にバラ苗を販売している知人のバラ園で深紅のバラ苗を買ってこよう。家の庭でバラが咲くのもいい。

若すぎる死

2016年06月02日 | 日記
昨日48歳で亡くなったMさんの通夜に行く。遺影の彼女は笑っていた。読経のなか焼香が続いた。友達関係の人が多く若い人だった。お母さんがすごくやつれられていた。1年間の闘病生活を彼女と共に送られた。遠い鹿児島からこの地にきての1年間、長くて辛かっただろう?子供が先に逝く辛さはいかがなものか。最後に棺の中の彼女の顔を見せてもらった。きれいに化粧されて穏やかな顔になっていた。お母さんに声をかけた。最後の10日間は苦しみましたと言われた。彼女は発病から3年間よく生きたと私は思っている。再発して抗がん剤もうち脳に転移してからは陽子線治療も受けていたようだ。それでも治ることはなかった。あれほど一生懸命闘ったのにがんはそれ以上に強かった。早期発見、早期治療と言われて癌は克服できるかのように言われているが現実はそう甘くないと痛感させられた。まだまだやりたいことがあっただろうに彼女の無念さを思う。ただ安らかにお眠りくださいという言葉しか今はない。時々あなたのことを思い出します。

数十年前に植えたさくらんぼに実がつきました。食べてみましたがあまりおいしくありませんでした。ただ実がついてくれたのはうれしいことです。味はおいしくありません。

食器棚がやってきた

2016年06月01日 | 日記
先週友人の家から譲りうけた食器棚を台所に設置した。前の食器棚から食器を全部出した。たくさんある。配達から帰ってきた夫と運ぼうとするが重くて私は持てない。夫が近所のおじさんを頼んできた.二人で運び出し、もう一つの食器棚を台所に入れてくれた。運び出した食器棚は加工場に入れた。夫の仕事はそこまでで終わり。私は2台の食器棚に食器類を入れていった。ほとんど使っていない食器もある。日常的に使う食器を手前に入れる。今度の食器棚は大きい。もう一台の小さな食器棚の食器もいれた。白い背の高い食器棚は母屋に持っていく。朝の10時からはじめ5時過ぎまでかかり、くたくたに疲れた。30年使った食器棚は加工場にきちんと収まった。友人のFさんの家からは、たくさんの家具が家に来ている。もう今回で終わりになるだろう?これから何年つかえるだろう?買い集めた食器もそろそろ整理をしよう。

49歳で知人のSさんが癌で亡くなった。最後まで勇敢に闘った彼女に「お疲れさま」の言葉をかけたい。でもあまりにも若い死に本当は慰める言葉もない。同じ癌友として切なさをかんじる