人間は、この世のお別れに葬儀を行う事が多い。
宗教宗派によってその内容が違う。実に不思議です。
僕の田舎では、お葬式の際に「小銭を撒く風習」があった。
現在でもあるのかないのかは定かではありません。
子供達はお小遣い稼ぎに走り回ってそのカネを拾う。
小銭を入れた「花籠(はなかご)」という竹を編んだ籠を
竹竿につけて、お身内の方が籠を振って小銭を落とす。
所謂、地獄の沙汰もカネ次第でしょうか?この籠の数が
多いほど、その家の財産を誇る行事の様なものです。
しかし、アジアの国を眺めると、紙銭・冥銭故人様を納棺
する際の副葬品として『紙銭』というものがあります。
中国ドラマでは庭でこの紙銭を燃やしている様子を良く見る。
日本で言えば「六文銭」ですが、中国、台湾、韓国、ベトナム
などでは紙幣を模した冥銭(紙銭と呼ばれる)が使用されている。
こんなものが要るのかと思いますが仏の世界では「三途の川」
を渡る時に「渡し賃」が要ると言われています。
現在で言えばマジなの?死んでも差別と言われそうです。
なので「地獄の沙汰も金次第」この時の話が元になります。
それは、向こう岸に渡ると、奪衣婆(だつえば)という鬼が
いて服を脱がせます。すると衣服を木にかける役目の懸衣翁
(けんえおう)という鬼が、その服を衣領樹(えりょうじゅ)
という木の枝にかけます。
服が沢山 濡れていると枝が大きくしなるが、乾いていれば
あまりしならない。つまり、枝の曲がりぐあいによって
善人か悪人かを見きわめているらしい。冗談でしょうか?
中には、悪人の濡れた服を善人に着せて奪衣婆の前で、
善人顔をしている奴もいる。これを「濡れ衣を着せる」と
いう諺らしい。しかし貧乏な人はカネも持たずに悪人か?
まあね、この齢になるといい加減な話に惑わされながら
生きているということでしょうか?地獄と天国、あるのか?
いったい誰が決めるのでしょうか?冗談はヨシコさんです。