阪神淡路大震災から、24年が経ちました。あの時の激しい揺れを今でも覚えています。家が崩れるかもしれない。そんな思いを抱かせる揺れでした。震源地に、もっと近ければ、あたしも、どうなっていたか、分かりません。亡くなった方達、ご遺族のためにも、あの時の悲惨な光景を後世に伝え、これからも起こるであろう大地震に備えなければならないと思うのであります。そこで、今日は、24年前の今日、犠牲となった二人の少女と、遺された一人の少女にまつわるエピソードを紹介したいと思います。
神戸市東灘区に住んでいた小学6年生、加藤はるかちゃんが震災の犠牲となりました。それから半年後の夏、はるかちゃんの自宅跡で、大輪のヒマワリが、力強く咲いているではありませんか! それを見つけた御家族と地域住民の皆さんは、「はるかちゃんがヒマワリとなって戻ってきてくれた!」という喜びを感じたそうです。ヒマワリの花が、ポッカリと穴があいた心を満たしてくれたのです。そして、皆さんは、はるかちゃん宅跡で咲いていたヒマワリの種を採取し、他の被災地域に、その種をまくという活動を始めました。被災者が力強く生きていけますように、という願いを込めて。その種は、いつしか、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになりました。
2005年1月17日、震災10年の追悼式典と懇親会が開催されました。そこには、天皇陛下と皇后さまのお姿もありました。そこで、ハプニングが! 震災で、お姉ちゃん(小西希ちゃん・当時5歳)を亡くした、小学5年生の小西理菜ちゃんという少女が、皇后さまに、ヒマワリの種「はるかのひまわり」を手渡したのです。皇后さまは、「ありがとう。大切に育てますね」と受け取り、そばにいた天皇陛下に「いただいたんですよ」と種を見せられました。そして、その夏、小西さん宅に一本の電話が入りました。宮内庁からでした。「ヒマワリが咲いております」。理菜ちゃんに伝えるよう、両陛下が望まれたそうです。皇居では、今年の夏も、力強く、ヒマワリが咲き誇ることでしょう。
2019年1月16日、皇居で催された「歌会始の儀」。そこで、天皇陛下が、阪神淡路大震災からの復興の象徴、「はるかのひまわり」への思いを詠まれました。
天皇・皇后両陛下も育てられている、「はるかのひまわり」を、皆さんも育ててみませんか?
「はるかのひまわり絆プロジェクト」はこちらから
神戸市東灘区に住んでいた小学6年生、加藤はるかちゃんが震災の犠牲となりました。それから半年後の夏、はるかちゃんの自宅跡で、大輪のヒマワリが、力強く咲いているではありませんか! それを見つけた御家族と地域住民の皆さんは、「はるかちゃんがヒマワリとなって戻ってきてくれた!」という喜びを感じたそうです。ヒマワリの花が、ポッカリと穴があいた心を満たしてくれたのです。そして、皆さんは、はるかちゃん宅跡で咲いていたヒマワリの種を採取し、他の被災地域に、その種をまくという活動を始めました。被災者が力強く生きていけますように、という願いを込めて。その種は、いつしか、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになりました。
2005年1月17日、震災10年の追悼式典と懇親会が開催されました。そこには、天皇陛下と皇后さまのお姿もありました。そこで、ハプニングが! 震災で、お姉ちゃん(小西希ちゃん・当時5歳)を亡くした、小学5年生の小西理菜ちゃんという少女が、皇后さまに、ヒマワリの種「はるかのひまわり」を手渡したのです。皇后さまは、「ありがとう。大切に育てますね」と受け取り、そばにいた天皇陛下に「いただいたんですよ」と種を見せられました。そして、その夏、小西さん宅に一本の電話が入りました。宮内庁からでした。「ヒマワリが咲いております」。理菜ちゃんに伝えるよう、両陛下が望まれたそうです。皇居では、今年の夏も、力強く、ヒマワリが咲き誇ることでしょう。
2019年1月16日、皇居で催された「歌会始の儀」。そこで、天皇陛下が、阪神淡路大震災からの復興の象徴、「はるかのひまわり」への思いを詠まれました。
贈られし ひまはりの種は 生え揃ひ
葉を広げゆく 初夏の光に
葉を広げゆく 初夏の光に
天皇・皇后両陛下も育てられている、「はるかのひまわり」を、皆さんも育ててみませんか?
「はるかのひまわり絆プロジェクト」はこちらから