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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1431)私的岩手通史の旅 第134回(鎌倉幕府の下で 第1幕)

2012年09月02日 | 私的岩手通史の旅
 昨日9月1日は防災の日、奉公先でも防災訓練が行なわれ、私も参内して参加しました。新宿区にいながら渋谷区のエリアメール(訓練)が着信して一瞬びっくりしたりもしましたが、訓練は淡々を終わりました。しかし一昨日のフィリピン沖地震での津波が本格的に押し寄せていたら、訓練の雰囲気はまた違ったものになっていたでしょう。



第134回 鎌倉幕府の下で 第1幕(奥州市水沢区 胆沢八幡宮)

 「私的岩手通史の旅」は鎌倉時代に入りますが、「岩手県の歴史(山川出版)」の年表を見ると鎌倉時代の約140年の出来事は非常に少なく、7つの出来事しか書かれていません。もう1冊の「岩手県の歴史散歩(山川出版)」を読んでも同じようなものです。

 奥州藤原氏が源頼朝によって滅ぼされた後、岩手県は頼朝に従った御家人に分割して与えられました。その史実は定かなのですが、これまで辿ってきたようなそれを明確に示す史跡があまりないようで、「私的岩手通史の旅」としては少々扱いづらい年代であります。とはいえ前に進まねばいけませんので、鎌倉時代の岩手県を辿り始めます。

 1189(文治5)年9月11日、源頼朝は厨川で藤原氏を滅ぼした祝宴を開きましたが、その10日後には胆沢へ戻り、鎮守府八幡に奉幣しています。

 奉幣とは神に幣帛(神前に奉げるものの総称)を奉げることです。胆沢八幡宮は坂上田村麻呂が801(延暦20)年にエミシ征討を祈願して建てたと伝えられており、奥州藤原氏を滅ぼしたことを報告したのでしょう。


(季節は正反対の胆沢八幡宮 -奥州市水沢区 2010/02/13-)

 ところで、私の世代は「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と暗記したのですが、今の子は「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」と暗記すると聞いたことがあります。1185(文治元)年は壇ノ浦の合戦で平家滅亡、頼朝が法皇に守護地頭設置の許可を要求した年であり、これらの事柄で鎌倉開府の区切りとしているのでしょうか?

 歴史は生きている・・・そう感じました。


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2010/09/02の一品・・・783)八戸散歩(白山神社例大祭)
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2008/09/02の一品・・・347)ちょっと隣県へ 秋田県仙北市(田沢湖と辰子像)
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