年始の新聞では様々な特集が組まれています。その中には今年の政局・経済情勢などを予想した記事もありました。どの予想にも明るい内容が少なく、新年早々気が滅入る限りです。この予想記事を取っておいて、年末に読み返したらどのような感想を抱くのでしょう。予想の方がまだマシだったりするかもしれませんね。
三八(さんぱち)ワンデイハイクの続きです。聖寿寺館跡を更に進むと正面に土蔵のような建物が現われました。一帯は三光寺の境内です。境内には幾つかの史跡がありますが、その中で国の重要文化財に指定されているのが「南部利康霊屋(なんぶとしやすたまや)」で、この建物の中に収められています。
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(霊屋を風雪から守る建物 -南部町小向 2011/12/30-)
南部利康は南部27代利直の四男ですが、1631(寛永8)年11月21日に24歳の若さで死んでしまいました。利直はその死を悼み、この霊屋を造営しました。盛岡城が南部藩の居城に定まったのはその2年後の1633(寛永10)年ですから、まだ南部藩にとっての三戸は中心的存在だったのでしょうか。だから霊屋はここに造られたのかなと思いました。
残念ながら冬期は拝観できないので、境内の説明板にある写真で華やかな霊屋を眺めましたが、その説明板によると「三戸郷1ヶ年の石高1万石と鹿角(かづの)の金を投入した豪華な造りで、至るところにサルの絵や彫り物がある(「青森県の歴史散歩」)そうです。
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(実物を見たかった利康霊屋 -説明板より-)
一方、境内にある他の史跡の中には2代実光の墓と伝えられる塚がありますが、こちらは簡素な屋根に覆われているだけで吹きさらしの中にありました。
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(伝南部実光墓塚 -南部町小向かい 2011/12/30-)
南部家の歴史としては2代目の方が重要だと思うのですが、随分扱いが違うものです。
2011/01/04の一品・・・844)南部藩中退旅行(普通の国の山田線 その1)
2010/01/04の一品・・・お休みでした
2009/01/04の一品・・・428)岩手散歩 遠野市(めがね橋)
2008/01/04の一品・・・138)旅行記念日-前編-
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三八(さんぱち)ワンデイハイクの続きです。聖寿寺館跡を更に進むと正面に土蔵のような建物が現われました。一帯は三光寺の境内です。境内には幾つかの史跡がありますが、その中で国の重要文化財に指定されているのが「南部利康霊屋(なんぶとしやすたまや)」で、この建物の中に収められています。
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(霊屋を風雪から守る建物 -南部町小向 2011/12/30-)
南部利康は南部27代利直の四男ですが、1631(寛永8)年11月21日に24歳の若さで死んでしまいました。利直はその死を悼み、この霊屋を造営しました。盛岡城が南部藩の居城に定まったのはその2年後の1633(寛永10)年ですから、まだ南部藩にとっての三戸は中心的存在だったのでしょうか。だから霊屋はここに造られたのかなと思いました。
残念ながら冬期は拝観できないので、境内の説明板にある写真で華やかな霊屋を眺めましたが、その説明板によると「三戸郷1ヶ年の石高1万石と鹿角(かづの)の金を投入した豪華な造りで、至るところにサルの絵や彫り物がある(「青森県の歴史散歩」)そうです。
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(実物を見たかった利康霊屋 -説明板より-)
一方、境内にある他の史跡の中には2代実光の墓と伝えられる塚がありますが、こちらは簡素な屋根に覆われているだけで吹きさらしの中にありました。
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(伝南部実光墓塚 -南部町小向かい 2011/12/30-)
南部家の歴史としては2代目の方が重要だと思うのですが、随分扱いが違うものです。
2011/01/04の一品・・・844)南部藩中退旅行(普通の国の山田線 その1)
2010/01/04の一品・・・お休みでした
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2008/01/04の一品・・・138)旅行記念日-前編-
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