昨日、かつて仕事でお世話になった先輩に10数年ぶりにお会いしました。頻繁にお会いしていれば気づかないのでしょうが、覚えている姿は10数年前のままであり、再会した瞬間に、それなりの年輪の刻みを感じました。あちらも同じように思ったことでしょう。
房総ワンデイハイク、たいやきを2匹食べ満腹になった腹を抱えて、銚子漁港沿いへの道へ向かいましたが、漁港沿いの道との交差点に「元禄地震の再来津波想定高」と記した木柱が建っているのを見つけました。
元禄地震とは、1703(元禄16)年12月31日午前2時に発生した地震で、関東一円から岩手県釜石までの沿岸に津波が押し寄せました。標識の高さは地面から約1メートルでしょうか?波が30センチ程度の高さ押し寄せても、もう動けないといいます。今ここで津波が押し寄せてきたらどうしようか?と思いながらカメラに収めました。
(徒歩ならでは発見でしょう -銚子市飯沼町 2011/05/15-)
漁港沿いの道を進むと、今度は真新しい石碑が目に留まりました。見ると「ミロツ鼻跡」と刻まれています。石碑は片仮名で刻まれていますが、漢字では「美呂津」と表記するようです。
ミロツとは、1664(寛文4)年にこの地に上陸した紀州人で、「銚子漁業の発展に寄与した」と石碑の側面に刻まれていました。その偉業をたたえて地名に残したのでしょうか?そういえば銚子銀座バス停の近くミロツの名が付いた店がありました。
(もう少し詳しい説明板が欲しいですね -銚子市港町? 2011/05/15-)
でも、なぜ「鼻跡」なのでしょう?現在は埋め立てにより地形が変わっていますが、当時は鼻のような地形だったのでしょうか?
2010/07/19の一品・・・757)私的岩手通史の旅 第34回
2009/07/19の一品・・・533)岩手散歩 紫陽花
2008/07/19の一品・・・312)栃木散歩 宇都宮市(鬼怒橋)
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房総ワンデイハイク、たいやきを2匹食べ満腹になった腹を抱えて、銚子漁港沿いへの道へ向かいましたが、漁港沿いの道との交差点に「元禄地震の再来津波想定高」と記した木柱が建っているのを見つけました。
元禄地震とは、1703(元禄16)年12月31日午前2時に発生した地震で、関東一円から岩手県釜石までの沿岸に津波が押し寄せました。標識の高さは地面から約1メートルでしょうか?波が30センチ程度の高さ押し寄せても、もう動けないといいます。今ここで津波が押し寄せてきたらどうしようか?と思いながらカメラに収めました。
(徒歩ならでは発見でしょう -銚子市飯沼町 2011/05/15-)
漁港沿いの道を進むと、今度は真新しい石碑が目に留まりました。見ると「ミロツ鼻跡」と刻まれています。石碑は片仮名で刻まれていますが、漢字では「美呂津」と表記するようです。
ミロツとは、1664(寛文4)年にこの地に上陸した紀州人で、「銚子漁業の発展に寄与した」と石碑の側面に刻まれていました。その偉業をたたえて地名に残したのでしょうか?そういえば銚子銀座バス停の近くミロツの名が付いた店がありました。
(もう少し詳しい説明板が欲しいですね -銚子市港町? 2011/05/15-)
でも、なぜ「鼻跡」なのでしょう?現在は埋め立てにより地形が変わっていますが、当時は鼻のような地形だったのでしょうか?
2010/07/19の一品・・・757)私的岩手通史の旅 第34回
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又お願いします。
初めまして。コメントありがとうございます。
4年半以上前の拙作をお褒めいただきありがとうございます。今は岩手県民なので中々千葉の話題に触れる機会はないですが、またご来店下さい。