以前(7月13日)の前説で、NHK第1放送の「日本全国ラジオ巡り」について触れましたが、昨19日は東日本大震災時の東北放送(宮城県)とNHK仙台放送局の対応が紹介されていました。送信所の自家発電設備が燃料不足に陥ったり情報の取捨選択に苦心した様子など、その場に携わった人々の必死な様子が伝わってきました。色々な話の中で、NHKは震度6以上になると東京発の放送に統一されてしまうというのは初耳でした。両社とも過去の経験や平時の備えが役に立ったそうで、正に「備えあれば・・」だと思いました。
房総ワンデイハイクの続きです。ミロツ鼻跡の石碑を後に、利根川河口の漁港沿いの道を更に進みます。本日の銚子漁港は波も無く、非常に穏やかな水面がそのまま太平洋に続いています。
しかし港湾が整備されるまでの利根川河口は日本三大難所とされ、「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」と言われました。本日ご覧いただく「千人塚」は1614(慶長19)年10月に発生した突風により命を落とした多くの漁民を埋葬した地だそうです。
(千人塚バス停、奥が千人塚 -銚子市川口町 2011/05/15-)
小山の上には「海難漁民慰霊塔」が建っています。その文字は岸信介元首相によるものですが、一団低い場所には多くの慰霊碑や卒塔婆が建っており、そちらの方が目をひきました。これだけ多くの慰霊碑等を目にすると、魚を当たり前のように口にできることをありがたく思わねばいけないなと思いました。
(名も無き遭難者達の慰霊碑 -銚子町川口町 2011/05/15-)
2010/07/20の一品・・・758)私的岩手通史の旅 第35回
2009/07/20の一品・・・お休みでした
2008/07/20の一品・・・313)岩手散歩 釜石市(仙人峠越えのループ道)
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しかし港湾が整備されるまでの利根川河口は日本三大難所とされ、「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」と言われました。本日ご覧いただく「千人塚」は1614(慶長19)年10月に発生した突風により命を落とした多くの漁民を埋葬した地だそうです。
(千人塚バス停、奥が千人塚 -銚子市川口町 2011/05/15-)
小山の上には「海難漁民慰霊塔」が建っています。その文字は岸信介元首相によるものですが、一団低い場所には多くの慰霊碑や卒塔婆が建っており、そちらの方が目をひきました。これだけ多くの慰霊碑等を目にすると、魚を当たり前のように口にできることをありがたく思わねばいけないなと思いました。
(名も無き遭難者達の慰霊碑 -銚子町川口町 2011/05/15-)
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